ばかたれブレイクスルー
「どんな様子なんだ?」
「うん? ……良いね」
「協力が得られそうなのか?」
「もうね、気持ちいいほど無視される」
「……それは『良い』なのか?」
「精神操作に負けず劣らずだな。本物のあっちの具合も良いぞ」
「はあ?!…………醜悪だな。お前の卑俗さに愕然とするわ」
「罵る言葉いっばい知ってるな、セシル」
「おかげさまでな……ほら、早く出せよ」
セシリオは机の上で、右手でがくりと落ちた頭を支え、左の手のひらを上にしてひらひらとさせた。
コーネリアスは何のことか分かっていながらも、首を傾げてみせる。
「なんだっけ?」
「おい……外したんだろ」
「外したよ」
「じゃあ、返せよ。持ち出すだけで何重にも許可がいるんだ。ほいほい使っていい代物じゃない」
「分かってるって。そう何度も言うなよ」
「なら言わせるな。いいか、あれは魔術師のせい……」
「生命と尊厳を踏みにじるんだろ? しつこいなあ、もう」
アリアクリスの足に枷られた術具は、魔力を強制的に排出させ、同時に術式を組めなくさせるものだった。
重罪を犯した魔術師のみに着けることを厳守されている。
「またすぐ使うかも知れないだろ。アリィほどの力の持ち主なら、俺の命の方が危うくなるっての」
「……危うくなるような方法を取るなよ」
「だって難しいんだもん!」
「いい年こいてだってとか言うな。今からでも取りに行ってこい」
「めんどくさいから明日ね」
「おい! そう言って……」
「じゃーねー」
セシリオの新たな罵り言葉を聞く前に、コーネリアスは仕事部屋を後にした。
ひと気の無い狭い廊下を歩きながら、窓の外、そこから見える王城の中枢部を眺める。
大きな半球体の下。
そここそがこの国の中心。
自分が、そして父、かつて仲間だった者が弾き出された場所。
今となってはもうそこに戻ろうという気は微塵も無い。
それでも矜持のため、もうすぐすり減って無くなりそうな信義のために、まだ折れるわけにはいかない。
うつ伏せになっていた寝台で、ぐいと腕を引かれて、重たい頭を持ち上げた。
「湯浴みの用意ができました」
「……要らない」
「申し付けられております」
冷たく棘のある声の後、さらに腕を掴む手に力が入って、アリアクリスは寝台から強引に引きずり下ろされそうになる。
「……やめろ。……行くから手を離せ」
コーネリアス付きの侍女は、小さく舌打ちをすると壁際までゆっくり退がっていった。
怠い体で這うように動いて、アリアクリスは寝台の支柱に掴まって立ち上がる。
右足を引きずり、少しずつ片足で飛ぶようにし、支えにした壁に沿って、よろけながらも浴室に向けて進む。
その様子を見て、侍女は隠しもせずにくすくすと笑っていた。
こういった扱いには覚えがあるのでどうとも思わない。
娼館では日常的にあることだ。
嫌らしい女の醜い嫉妬。
唯一のコーネリアス付きの侍女は、出会って初日の対応で、何を聞かずともコーネリアスのお手付きであると知れた。
侍女に対して何も思うことは無いが、ただコーネリアスには侍女の躾けぐらいきちんとしておけと苛立たしい。
そして手を付けるなら侍女だけにしておけよと心底 忌々しく思う。
湯に浸かって、腕の力だけで右足を持ち上げ、浴槽の縁に踵を乗せる。
足先まで丁寧に揉んで、膝の曲げ伸ばしを繰り返す。
足は何かに触れている感覚はひとつもなく、痛みも感じない。触れると冷んやりとして、前に比べて少しずつ強張っていっている気もする。
銀色の枷を外したくとも、周りに彫り込まれた術を読み解こうにも、そこにあるのは半分だけ。解錠に関わる肝心な残りの部分は、見えない環の内側にあるらしい。
今日でもう四日目。
このままでは目的を果たすどころではなくなってしまう。
浴室を出て寝台に戻ってからも、右足を持ち上げて手を動かす。
もう無意識に足を撫でるようになっていた。
窓に向かう側に腰掛け、部屋に入ってくる陽の温かさで、湿った体と、濡れた髪を乾かしていく。
「……アリィ……お前そんな髪の色だったか?」
ぼんやりしているうちに、いつの間にか背後からコーネリアスが近付いてきていた。
すぐ側に立つとアリアクリスのまだ濡れている髪をひとふさ掬い取る。
「真っ直ぐ……でもなかったよな……」
明るく透き通る金の真っ直ぐな髪。
まだ部分的にくるくるが解けかけた髪が混ざっている。
「あ? 目の色もか?」
濃い茶だった瞳も透き通る紫に戻った。
魔術で変えていた色も質も、元に戻りだしたのは、枷を着けられた四日前からのことだ。
今さら何をとため息を吐き出す。
ぐいとあごを持ち上げられ、強引にコーネリアスの方に向かされる。
手を叩いて払うとそれに腹を立てたのか、苛立たし気に押し倒される。
「……見た目を変えてたのか、今まで」
馬乗りに跨っているコーネリアスを真っ直ぐに見据えた。
「いい加減しゃべれよ」
ぐと喉を押さえられて、その手も力一杯 叩いて払う。
「……外せ」
「俺の言うことを聞くのか」
「歩けなくなる……外せ」
「それ以外に話せないのか」
「……クソ野郎」
頬を打たれ、服を破かれた時点でアリアクリスは外側に向いている全部の感覚を閉ざす。
だらだらとしながらでも、日々の仕事は午前中に片付く。
何かと口うるさいセシリオの元に行くのは面倒だなと思っても、どことなくすっきりしない気がして、足は自然とそちらに向かう。
いつものように魔術局に入って、大部屋の真ん中を通る。
研究職や事務職の面々にへらへらと手を振って、際奥にあるセシリオの仕事部屋の扉を開けた。
「返せ」
「いきなりだな」
「いい加減にしろ。裁務局に突き出すぞ」
「……まだ使ってる」
「……まだ?」
「今、使ってる」
「今?……ずっと、じゃないだろうな」
「そう……かな」
「俺が何度も何度も言ったことは覚えてないのか」
「生命と尊厳がなんとかとかいうやつか?」
「……この紋様でどうやって手足を動かしているのか知っているのか」
「あ? 魔力で動かしてるんだろ」
「貸してから何日経った」
「……五日目か?」
「腐って落ちるぞ」
「は?」
「足が、腐って、落ちるぞ」
口をぽかりと開けて呆けているコーネリアスの座っている椅子を、セシリオは立ち上がって仕事机を回り込むと横から蹴り倒す。
ぎりぎりの所でコーネリアスは躱したが、それでもよろよろと床に手を突いた。
侮蔑の目で見下ろして、セシリオは無言のまま部屋を出ていった。
コーネリアスの暮らす部屋に向かう。
のそりと立ち上がってコーネリアスはその後をゆるりと追った。
「……足が腐って……落ちる?」
アリアクリスは暇さえあれば足を撫でていた。
用もないのに壁に手を突いてうろうろと歩く。
目障りだ、危なっかしいと言おうが、止めることは無かった。
歩けなくなると。
何度も何度も聞いた。
セシリオも使用はひと時だけだと忠告をくれていた。
体から魔力を排除するのは危険だと。
生命を踏みにじると。
貸し出す前から、何度も繰り返し。
術式を体に刻み、外側から動かなくなった四肢を動かしているのは、確かに知識として知っていた。
でもそれは人形のように陶器や木で作られたものではない。
血が通い、骨があって、腱や筋肉を収縮させて動く、生きた体だと。
アリアクリスやセシリオの動かなくなった脚や腕について、そこまで深く考えたこともなかった。
背筋にぞくりと冷たいものが走って、コーネリアスは足を早めていく。
最後の最後で追い付いて部屋に入ったのは、セシリオとほぼ同時だった。
アリアクリスはいつもいる寝台の上に、右足首を自分に引き寄せて座っていた。
だらりと力なく膝は外側に倒れている。
その足首は真っ赤に染まり、その下の布もぐしゃりと濡れていた。
「止めなさい! ああ……かわいそうに。もう大丈夫、すぐに外してあげるからね」
セシリオが駆け寄って寝台に飛び乗ると、血の流れる足首を押さえ、もう片方でアリアクリスが握っていた小剣を取り上げた。
「傷は俺が治そう……君は乱れてしまった力の調子を整えるのに集中するんだ、いいね? ……おい、何してんだそこの腐れ能無し! ぼさっとしてないで早く枷を外せ!」
取り上げた小剣をコーネリアスに、もちろん尖った方を向けて投擲する。
前に踏み出したことで腿の外側を紙一重で小剣がすり抜けていき、セシリオは大きく悪態を垂れた。
ふらふらと寄ってきたコーネリアスは鍵に当たる部分に自分の人差し指を押し付ける。
きれいにふたつに分かれた血塗れの環を外し、セシリオはすぐに閉じて、自分の懐の奥にしまった。
「力はまだ足に回さないで……少しの間 血を止めるよ? ……ひどい……腱が切れてしまっているな」
てきぱきした手付きで治療が始まったのを見て、アリアクリスはぱたりと寝台に倒れた。
目を閉じて胸に手を当てる。
「環を外すには足を落とすしか無かった。痛みは感じないし……足は後からくっ付ければいい」
「……そうだとしても、魔力が戻れば痛みも感じるようになる」
「環がついたままよりはマシ」
「……それについては、ごめんなさい。きちんと俺が管理すればこんなことには……」
「……あなたは悪くない」
「いや……俺の責任だよ。本当にごめんなさい」
「……もういいよ、外してくれたし」
「……ほんとに思い切ったことしたね……出来る限りきちんと繋げるけど……傷は残りそうだな」
足首の前後ともにぱくりと傷口を開けて、その奥には白いものがはっきりと見えていた。
セシリオは内側から外に向けて、少しずつ断裂した部分を繋ぎ合わせていく。
「……骨が切れないからどうしようかと思ってた」
ふふと口の端を持ち上げてアリアクリスは笑う。
セシリオはへにゃりと眉の端を下げた。
「ここまで持ちこたえてくれてありがとう。よく頑張ったね」
「歩けなくなると困るもの」
「そうだね……本当にごめん」
「……だからもういいってば」
後ろに下がったまま静かにしているコーネリアスを振り返る。
「……なんだその迷子の仔犬ちゃんみたいな顔。やめろ……お前にそんな顔する資格は無いぞ」
ふいと向き直ってもう少しで塞がりそうな傷口に力を注ぐ。
「……何か言うことは無いのか」
何か言いたそうな気配は感じても、なかなか言葉は発されない。
「……あなたはまともな人みたい」
声にセシリオが顔を上げると、待ち構えたようなアリアクリスと目が合った。
「まともな知り合いがいたのに驚いた」
「……自分でもどうして関係が続いてるのか驚く時があるよ」
手の中に水を呼んで、きれいに足の血を洗い流すと、敷き布のきれいな部分で水分を拭き取った。
「……うん。大丈夫みたいだな。少しずつ力を流していって? 急にならないように気を付けて。いい? ちょっとずつだからね!」
「……わかった」
まだ一言も話さない迷子の迷子の仔犬ちゃんを再び振り返り、セシリオは大きく息を吐き出した。
「戻って薬を持って出直す。それまでにここをきれいに整えておけ」
一転、振り返って優しく微笑むと、アリアクリスの頭をさらりと撫でる。
「またすぐに来るよ。それまで休んでて?」
「……うん」
言われた通り素直にくたりと力を抜いたアリアクリスに頷いて、セシリオは静かに部屋を後にする。
コーネリアスは重い重い足を踏み出して、一歩ずつ、ゆっくり足場を確かめるようにアリアクリスの元に近付いた。