しれものアドバンス
「……娼館に通うしかないな」
「……そうすれば?」
「何だよ、相手してくれよセシル」
「仕事してるんだ。邪魔するな、コニー」
コニーと呼ばれた男は、床に着いていた足を両方とも机の上にどかりと乗せる。椅子の背もたれに体重を預けて、手を頭の後ろで組んだ。
机を挟んで向かい側にいる男に向けて、仕事の邪魔をする気満々で口の端を片方持ち上げる。
可愛らしい呼び名とは反対に、動作は粗野な雰囲気もあり、屈強そうな体躯。だが身形は立派でそれに合わせて威風は堂々としている。
セシルと呼ばれたもうひとりは、靴の下から紙の束を引き抜くと、顰めていた眉を片方持ち上げた。
上品で几帳面そうな男。
コニーと比べると線が細く、怜悧に見える。
セシルは優雅な仕草で埃を払い、コニーの足が届かない場所へ、小さなため息と一緒に静かに紙の束を置き直した。
わざとらしく幼い頃の愛称で呼び合うふたりは幼馴染。
王城の一角で末端だが王に仕えている。
昼時を過ぎた眠気を誘う時間帯。
いつものように眠気覚ましに、セシリオ個人の仕事部屋をコーネリアスは訪れていた。
「中途半端な弱みじゃ、全然足りないんだよなぁ……」
「だから娼館? 醜聞ごときじゃ、決定的な弱みにはならないと思うけど」
「そりゃまぁ、醜聞じゃあな」
「どういうこと?」
「いや、あいつが懇意にしている娼婦が居てさ……」
仕事の手を止めようとしてくるコーネリアスに、まんまと話のきっかけを、うっかり与えてしまったことに、セシリオは息を吐いた。
いつもこの調子で午後の時間をなにかと潰してしまう。この時間を諦めたセシリオは、持っていたペンを置いて、背もたれに寄りかかって、話の続きを促した。
「そりゃもう、いい女らしい。あいつの一派が揃ってその女の元へ通ってるって話だ」
「へえ? ……で?」
「良い女の前じゃどいつも口が軽くなるんじゃないかと思ってな。その女が何かしら弱みでも握ってたら儲けもんだろう? 」
「……醜聞と何が違うのかな」
「国や立場を覆すような何かを、女にぺろっと喋ってやしないかと」
「……馬鹿なの?」
「そこに縋るしか無いくらい打つ手無しなんだよ、分かるだろ?」
「人気ならそれなりの理由があるはずだよ。客あっての商売だし、そう簡単に顧客の情報を漏らすとも思えないけど」
「だからお前に話したんだろ? 魔術でちょちょっと口を割らせろよ」
「そんな事に使う力なんて持ってない」
「それに、あいつらがどハマりする程の女ってのも、興味があるしな」
「……下劣だね」
「言われるまでもない」
じゃあ頼んだぞと立ち上がると、セシリオの返事も聞かずにコーネリアスは部屋を出て行く。
ご機嫌そうな横顔は鼻歌を振りまいていた。
あれでも昔は正しいことを正しく行おうとする、それなりに真面目な男だったはずなのに。
セシリオはひととき懐かしい昔を思い出してから、仕事を続けようとペンを取り直した。
コーネリアスの父もその父も、王城に仕える騎士であった。
家柄も実力も申し分無し。
コーネリアスの父は王の覚えもめでたく『王の剣』と言われるほど身近でその腕を振るっていた。
その子であったコーネリアスも、若い内から王族の警護に当たることも多く、次王となる王太子と歳が近いこともあって、『次の王の剣』とその道は約束されていた。
ところが成り上がってきた宰相に道を断たれることになる。
戦が遠退いたような時勢も相まって、これからは剣ではなく知で国を治めるべきだと宰相は王に進言した。
だからといって騎士が不要になる訳でもない。
王とて騎士を遠去けることはしなかったが、何かと目障りな騎士たちを、宰相は別の方法で払うことにした。
宰相に与する派閥と貴族で結託し、あらぬ嫌疑を作り上げコーネリアスの父を糾弾。
反論の余地も与えず、王からついに『王の剣』を取り上げた。
その命を懸けて疑いを晴らそうとしたが、それは叶わず、コーネリアスの父に極刑は課せられる。
その直前に、ことを予見していた父は親類縁者とは離縁をしていた。
コーネリアスの母、そして年の離れた妹は、今は王都を離れ、母の実家のある地方に身を寄せている。
騎士として身を立てていたコーネリアスは、それまでの働きもあって放り出されはしなかったものの、今は騎士号は剥奪され、王城の隅に追いやられた。
文官の下っ端の下っ端。
資料整理と保管といった閑職をしている。
暇であればあるほど碌なことは考えない。
真っ直ぐだったその性根も生き様も捻くれて曲がっていく。
騎士の資格を取り戻そうなどと前向きで無駄な努力をしなくなって随分経った。
父の無念と疑いを晴らすため、今では、王よりも多く実権を握っている宰相閣下を追い落とすことにその意義を見出していた。
何度かその喉元まで手が届きかけたが、あと一歩のところで取り逃がす。
周りを削ぐまでが精々で、なかなか宰相閣下その人までが遠い状態。
悪評は絶えず、清廉潔白とは程遠い人物なのに、コーネリアスも誰も、あと少しのところで何度も、尻尾すら掴み損ねていた。
そのコーネリアスを見てきたセシリオも、気持ちは痛いほど分かっている。
家族ぐるみの付き合いで、コーネリアスの父をもうひとりの父親だと思うほど慕っていた。
公私ともに面倒は降りかかっているから、余計に今の政権は鬱陶しくも感じている。
だからこれまでも出来る限りで協力をしてきたし、力を惜しんだことはない。
「……けど、気は乗らないんだよなぁ……」
形振り構わず、人を顧みなくなくなってきた最近の親友に、セシリオは息を吐ききってペンを置いた。
訪れた娼館は、さすが宰相閣下が御用達されるだけあって、高級に見える。
城都の一等地で、外観も規模も桁違いにきらびやかに感じた。
コーネリアスは件の娼婦を指名すると、誰とすれ違うこともなく、奥まった豪勢な部屋に通される。
案内をしていた少女が、しばらくお待ち下さいと恭しく頭を下げて部屋を出ていった。
居心地の悪さから部屋の中をあちこちしていると、扉を叩いて女が入ってくる。
「……お前がロアンナ?」
「ええ、そうですわ。旦那様」
男を虜にすると評判の娼婦。
どんな絶世の美女かと思っていたら、現れたのは、どこにでもいそうな女だった。
秋の葉色のくるくるとした髪をふわりとまとめ、質素で飾り気のない衣服を、普通に着て、襟元はきっちりと閉じている。
何かを間違えたような気がしているコーネリアスに、ロアンナはこちらにどうぞと長椅子に手を引いた。
椅子に掛けると、ロアンナはぴたりと張り付くのではなく、コーネリアスとは節度ある距離を保って横に腰掛ける。
注がれたままに酒を煽って、コーネリアスはロアンナに目を向けた。
近くで見れば、目鼻立ちが整っているのがよく分かった。柔らかそうな雰囲気と仕草なのに、顔の作りは凛としている。
幼さが抜けきらない、潔癖な少女のような顔立ちにも感じた。
清楚な見目の娼婦。
そういうのが宰相様はお好みなのかと、観察を続ける。
「ロアンナ……お前、年は?」
「まぁ……女性に年を聞くなんて」
落ち着いた声で軽く答えるロアンナは、ふふと楽しそうに笑った。
手を取られ、顔が近付いてきたので、コーネリアスは少し身を引く。
「客に口付けをするのか?」
「旦那様にはするものでしょう? 違ったかしら? それともただおしゃべりしにきただけ?」
おしゃべりは後からいくらでも出来るかと、頬に当てられた小さな手に自分の手を重ね、コーネリアスはロアンナを受け入れた。
「……それで?」
「なんじゃこりゃ、と」
「何がどうしたって?」
「すごく……すごかった」
「あー。その……技術がってこと?」
「技術も、具合も」
「ああそう。それはそれは」
「そりゃ人気も出るわ。通っちゃうし、周りに薦めたくなるわ、と」
「俺は遠慮しとくからな」
「なんだよセシルー。もったいないぞー」
「コニーみたいに困ってないし、節操無しじゃないからね。……で? 肝心な弱みとやらは聞き出せたの?」
「うーん……もう、それどころじゃないっていうか」
「阿呆なの?」
「自分でもびっくり」
「それで今晩もって?」
「……自分でもびっくり」
「下衆だね」
「知ってる」
コーネリアスが訪れるとロアンナは嬉しそうに駆け寄って来て、口付けをせがむ。
そこから先はもう自分が楽しむことに終始してしまい、いつも時間切れになって、ろくに話などできない。
流石に幾晩もそれが続けば、セシリオももう呆れてしまい、まともに話を聞いてくれなくなっていた。
コーネリアスもいい加減、情けなさを自覚している。
昼間のうちは。
「んーでもなぁ……あんな口付けされたらなぁ……ぱーんて理性なんてどっかに行っちゃうんだよなぁ」
「……毎回?」
「なにが?」
「その口付けは、毎回?」
「おう」
「いつ?」
「いつって、割と会うなりだな」
「それで理性がどっかに行くの?」
「……そうだな」
「おかしいと思わないの?」
「どこが? だって、すごくすごいんだぞ?」
今までコーネリアスに他人の魔力の残渣が無いからなんとも思っていなかった。
そもそもコーネリアスの家系は魔力耐性があったから、影響は受けにくいのを知っていた。
翌日には跡形も残さない程しか魔力を使わない。
最小で効率的に体内に叩き込む。
そう、口付けのように直接なら簡単だ。
「精神操作されてるよ」
「は?」
「そうだな……魔術を増強させるような……何か、身に付けているものはないかな、指輪とか、耳飾りとか」
「ああ、いやそんなものは……」
「まぁ、そうか。客にケガさせそうなものは身に付けないか」
「……でも、足が不自由なんだろうな、お前と同じような紋様が入ってたぞ」
セシリオの左腕をコーネリアスは指差す。
「……足のどこに?」
「うん? 右足全体に、だな」
「全体に?」
セシリオは年若い時分に、好奇心から発動させた魔術が暴走し、それが元で左肘から先が動かなくなってしまった。
形は運良く残っていたから、肘から下、指先にまで術を刻み込んで、そこに魔力を通し、普通と変わらぬように動かしている。
医療ではどうしようも出来ない四肢の不自由を、術を刻み魔力を通して外側から動かす、ということは珍しくない。
それでも施術を受けるには相当の資金が要るし、何より動かす為には相応の魔力が必要だ。
「足一本動かすのに、どれだけの魔力が要って、その制御がどれだけ面倒なのか知ってる?」
「は? そんなに大変なのか?」
「宮廷魔術師の俺が、左肘から先でそこそこ気を使う」
「そうなのか? でもまあ、何とかなるもんだろう?」
慣れた者からなら魔力の受け渡しは難しいことはない。体に直接 術式を刻み込めば、制御は比較的 難しくはなくなる。
それを知識として知っているコーネリアスは、どうということない顔をしている。
魔力は術や道具無しには、取って置いておけたり、貯めておけるものでもない。
魔力を持つ人ならば、多かれ少なかれ、誰でも日々少しずつその辺りに垂れ流して生活している。
生きている間は絶えず体内で作り出され、魔力がその身に余ると内側から弾け飛んでしまうからだ。
実際、魔力量の多い者は余剰な魔力を道具や石などに込めて売っている。
生活に関わる些細なことにも魔力は必要だから、それを買っている魔力量の少ない者も、魔力を持たぬ者も、もちろんいる。
「それにしたって、足を動かそうと思ったら、大量に買わないといけないし、かなり高額になるよ」
「……足を動かす為に体を売ってるのか? なんだか遣る瀬ないな」
「……同情は結構だけどね」
「なんだ?」
「お前、精神いじくり倒されてるからな」
「もしかして、すごくすんごいって、騙されてるのか? あのめくるめくなアレは、まやかしなのか?」
「九割九分がたそうだと思う」
「……それもう、十割でよくないか」
「一分はお前への気遣いだよ」
「わぁ、優しいな。セシル」
「知らなかったのか? コニー」