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英雄の右腕

 キースは一人で学園の東にある都市フラムスティードへと向かう。


 その北東地区、比較的歴史を感じさせる大きな建物が多いことから俗に貴族街とも呼ばれている一角にその建物はあった。


 閉じた門の前に立つ見張りにキースは話しかける。


「約束しているキース・ブランドンだ」

「承っております。少々お待ちください」


 そう言って一度屋敷に入っていく見張りの男性からは、かすかな魔力の流れを感じ取れる。


 騎士には到底なれないが、一般市民として暮らすのであれば引く手数多であろうという人物。


 そうした人物を何人も常時雇っておける程度には、この家の主は裕福な暮らしをしていた。


 少し待つと、先ほどの見張りの男性を従えて、この屋敷を取りまとめているであろう老執事が現れる。


「主人がお待ちです。こちらへどうぞ」


 促されるまま門をくぐり、キースは老執事の後ろを歩く。敷地内の庭はよく手入れされているが、必要以上に華美でもない。


 それは屋敷の中も同様で、装飾も必要最低限といった様子。質素ではないが、その地位をひけらかすような趣味は、少なくともこの屋敷からは感じられない。


 応接室に着き、老執事がノックをしてキースが到着したことを告げると、部屋の中から入るようにと低い声が響く。


「どうぞお入りください」


 そう言って老執事はドアを開け、キースが中に入る。老執事は一礼して部屋から出ていき、キースはその人物と部屋に二人きりとなった。


 部屋の中にいたのはブノワ・バリエ伯爵。第十一騎士団の前騎士団長であり、その杜撰な作戦指揮を理由に、キースが彼の顔面を殴ったことで、キースは左遷されて今教師をしている。


 そんな双方にとって因縁のある再会だったが、それを望んだのはキースの方からであった。


「座ったらどうだ、キース・ブランドン」

「ああ」


 遠慮も挨拶もないキースの態度に、相変わらずだと感想を抱くブノワだが、不思議と苛立ちを見せることはなかった。


「お前から話があると言われて、正直驚かされたよ。儂を更迭してしまえば、それで用済みだったのではないのか?」

「……? 別に俺があんたを更迭したわけじゃないだろう」


 そう言いながらも、キースはブノワからの質問に引っかかりを覚える。


 ブノワの更迭は、ブノワが無謀にも大規模な攻勢作戦を行い、多大な被害をもたらしたことで貴族院が決定したものである。


 そこに誰かの意思や思惑は介在していない――少なくとも表向きは。


 はるか以前から実際にこのシナリオを描いていたのはアラン王子だが、その事実を知っているのはおそらくキースだけのはずだった。


 ブノワが単に他責思考で、自分が更迭されたのは誰かにハメられたと思っているだけなのか、それともアランの思惑に気付いているのか。


「……ふん、かまをかけてみたが、表情一つ動かさないか。これだからお前のことは好きになれん」


 ブノワはキースにかまをかけて何か情報を得ようとしていたようだが、それを行おうと思う時点で、何かに気付いていると考えてもよさそうだとキースは判断する。


(指揮官としての適性はなかったが、ただの無能ならそもそも指揮官まで上り詰めていない、か)


 元々キースは配属される前に第十一騎士団の資料を頭に入れていた。


 資料において、ブノワは父である英雄エリック・バリエの右腕として、その指示を忠実に実行する優秀な騎士だった。規律を重んじ、必ず命令を遂行するその姿から、鬼の副団長と周囲には恐れられていたのである。


 しかし実物に会って、キースはすぐにがっかりさせられることになったのではあるが。


「悪いが、早速本題に入らせてもらう。ブノワ、あんたは狂信者(ベドラマイト)の戦闘を直接見たことがあるな?」

狂信者(ベドラマイト)か……忌々しい名前だな。当時はまだ名前がついていない新種だったが……その様子だと、戦場にまた現れたか」

「ああ。だがあれを倒すための情報が足りない」

「倒す? あれを? はっはっはっ、魔法しか能のない貴様が? 馬鹿を言うな!」


 キースが狂信者(ベドラマイト)を倒すと発言した瞬間、ブノワは嘲笑するように笑い声を上げたが、キースはただ冷静に返す。


「それを判断するための情報だ。俺が最適なら俺がやる、そうでなければそいつのフォローをする。何か問題か?」

狂信者(ベドラマイト)は、我が偉大なる父、英雄エリック・バリエですら一矢報いるのが精一杯だったのだ! 今の第十一騎士団の能力はよく知っているが、あれには傷一つ付けることすら出来ん」

「エリック・バリエが一矢報いた……? その話、詳しく聞かせてくれ」


 キースはブノワのその言葉に反応すると、まっすぐブノワを射抜くように真剣な眼差しを向けた。


 ブノワは一瞬それが人に物を頼む態度かと言いたくなったが、今更キースに礼儀を説く無意味さも理解していたようで、怒りを鎮めるように静かに口を開く。


「……キース・ブランドン、お前はエリック・バリエがどのような騎士だったか知っているか?」

「一言で言うなら戦術の天才だ。彼が残した戦闘記録が戦技教科の教科書を大きく書き換えた。指揮官として、歴史上でもトップクラスに優秀な人物だろう」

「一般的な認識だな。だが息子としてその背中を見てきた儂からすれば、父は剣術に優れた勇猛果敢な騎士だった。物心ついた頃に伝え聞いた話では、常に最前線で戦場に立つ、最も危険で最も名誉な役割を任されていたそうだ」

「……まさか生き残ったのか? 何年も、騎士団長に昇進するまで、ずっと?」

「ああ。お前のように圧倒的な殲滅力の魔法が扱えたわけでもない。剣術に優れたといっても、学生時代に王立騎士学校の中でトップというわけでもなかった。そんな騎士が、あの役割で生き残る異常性。それに気付いたのは儂自身も騎士団に入ってからだ――だが、ついに最後まで父には何が見えていたのか、儂には分からなかった」


 語られるエリック・バリエという人物の異常性。彼には何が見えていたのか、それが分からないからこそ、ブノワは彼のような指揮官にはなれなかった。


「エリック・バリエのことは分かった。それで彼はどうやって狂信者(ベドラマイト)に対抗したんだ?」

「……あの日は本当に突然、前線が崩壊した。過去に例を見ない魔物の大攻勢で、前線からの報告も混乱していたが、父は即座に拠点の放棄を決断し、儂は副団長として各部隊の後方陣地への撤退を指示した」


 キースはその話を聞いて、つい先日アルドロス騎士団長代理も同じ判断をしたことを思い出す。あれはエリック・バリエの判断を踏襲したものだったようだ。


 ブノワは真剣な表情で、当時の状況を思い出しながら続ける。


「しかし被害は甚大で、部隊を再編制しても戦線を維持するのは困難な状況だった。さらに前線から退却してきた騎士たちは口を揃えて『魔法が通じない新種の魔物が出た』と言う。騎士たちの士気は低く、魔物の主力はすぐ目の前まで迫っていた」


 実際はこの時点でいくつかの魔物は拠点を迂回し、すでにサイリス領に浸透していたのだが、当時のブノワたちがそれを知る術はない。


 第十一騎士団の前線が崩壊した時点で、サイリス領の滅亡は確定していたというのが後の調査報告書による見解だった。


「新種の魔物と戦って勝てる保証はなく、とはいえこれ以上戦線を下げれば一般市民への被害も避けられない。そんな中で父はこう言った。『今の我々であの魔物を倒すことは出来ないだろう』と」


 そしてエリックは続けて、「だがあの魔物をこのままにしておけば、人類は南西部の大半を失うことになる」と言ったのだとブノワは語る。


 報告されるどの情報が正しいのかも分からない混乱の中で、エリックだけが何かを理解していた。


 戦闘開始から前線の崩壊するまでの時間、各部隊の被害の大きさ、魔物の進行速度。あるいはそのどれでもない何か。


 一体何をもってエリックがその判断に至ったのかは、もはや誰にも分からない。ただ数々の戦場を生き抜いてきた英雄の直感を疑う者は、彼の部下には一人として存在しなかった。


 その後エリックはサイリス領の崩壊を予見し、各部隊を分散させながら撤退させ、道中で救えるだけの市民を救ってマグノリア領へと逃げ延びることを指示した。


 一方でエリックは後に狂信者(ベドラマイト)と名付けられる、魔法を無効化する新種の魔物の足止めを行うため、騎士団のエースである二人の術士とブノワを連れて戦場に向かった。


 エリックは術士の二人に、狂信者(ベドラマイト)の周囲の小型魔物を殲滅するように指示を出した。術士が長い詠唱の末に戦術級の二属性複合魔法を放つと、狂信者(ベドラマイト)まで一直線に道が切り開かれる。


 そしてエリックは勝てないと知りながら、それでもそれが今必要なことだからと、決死の覚悟で剣を構えて駆け抜ける。


 風魔法で騎士剣を加速してただ投擲するだけでは、おそらく届かない。精度も足りない。


 ゆえに身体強化による跳躍と自身の剣技、それを得意の風魔法で一気に加速させ、エリックは己の身を一本の剣として狂信者(ベドラマイト)に突撃した。


「――そして儂が最後に見たのは、あの魔物の四本の剣に全身を切り刻まれながらも、その首元に片手で伸ばした騎士剣を届かせた父の姿だ」


 死を恐れず、名誉のためにその一歩を踏み込んだ英雄エリック・バリエだからこそ、その剣は届いたのだろう。


 そしてその傷が原因かは不明だが、その後十五年間は狂信者(ベドラマイト)が戦場で確認されることはなかった。


 結果として人類の手からサイリス領は失われたが、言い換えればエリック・バリエの命を賭した時間稼ぎによってサイリス領のみの犠牲に抑えられたのである。


「……ありがとう、参考になった」

「ふん、まさか貴様の口から礼の言葉が聞けるとはな」


 ブノワはそう憎まれ口を叩くが、その表情はどこか晴れやかにも見えた。


 ブノワの話を聞いたキースには一つ分かったことがある。ブノワは父エリックを崇拝している。そして父の築き上げてきた名声を、より広く知らしめたいと願っている。


 ブノワは父、あるいはバリエ家を軽んじられることが許せない人間だった。当時「一番生き残るべきだった英雄を死なせたこと」を非難する声が貴族院の一部から上がっていたがそれはエリックの選択を軽んじることであり、ブノワにとっては許しがたいことであった。


 だからこそ残された自分がエリックの選択の正しさを証明しなければならないと考えたブノワは、貴族院から騎士団長に任命されると、それから必死に努力して第十一騎士団の再建に努めた。幸いエリックが騎士団に残したドクトリンは、生き残った騎士たちに受け継がれていた。


 ブノワは新たな戦場となる旧サイリス領とマグノリア領との境界に陣地を構築し、部隊の再編制、補給ルートの最適化、任務の負担分散など、事務的な面ではエリックの右腕として活躍していた頃の優秀さをいかんなく発揮していた。


 一方で斥候からの報告から作戦を考え、戦闘を指揮する能力に関してはエリックに遠く及ばなかった。それでも最初のうちは、エリックの真似事をすることで、騎士たちも上手く立ち回っていた。


 しかし年月が経ち、エリックの教えや戦い方を知らない騎士が新たに増えていくにつれて、第十一騎士団の歯車は狂っていった。


 明らかにその戦場において最適ではない作戦を、エリックがやっていたという理由で強行するブノワ。エリックの真似に固執するあまり、柔軟性を失った第十一騎士団の序列はどんどんと落ちていき、それに焦ったブノワはさらなる失策を重ね、ついには序列で最下位にまで転がり落ちた。


 ――焦りと重圧が生む負の連鎖。


 そんな状況にあって、ブノワが何よりも許せなかったのは、父の名声に泥を塗った自分自身に違いなかった。


「なあ、ブノワ。組織内で優秀な人間は昇進していくが、その昇進はどこで止まると思う?」

「はぁ? そんなもの、その人間の能力に見合った地位で止まるに決まっているだろう」


 何を当たり前のことを、と言いたげな雰囲気で腕を組むブノワに、キースはただ淡々と続ける。


「俺の考えでは、そいつが実力を発揮できず結果が残せない、適性のない仕事を任せられる地位になったときに止まるんだ」

「……何が言いたい」

「ブノワ、あんたは英雄の右腕という、ナンバー2の地位で優秀だったあまり、向いていない騎士団長にまで昇進させられてしまったという話だ」

「ふん、今更そんなことを言われたところで、慰めにもならんだろう。それとも何か、貴様の右腕でもやれと、まさかそんなふざけたことを言うつもりじゃあないだろうな?」

「俺は英雄の器じゃない。だが、もし英雄が誕生するとしたら……そのとき、あんたの能力を生かしてみるつもりはあるか?」


 ブノワは一瞬、目の前のキースが何を言っているのか理解できなかった。


 キースは一個人としては間違いなく人類最強ではあるが、そのことを自覚して能力をひけらかす生意気な若造だとブノワは思っていた。


 謙虚さや遠慮とは無縁で、魔物を一体でも多く、効率良く殲滅することにしか興味がない。他人を信用せず、他人と打ち解けることもなく、いつだって全てを自分一人の力で解決しようとする、言ってしまえば子供が力だけをもってしまった存在。


 そんな驕り高ぶっているはずのキースが、自らを英雄の器ではないと評するというのは、ブノワの中のキースからすればありえなかった。もちろんそれはブノワがキースの表層しか理解していないからこそではあるのだが。


 そしてブノワが何よりもひっかかりを覚えたのは、英雄が誕生するとしたら、という部分だった。


「最強の賢者のお前が英雄の器ではない……? いや、それよりも英雄が誕生するとしたら、だと? そんなもの、簡単に生まれるわけないだろうが!」

「そうだな、十五年かかった。……なあブノワ、あんたの父エリックが命を賭けて稼いだ十五年という時間が、決して無駄ではなかったと証明してみるつもりはないか?」

「……くくく、はっはっはっ! まさかお前の口から、そんな人情味のある言葉が出てくるとはなぁ! ……ふん、結局儂がお前という人間の本質を見誤っていたということか」


 ブノワは瞑目し、少しの間物思いに耽る。


 そうして次に目を開いたとき、その瞳には強い光が宿っていた。


「キース・ブランドン、その話、詳しく聞かせてみろ」


 そう言ったブノワには、かつて英雄の右腕として活躍していた頃の活力が戻ろうとしているのであった。


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