大局観
生徒たちが実際に後方任務に携わるようになって、一週間が過ぎた。
王立騎士学校の理事長室には、主であるセレーネと彼女に呼ばれたキース、そして騎士団から現状の報告のために訪れたアデルの姿があった。
「セレーネ先輩……失礼、セレーネ理事長」
「先輩でもいいわよ、顔なじみしかいない場だから」
「いえ、一応は公式の任務として来ているので……早速報告ですが、ここまで生徒たちの後方任務における事故はゼロです。各チームに最低一人は騎士が監督者として付き添っていますが、彼らの報告からも、その優秀さに驚きや称賛の声が多く上がっています」
「……続けてください」
セレーネは生徒たちの無事を喜ぶ様子もなく、アデルの報告の本題となる部分を話すように促す。
「はい。今回の後方任務ですが、想定しているよりも魔物との遭遇および戦闘回数が非常に多くなっています。原因としてはやはり南方最前線陣地を失ったことにより騎士団の勢力圏が後退、その結果として監視網をすり抜ける魔物が増加しているのだと考えられます」
「…………」
「その中で一件、事故には至っていませんが要報告とされる事象が発生しています。三人一組での哨戒任務中にDランク小型魔物数体との戦闘中、地中からDランク中型魔物が出現。本来であれば撤退して援護を要請しなければなりませんが、挟撃される形となり戦闘に突入しました」
中型魔物は小型魔物と同じランクでも危険度は大きく異なり、本来であればDランク中型魔物には十人規模の騎士で応じることがセオリーとなっていた。
もちろん実力のある騎士であれば一人で倒せる相手だが、常に一対一で戦えるわけではなく、連戦も考えられる以上、安全を考慮するに越したことはない。
「生徒たちを守っていただいた騎士の方には感謝しかありませんね」
「いえ、それが……」
セレーネが優しく微笑みながら感謝を口にすると、アデルは気まずそうに目線を逸らす。
そんな中、特に気にすることなく淡々と口を開いたのはキースだった。
「中型魔物を倒したのはルカ・リベットだ。騎士は一年と二年の生徒と共に小型魔物の対応に当たった。そうだな、アデル?」
「ええ。そうです。ティム……その騎士はこう言っていました――ルカ・リベットがいなければ、我々は全滅していた――と」
現在後方任務に就いている騎士は十全な戦闘能力を有してはいない。それでも後方任務程度であれば問題なくこなせる、はずだった。
しかし戦況が変化し、中型魔物までが騎士団の勢力圏にまで出現するようになったとなれば話は変わってくる。
「もはや後方任務は安全とは言えない……ということですね」
今回生徒たちが無事だったのはただ幸運であったからという事実を噛みしめるように、セレーネは静かにそう言った。
ちなみにルカと同じチームの一年生はラウルであり、キースは事前に彼からも報告を受けている。
「あと数日もすればD組からF組の第二グループが後方任務を主に担うことになるが、このタイミングで後方任務の見直しを検討した方が良さそうだな」
「ええ、騎士団としては戦力を前線から動かすことは出来ませんが、後方任務の危険度上昇から輸送計画等の見直しは必要と考えています」
「……分かりました。会議を開いて先生方の意見を聞きながら、全体の調整を行います」
そんな形でアデルによる一旦の報告は終了する。
セレーネの本心からすれば、後方任務の見直しは本来騎士団の領分であり、その調整を学校側が請け負うこと自体があまり良い状況とは言えない。
正確な情報や経験がある騎士団が見直す方がより良く安全な作戦計画になるはずだが、そこに割く労力もない程度には前線は緊迫しているということに違いなかった。
バラックをはじめ、騎士の経験がある教師は複数いるが、彼らも決して後方任務の作戦計画を作る専門知識があるわけではない。前線で指揮官の命令に従って戦ってきた騎士としての側面が強かった。
といってもやらなければ生徒たちが危険にさらされる以上、やるしかないのではあるが。
そこからは軽く雑談をしていたが、そんな中でアデルがふととあることを口に出す。
「ところでセレーネ理事長……狂信者ってご存じですか?」
「ええ、十五年前の敗戦の原因となった魔物でしょう? 戦闘記録が残っていないので詳細は不明だけど、生き残った騎士たち曰く、魔法が通じないとか――」
「はい。現在の我々の調査では10メートルほどの距離で魔力が霧散してしまうというところまで分かりました」
「それはつまり、火も水も土も風も、魔法で生成したものは全て消滅するということ?」
「はい……身体強化魔法も無効化されるので、10メートルまで近寄られたら逃げることも困難ですね。ただし、元々ある物質を土魔法などで形を変化させたものに関しては消滅することはないようです」
そこまでアデルが話したことで、セレーネはアデルの意図に気付く。
もちろんアデル自身も隠すつもりはなく、むしろ気付いてもらった方が話が早いとさえ思っていた。
「……その話を私にするということは、私の空間魔法を利用できないか、という話なわけね?」
「さすがですね……それで、どうですか?」
「……無理ね」
「やっぱり駄目ですか」
がっくしといった感じで、大げさに肩を落とすアデル。
アデルとしては、セレーネの空間魔法で狂信者の頭上に巨大な岩などを転移させ、押しつぶすといった攻撃方法を考えていた。
しかしセレーネの空間魔法は、転移させる物体の質量に応じて必要な魔力は急激に増大していく。
それを補うためには魔法陣による補助が必要になるが、相応の準備期間が必要であること、何よりあらかじめ転移先の指定が必要であることから、未来の狂信者の位置を正確に予測しなければ攻撃として成立しない。
「とはいえ次に狂信者が動き始めたときは総力戦になります。そうなれば長期戦に耐えるために、相応の物資を運搬する必要がありますが――」
「戦いが長期化すれば、後方とはいえ生徒たちは危険にさらされる、と」
「もちろんそうならないよう最善は尽くしますが、そもそも我々が狂信者に勝てなければ、安全も何もあったものではないというのもまた事実です」
アデルの言葉にしんと静まりかえる理事長室。
沈黙を嫌って最初に口を開いたのはアデルだった。
「キース君、あれから何か狂信者を倒すアイデアは見つかった?」
「アイデアだけなら山のようにな」
「現実的な策を見つけるにはまだ時間はかかる、ということね」
キースの言葉の意味を即座に汲み取るセレーネ。
アイデアを探すとき、思考パターンは大きくわけて二つある。
周囲から材料を集めて形を作り上げる方法と、大きな材料から彫刻のように削り出して形を作り上げる方法。
今のキースは後者の手法でアイデアを見つけようとしているが、リスクや成功率、実現性を考慮して削っていくと策といえるような形にならないのが正直なところだった。
とにかく情報が足りない、というのがキースにとって一番のボトルネックとなっている。
「せめて実際に狂信者の戦闘を見た騎士の話でも聞ければ良いんだが……」
「今の第十一騎士団にも十五年前から所属してるベテラン騎士はそれなりにいるけど、狂信者と相対した騎士は一人もいない……いや、一人だけいるね。でも――」
「誰だ、それは」
「――ブノワ・バリエ前騎士団長。たぶんキース君とは相性最悪だし、話してくれるとも思えない」
「ブノワか……」
キースは少し静かに考えを巡らす。
ブノワという男の事。何故彼は騎士団長になれたのか。彼の家柄、能力、特性、実績。
そして自分たちの今置かれている状況。大局を観るというのは、キース自身あまり得意ではない。そういったマクロな視点はアランの領分であり、キースはミクロな物事に対する解決能力こそが自身の長所だと知っている。
しかし、だからこそこの状況は――あまりにも無駄がない配置だと言えた。
まるでこの状況を作り上げれば、キースであればその答えを見つけるだろうと言わんばかりに。
「セレーネ理事長、一つ頼みがあるんだが――」
そう言ってキースは真剣な目で、セレーネのことをまっすぐに見るのだった。