教師の立場
生徒たちが列をなす最後尾についてキースは走る。この行程に同行を許可されているのは騎士学校を卒業して騎士資格を持つ教師のみだった。
しかしセレーネの教育改革により、指導力さえあれば騎士資格の有無を問わず教師を採用した結果、各学年のAからC組の九クラスで騎士資格を持つ担任教師は五人だけである。
そして体力や魔力等を含めた現在の状態を考慮して、実際に同行したのは三人。一年A組のキース、一年C組のミレーヌ、そして三年A組のロニーという中年の男性教師だった。
ロニーは北東のアルテラ領出身の平民である。もじゃもじゃ頭のくせ毛が特徴的で、過去には第六騎士団に所属していたが戦闘で大怪我をした後、戦場に復帰することなく地元で剣術と魔法を教える道場を開いていた。
何か後遺症があったわけでもなく、本人にそのつもりがあれば騎士団に復帰することも可能だったが、精神的に何か大切なものがぽっきりと折れたことを自覚し、第二の道を歩むことに躊躇はなかった。
そんなこともあって地元では変人扱いされることも少なくなかったロニーだが、実際はかなりの常識人である。ただ物分かりが良くて判断が早いため迷うことが少なく、何より騎士団に対する執着も他人より薄かっただけだった。
ロニーの道場出身者は騎士学校への進学率だけでなく卒業率も高いことが評価され、四年前にロニーはセレーネにスカウトされて今に至る。ちなみに既婚者であり子供も三人いる中での単身赴任だが、前線で戦う騎士がいるこの世界では珍しいことではない。
そんなロニーは、キース、ミレーヌと並んで走りながら、小さく独り言を呟いた。
「これは良くないな……生徒たちで修正できればいいが――」
生徒たちが特に問題なく走って移動しているように見える中で、ロニーはすでに問題を見つけていた。
それはロニーからすればすでに教えたはずのことだったが、こうして騎士団の人間に囲まれ、いきなり示された行程を移動させられることに生徒たちが緊張しないはずもなかった。
教わったことを実践できず、実力を出し切れない生徒たち。それはまるで戦場で死んでいった仲間の騎士たちの姿のようで――。
一瞬よぎった残像を振り払ったロニーは、今すぐにでも生徒たちに指摘したいところだったが、今回の行程では教師たちの口出しは騎士団側から禁止されている。
騎士団の人間が知りたいのは生徒たちの現時点での本当の実力であって、教師たちの指導の優秀さではないからだ。
そうこうしているうちに、クリングゾール砦が見えてくる。
その特徴は全長100キロメートルを優に超える長城であり、北のヘクレム領との間にまたがる険しい山脈から、南の海側までを高さ7メートルほどの防壁が土と石によって構築されている。
魔物との戦いの前線でもない場所に、なぜこのような巨大建造物が存在するのかといえば、これは三百年以上前の人類同士の戦いの頃に建設されたものだからである。
それを今でも改修しながら、マグノリア領の最終防衛ラインとしていた。実際ここより東に関しては魔物の脅威はないものとされ、市民たちも安心して活動することが出来ている。
「凄い……」
私語は禁止されていたが、それでもクリングゾール砦を初めて見た生徒たちは驚きの言葉を口々に漏らす。そしてそれを咎めるほど騎士たちも鬼ではない。
「見えてきたけど、実際は城門まで距離があるからね。気を抜かないように」
アデルの声が響くと、生徒たちは気合いを入れなおして前を向いた。
クリングゾール砦に到着すると、生徒たちは息をつく間もなく施設の案内をされる。
宿舎、病棟、食堂、訓練場、馬房、武器庫、食糧庫といった砦側の主要な設備の他、市民が騎士や砦の職員を相手に商売するための商業エリアなどもあり、生徒たちの多くは目を輝かせて見学していた。
クリングゾール砦の中央部は現在でこそ小さな都市のようになっているが、本来の役割は近隣の都市から集めた物資を保管し、輸送隊を編成して前線に物資供給を行う軍事施設としての側面が強い。
馬車の整備や馬の世話を行う人員や、負傷した騎士を収容したり治療を行う医療関係者などは全てマグノリア領主家の協力によって提供されており、騎士団と領主家の間では複雑な取り決めが行われている。
とはいえその詳細は騎士でも把握している者は一握りであり、実際のところは「領主家側の人員とは敬意をもって接し、揉め事を起こさないように」という最低限の約束事だけが騎士団の間では伝わっている。
「――というわけで、彼らに嫌われたら君たちの命は無いものと思いなさい」
そんな風にアデルは冗談めかして生徒たちに語る。
それを聞いていたキースとしては、嫌われ役を頼んだはずなのに徐々に化けの皮がはがれつつあるように感じるが、まだ生徒たちにアデルの冗談で笑う余裕はなさそうだった。
そうしてクリングゾール砦内の飾り気のない食堂で昼食となる。800人以上いる全校生徒たちが入ってもなおがらんとした印象がある広さは、本当にここに全兵力を集結させて防衛することを想定されているのだと感じさせる。
最も近い都市であるフラムスティードから運ばれた豊富な食材は魔道具の力もあって新鮮で、提供された料理もここが戦地との境界であることを感じさせないほどに美味だった。
教師たちは教師たちで集まって食事を取っており、同じテーブルで食事をするキース、ミレーヌ、ロニーの三人は、ロニーが会話の中心となっている。
「――それにしても、ミレーヌ先生も騎士資格をお持ちでしたか。いや失礼、騎士資格持ちの若い人材を引っ張ってくるのは難しいとお聞きしていたので」
「そうですね、普通は騎士団に行くので。私も地元の騎士学校を卒業して、最初は騎士団に行くつもりでしたから」
「そうでしたか……」
ロニーはそれ以上踏み込んだことは聞かず、暗に話したくなければそれでいいという雰囲気で言葉を区切る。
騎士団に行こうと思っていて行かなかった理由というのは、大方怪我や病気、あるいは実力不足といったところで、それらはあまり人に話したいものでもない。つまりロニーはデリカシーというものをある程度は持ち合わせていた。
「怪我や病気という感じはしませんし、実力的にも問題なさそうですが」
「ははは……まあ確かにミレーヌ先生であれば騎士団でも活躍できそうですよね」
そこにデリカシーを持たないキースが口を挟むと、ロニーは苦笑いをしながらキースをフォローする。
そんな二人の対照的な様子が可笑しかったのか、ミレーヌはくすりと笑う。
「ふふっ、ありがとうございます。私の場合はセレーネ理事長に直接教師にスカウトされて、それで教師になることにしたんです」
「なるほど、しかし家族の反対とかも大変だったでしょう」
ロニーは自分の経験と照らし合わせながら会話を広げていく。
「私も家族を説得するのが大変だと思ってたんですが、セレーネ理事長が先に話を通していたみたいで、すんなりと進路が決まって拍子抜けしたというか」
セレーネは各領を回って王立騎士学校の教師をスカウトしており、王立騎士学校の教師の半数以上がそのスカウトにより教師となった人物である。そしてそれはミレーヌだけでなくロニーも同様だった。
そんな風に教師同士で雑談をしている中、キースは視界の端で動いたルカを目で追うと、ルカはエリステラの元まで歩いて声をかける。
「エリステラ、問題点を洗い出したい。少し話せるか?」
「はい、ルカ先輩」
そうして二人はそのまま他の生徒たちから少し離れたテーブルに移動していった。
「ルカが動きましたね」
「ええ、生徒たちで建設的に話し合いをして、騎士団の人たちに実力を示してほしいですね」
ロニーの言葉にミレーヌがそう反応する。
今回の行程はただ集団で移動するだけのものだが、その中で騎士たちは生徒たちがどの程度使い物になるのかを判断しようとしていることは明らかだった。
しかし一方で充分な実力を示した場合、生徒たちはより早期に任務にあたることになる可能性もある。
本来であれば、騎士学校を卒業して騎士団に入団してから過去では一年、短縮された現在でも三か月の訓練期間がある。だが生徒たちにはそれがなかった。
――果たして現状のまま、後方任務とはいえ戦場に立つことは生徒たちにとって良いことなのだろうか?
教師の立場からするとそんなことを考えずにはいられないロニーは、ふとキースの表情を窺うと、キースは普段通りの静かな表情で何かに思考を巡らせていた。
ロニーからするとキースという教師のことは、まだよく分からないというのが正直なところだった。
それでも彼がいつも生徒のことを考えていることは分かる。そしてもし生徒たちに危険が迫れば、きっと彼はその力をもって救おうとするだろう。
そのくらいの責任感はキースにもあるのだと感じられる。そしてそれがあるなら、教師として充分すぎるくらいだろうというのがロニーの考えだった。
教師といっても聖人ではない。あくまでも一人の人間であり、一つの職業でしかないのだ。
生徒のために命をかけられるかと言えば、ロニーだって即答は出来ない。むしろ考えた末に妻子の顔を思い浮かべて、命まではかけられないと答えるはずだった。
だがキースは命をかけるまでもなく、圧倒的な力で魔物を退けることが出来る。
ロニーからすれば、そのことを全く羨ましくないと言えば嘘になる。
しかしその力があるからこそ生じる重責――若干二十歳の青年の両肩にかかるそれがどれほどのもので、キースがそれをどう感じているのかと考えると、やはりロニーにはキースという教師のことがよく分からないと言う他ないのだった。