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緊張した空気

 生徒が学習のために借りられる教室で、机の上に広げられた大きな地図に配置された駒を動かしながら、熱心に議論をしていた。


 その中にはエリステラの姿もある。そしてその中心にいるのはリチャード・カーツ。

三年D組の所属するずば抜けた戦技教科の成績で有名な生徒である。


 これは彼が主催する研究会であり、各騎士団の戦闘記録について学ぶことを目的としていた。学内大会後、エリステラは彼に声をかけられ、週に一度この研究会に参加している。


 その日の研究会も無事に終わると、リチャードはエリステラに声をかけた。


「エリステラ、やはり君に声をかけて正解だったよ。君の柔軟な発想はとても良い刺激になる」

「リチャード先輩。正直、先輩方と比べて知識が足りていない自覚はあるので、そう言っていただけると助かります」


 まだ入学して半年足らずのエリステラは、授業で本格的な戦術論はまだ教わっていない。自習は怠っていないが、他の鍛錬と並行している以上、知識量で上級生に及ばないことは明確だった。


「やはり学内大会で君と戦えなかったことは心残りだな……いや、君抜きの状態で完敗しておいて、こんなことを言う資格もないか。それじゃあまた来週もよろしく頼むよ」


 リチャードはそういって自嘲するように笑みを浮かべてエリステラを見送った。


 研究会を後にしたエリステラは時計を見て、着替えて模擬訓練場で鍛錬する時間はないか、と残念そうにして、寮へと帰ることにする。


「……それにしても最近、何だか学内の空気がピリピリとしているような――」


 それは学内大会直後の状況に近い。アランの言葉に突き動かされるように、特に上級生たちは目の色を変えて鍛錬に励む光景は今でも続いているが、それでも日を追うごとに空気は平常通りに戻りつつあった。


 そういった意味では、今の緊張した空気はあのときとはまた別の何かが原因になっているのかも知れないが、しばらく大きな行事もなく、エリステラには心当たりがなかった。


 そんな中で一つだけ気付いたのは、そうした空気は生徒たちというよりは、教師たちが発しているということだ。そしてそれはあのキースでさえ例外ではなかった。


「先生たちだけが何かを知っている……?」

「エリステラ!」


 そんな考え事をしているところに、聞き馴染みのあるクラスメイトの声。セリカが駆け寄りながら、手を振っていた。その横にはグラハムの姿もある。


「セリカ、グラハム、私に何か用ですか?」

「いやぁ、訊きたいことがあるというか、アドバイスが欲しい、みたいな?」

「そうですか……グラハムは?」

「俺は単に成り行きで着いてきただけだし、話の邪魔しちゃ悪いから先に帰るよ」

「グラハム、いていいよ。というかいて」

「お、おお……」


 立ち入った話をするなら二人きりの方が良いだろうと気を遣ったグラハムだったが、セリカはそんなグラハムを半ば強引に引き止める。


 グラハムはそのセリカの瞳に、一瞬だけ不安の色が浮かんだことに気付く。


(何だ……? ただ参考程度にアドバイスを貰うだけじゃないのか?)


 グラハムは心の中でそんなことを思うが、表情には出さない。


「それでは人がいない場所……この時間だと1年A組の教室でいいでしょうか?」

「そうだね」


 エリステラの提案にセリカが同意して、三人は自分たちの教室に向かう。


 この時間であれば生徒は誰も残っていないだろうと思っていたが、長い黒髪が特徴の女子であるレイラが一人だけ残っていた。


 彼女はあまり口数が多くなく、目立つタイプではない。またクラスでも特定のグループには属していないようで、誰かと特別仲良くしているといった姿も見られない。


 しかし孤立しているかといえばそういうわけでもなく、誰とでも普通に話し、模擬戦でも上手く連携が取れているなど、クールなだけで特に問題のないクラスメイトだとエリステラたちも認識している。


「レイラ……」

「あら……教室、使う?」

「そのつもりだったけど、他を当たろうかな」

「いいよ、私もそろそろ帰るつもりだったから」


 セリカの言葉にそう返したレイラは、読んでいた本をしまうと教室を出ていこうとする。


「ありがとう、レイラ」

「気にしないで。それより頑張ってね、セリカ」

「…………」


 セリカはすれ違いざまにお礼を言ったが、レイラは頑張ってねという応援の言葉を残して去っていく。まるでこれから起きる何かを予見しているかのように。


「さて、セリカ……私に何を訊きたいのですか?」


 エリステラがセリカに向き直ると、その大きなエメラルドの瞳が、真剣な表情でセリカのことを見つめる。


 一瞬で空気が張り詰めたように変化し、セリカは緊張で体が強張るのを感じた。


 同じクラスメイトで普段から気安く話しているはずの相手に、何を緊張することがあるのかと思いながら、セリカはいつも通りの笑みを浮かべながら口を開く。


「いやぁ、ちょっと鍛錬の方向性を迷っててさ。参考までに指揮官目線で、アドバイスが欲しいなって」

「そうですか、どんなことに悩んでいるのですか?」


 そう言われて、セリカはグラハムに話したのと同じように、正直に自分の葛藤やキースの学習指針についての話をした。


「――なるほど。つまりセリカは、魔法の生かし方について悩んでいる、と」


 エリステラはそう言いながら、頭の中でセリカにどのように話をするべきかを考える。


 正直なところ、セリカの悩みに関してはキースがほぼ答えを出しているようなものだった。それでも彼が直接はっきりとそう言わないのは、その選択はセリカ自身によって為されなければならないと考えているからだ。


 その考えにはエリステラも同意する部分は多い。しかし、今こうしてセリカが足踏みして時間を無駄にしている現状を、ただ放置することが最善とは思えないのも事実だった。


(それはあとどれだけ続く? 私たちが戦場に立つまでに残された時間は有限なのに)


 セリカが努力していないとはエリステラも考えてはいない。しかし今のままではセリカはずいぶんと遠回りをすることになる。そうすれば周囲に置いていかれ、そんな状態のまま将来騎士になっても、セリカに待っているのは最悪の結末に他ならない。


(他人の命に責任を持つ……それも騎士団長を目指すなら避けては通れないこと)


 そんな風に覚悟を決め、エリステラは自分の方針を定める。


「あの、エリステラ? そんな怖い顔で真剣に考えなくてもいいって。私にこんな能力があったら指揮官としては嬉しいみたいな、簡単な返事でさ――」

「そうですか。ではクラスの指揮官としての目線で言わせてもらえば、セリカ、貴方は魔法を使わない方が良いと思います」

「……え?」


 思いがけない言葉に、セリカは一瞬言葉を失ったが、すぐに明るい表情を浮かべて口を開いた。


「いやいやエリステラ、確かに私の魔法は威力も精度も低いけどさ、詠唱の早さと連射力を上手く生かせば役に立つって、模擬戦でエリステラも体感したでしょ?」

「誤射の危険性がない少人数戦で、魔物よりも撃たれ弱くて魔法障壁も使っていない人間相手に役に立ったくらいで、何か意味がありますか?」

「いくらエリステラでも、そんな言い方ないでしょ!?」

「セリカ、目的を見誤らないで下さい。騎士が戦わなければならないのは魔物です。魔物相手に役に立たないのであれば、その魔法に拘っても仕方ありません」

「でもキース先生は、小型の魔物相手には重宝する魔法だって言ってたんだから!」

「低ランクの、と頭についていたはずです。低ランクの小型魔物であれば、今の私たちの剣術でも数十体を相手にして圧倒出来る相手です。わざわざ速射魔法で制圧する必要もありません」

「でも、私は魔法が――」

「セリカ、貴方の長所は魔法ではありません、むしろ短所です。威力不足で術士失格、入学した頃に貴方自身が言っていたことでしょう。それにキース先生の学習指針にも長所は剣術と身体強化とありますし、短所を補うなら補助魔法の習得と……速射魔法のことなんてどこにも書かれていません」

「そんな――」


 それはつまり、キースですらもセリカの速射魔法を生かすことは考えていないという意味だった。


 キースに策を授けられ、速射魔法を使って模擬戦で活躍したことでセリカが見出した希望。その希望を与えてくれた、他ならぬキース自身が、セリカの速射魔法には何も期待していないのだと言われ、セリカは失意のどん底に突き落とされる。


 そうしてセリカは一瞬エリステラの方を見た後に、何も言わずに教室を飛び出していった。


「セリカ、エリステラのこと睨んでたのか?」

「いえ、どちらかといえば助けを求めるような、怯えた目でした」


 グラハムは直前まで修羅場を目にしていたはずなのに、どこか平然とした様子でそんなことを尋ねた。


「グラハム……私のことを酷い人間だと思いますか?」

「いや別に? 真剣にセリカのことを考えてるからこそ、ああいう言い方になったんだろ? たぶんセリカにも分かってもらえるさ。……でもまあ、もし俺に何か言う時は、優しく言ってくれたら嬉しいかな」


 グラハムは真面目なことを言った後に、普段の調子でおどけて見せる。そんなグラハムの様子を見て、エリステラは小さく笑うのだった。


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