表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/114

誓い

 オレーナが目を覚ますと見覚えのない天井が視界に映る。耳鳴りと頭痛で上手く聞き取れなかったが、近くで誰かが何かを言っている。そうして見覚えのある顔がこちらをのぞき込んで、笑顔になった。


「オレーナさん、目が覚めましたか?」

「アクリス先生……」


 そう呟きながら、オレーナはソファに横たえた身体をゆっくりと起こす。


「無事、打ち勝ちましたね」

「打ち勝った……」


 明るい表情のアクリスとは対照的に、オレーナは浮かない表情を浮かべた。


「……あの、キース先生は?」

「あー、キース先生は今ちょっと手が離せないようで――」


 そういってアクリスが目くばせをすると、視線の先には黙々と作業台に向かうキースの姿があった。


「あのモードに入ると、周囲のことが目に入らなくなるので、少しだけ待っていてくれますか? オレーナさんもまだ少しぼうっとするでしょうし、もう少し横になっていた方がいいと思いますから」


 キースの精神干渉系の魔法の経験者でもあるアクリスは、記憶の中の独特の虚脱感を思い出しながらそう言った。


 オレーナは「……失礼します」と言って、知らないうちに体に掛けられていた毛布にくるまって、アクリスの言う通りに再度ソファに横たわる。


 数分後、キースの作業が終わったようで、何事もなかったかのようにオレーナとアクリスの方へと向き直って歩いてくる。


「目が覚めたのか、オレーナ」

「はい」


 キースはそう声をかけながら、オレーナの対面に座った。オレーナが体を起こすと、アクリスが毛布を受け取って片付けてくれる。


「ルカ・リベットは強かっただろう?」

「はい……全く歯が立ちませんでした」

「えっ、歯が立たなかった……? でもオレーナさんは、ルカさんに勝ったんですよね?」


 毛布を収納に片付けたアクリスが、オレーナの隣に座りながらそう尋ねる。


「私が戦ったのは、あくまでも私が知っていたルカ先輩です。しかし私は本気のルカ先輩を見たことがなかった……もし一回戦でルカ先輩に昏倒させられず、学内大会の決勝を観戦して本気のルカ先輩を知っていたなら、おそらく私は何も出来ませんでした」


 オレーナはルカとの戦いを思い返しながら、手ごたえらしきものを何も感じられないほどに実力差があったという現実を噛みしめていた。


「それは……でもそれなら、そもそもルカさんとの戦いがトラウマになることもなかったのだから――」

「――そうです。だから私は……私が今ここにいることを、自分の力で成し遂げたとか、試練に打ち勝ったとか、そんな風に思うことが出来なくて……」


 学内大会でルカと戦わなければトラウマを負うことはなかった。そしてトラウマを負った場合でも、それが一回戦の本気ではないルカだったからこそ、今こうして生還することが出来た。


 そんな事実にオレーナという人間の意思や能力は、一体どれほどの影響を及ぼしたのだろうかと考えたとき、オレーナは自分という人間に出来ることの少なさを痛感させられたのである。


「……それに私は、おそらく最後の一回であろう戦いで、なんとか相打ちに持ち込んで、たまたま私が長く生きていただけなんです」

「そうか……それは運が良かったな」

「キース先生、言い方」


 アクリスはジト目で呆れたようにキースに言うが、キースはどことなく明るい表情で言葉を続ける。


「運が良いというのは何も悪い意味ではない。実力が足りないなら努力すればいいが、運ばかりはどうしようもない。オレーナが幸運を掴み取ってくれたことは、素直に喜ばしいと思っているよ。だが何よりオレーナ、苦しい戦いだったはずだが、よく最後まで諦めずに戦い抜いたな」

「はい……ありがとう、ございます……うっ、うぅ……」


 オレーナはそう返事をすると、静かに嗚咽を漏らして泣きながら、キースの方を向いて口を開いた。


「戦っても分かるのは自分の弱さばかりで、こんなの勝てるわけないって何回も思わされて、痛くて、つらくて、苦しくて、何度も諦めそうになって。それでも負けたくなくて、必死に足掻いて、藻掻いて、そうしたらもっと苦しくなって。だんだん今まで自分が積み上げてきたことも、全部無駄だったんじゃないかって思えてきて、少しずつ破滅の瞬間が近づいているのが分かって、このまま勝てなかったらどうなるんだろうとか考えると、本当に怖くて――」


 オレーナは爆発させた感情を全てキースへとぶつけるように続ける。


「――でもキース先生が、どんな奇策を用いてでも一度だけ勝てばいいと言ってくれたから。その言葉で、弱い私でもどこかに勝てる道筋があるはずだって思えたから……だから私は今こうして、一度は終わったはずの騎士への道のりを、再度歩き出せるようになりました。私にとっては全てが幸運だらけでしたが、やはり一番の幸運は、お二人に出会えたことだと思います。キース先生、アクリス先生、本当にありがとうございました」


 そう言って深々と頭を下げたオレーナの瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。




 オレーナはキースの研究室を出ると、夕暮れ時の寮への帰り道で、訓練帰りらしいエリステラと遭遇する。


「あっ、エリステラ……」

「オレーナ……何か良いことがありましたか?」

「え、どうして?」

「昨日までの、追い詰められているような雰囲気がなくなりました。だからきっと何かから解放されたのかと」


 周囲のことを本当によく見ているなと、オレーナはそう思った。得られる情報を漏らさないように、常に感覚を張り巡らしているからこそ、エリステラは戦いにおいても味方を生かし、相手の急所を突くことが出来るのだろう。


「流石だね、エリステラは……そうだ、一つ訊きたいことがあったのだけど」

「はい、何でしょうか?」

「学内大会の決勝戦で、エリステラはルカ先輩に負けて昏倒したでしょう? でもそのことを引きずったりせず、平然としていられたのはどうして?」

「ああ、そういえばオレーナもルカ先輩に斬られた仲間でしたね。そうですね……私の場合、ルカ先輩に勝てないことは最初から分かっていたから、でしょうか」

「最初から分かっていた……?」


 オレーナはあのエリステラがそんな最初から諦めたようなことを言うことに、違和感を覚えた。


 名門グラントリス公爵家の出身で、最難関の王立騎士学校にも主席で入学し、その実力は上級生にも劣らないと謳われたエリステラは、謙遜をすることは一切なく、確かな自信と誇りを胸に前だけを向き続ける存在のはずである。


 たとえ実力で劣っていても、常に勝つための最善の努力を尽くすのがエリステラであり、勝てないと諦めるのは、オレーナが知るエリステラ像とは遠くかけ離れていた。


 困惑するオレーナに、エリステラは続けた。


「事前に何度も頭の中で戦ってみました。何百回、何千回、あるいは何万回。それで完膚無きまでに叩きのめされて、さすがに理解しました。出来ないことを出来ると言い張る、意固地になった子供のような考えは、強くなる上で邪魔でしかないのだと。私は父に、たとえ勝てない相手でも、勝とうとする気持ちが大事だと教わって、日々訓練してきました。実際それで格上の兄や姉にもたまに勝てたりして、成長を実感していたので父の教えが間違っているとは思いません。気持ちで負けてはいけないというのは正しいです。でも、気持ちだけで勝てるものでもありません。相手だって強い気持ちで騎士になろうと王立騎士学校まで来ているのです。そんな私たちの間に、勝ちたいという気持ちに差なんてあるはずがないのだから――どうかしましたか、オレーナ?」

「えっ、ううん、別に……ただ何というか、エリステラ、ちょっとキース先生みたいなこと言うようになったなって」

「ふふ、確かにそうかも知れません。それならオレーナ、例えばキース先生に勝とうと思ったら、貴方ならどうしますか?」

「キース先生に?」


 いきなりの質問に驚きながら、オレーナは少しの間考えて答えを出す。


「それは…………アクリス先生といちゃいちゃしてるところを後ろから闇討ちする、とか?」

「あはは、それはいい考えですね。まあそれでも全然届かないとは思いますが、少なくとも真正面から戦うよりは、ずっとマシでしょう」

「いやいや、今の質問何か意味があったの!?」

「もちろんです。きっと私たちが壁にぶち当たることは今後何度もあって、それは騎士になった後もずっとそうで……強い魔物に正面から戦うのは愚策で、いたずらに被害を増やすだけでしかない」


 エリステラにそう言われてオレーナが思い出すのは、「死は名誉ではない。ただの損害だ」というキースの言葉。


「私たちはいずれ多くの騎士を率いる立場になる。戦いに最善を尽くすのは、最低限の義務だと思っています」

「……今、私たちって言った?」

「はい。貴方も騎士団長を目指しているのでしょう?」

「それはそうだけど」

「それなら胸を張って努力するのみです。そうでしょう、オレーナ?」

「……そうだね、エリステラ」


 エリステラのまっすぐな瞳にオレーナは、確かな自信と誇りを胸に前だけを向き続けるというエリステラの本質は何も変わっていなかったことを確信する。


 今はまだ届かないけれど、この背中を追い続け、最後には追い抜いてやるのだと、そうオレーナは心の中で誓いながら、エリステラと並んで寮への帰り道を歩んでいくのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ