表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/114

破滅の瞬間

 オレーナが気付くと、そこは学内大会で使用した闘技場だった。


 しかし観客はおらず、ただ広いグラウンドにオレーナとルカの二人だけ。


 ルカは真剣な表情で何も語らない。


「それもそうか……私はルカ先輩と会話をしたことはない」


 オレーナの記憶では、学内大会の試合前にクラス代表として握手した際に、一言交わしたのが最初で最後だった。


 これはオレーナの精神世界だ。目の前にいるルカも、オレーナが知るルカであって、本物ではない。ルカが普段どのような会話をするのかをオレーナが知らないのだから、目の前のルカが何かを話すこともない。


 ルカが剣を構える。その構えは他の生徒とは大きく異なり、前のめりに攻めかかって相手を制圧することを狙っているように感じられた。


「あんな攻めっ気の強い剣術が、正しいはずがないのに……」


 オレーナは過去に教わってきた自身が正しいと信じる剣術と、目の前のルカの剣術の違いに戸惑っていた。


 騎士の剣術は古くから体系化されているが、その理念において最も重視されているのは守備の技術だった。


 戦場において騎士は剣術を扱う前衛と、魔法を扱う後衛という二つの役割に分けられる。その中で前衛は後衛が魔法を完成させるまでの時間稼ぎという役割が与えられている。


 無数の魔物の侵攻をせき止め、陣形を崩すことなく、相互に援護をしながら確実に戦線を維持すること。


 その役割を果たすためには、まず第一に守備の技術が重要となる。戦線を押し上げる攻めの技術は、その後に来るものだとするのが騎士の剣術だった。


 最悪でも前衛の剣士が耐えてさえいれば、後衛の術士が小型の魔物を数百単位で消し飛ばしてくれるのだから――。


 こうした騎士の剣術の理念はスコールランド王国全土で共有されており、平民でも地域の剣術道場などでは同じように指導されて剣術を学んでいる。


 そしてそれはオレーナだけでなく、ルカであっても同じであるはずだった。


「何にしてもまずはルカ先輩の一撃を受け止めてから、安全に反撃への道筋を――」


 オレーナは正面に剣を構え、ルカの初撃を受け止めようとする。


 ルカがオレーナの右側に身体を半身ずらして打ち込んで来るのが見えたので、それに対応するようにオレーナは剣の傾きを変え、ルカの剣を受け流そうと試みる。


 しかし、次の瞬間には暗転――ルカはオレーナの左側(・・ )から剣を振り、オレーナの首を落としていた。


 痛み、苦しみ、死の恐怖。


 そうしたものを感じながら、次の瞬間にはまたオレーナは最初と同じように戻っていた。


 しかしオレーナにとっては何よりも、目も前にいたルカが何をしたのかが全く分からないという絶望こそが、その心を苦しめた。


「今のは、何……? あんな剣術、私は知らない……」


 オレーナは額に汗を浮かばせながら、荒い呼吸を整えようとする。


 オレーナは剣術にはそれなりに自信があった。格上が相手でも、対応して受ける程度は出来るはずだった。


「……剣筋が見えなければ、対応なんて出来るはずがない」


 オレーナにとって不幸だったのは、ルカとの対戦が学内大会の一回戦だったことである。ルカの実戦を見る機会がなかったために、ルカの剣術について深く考察するタイミングがなかったのだ。


「勝ち負け以前の問題……戦いになってすらいない」


 このまま何も分からないまま戦っていたって、勝てるはずがない。無駄に殺され続けるだけだった。


 オレーナの剣はルカにまるで通用しない。その事実は、オレーナがこれまで築き上げてきた自信が崩れていくのに、充分すぎるものだった。


 ただオレーナは、それでも前を向き、剣を構える。


「私はあと何回死ねる……? 分からないけど、それでもやるしかないんだ」


 崩れてしまったものは、また積み上げていくしかない。


 オレーナはまず自分がどのように殺されているのかを知るために、死ぬと分かっている戦いに身を投じていく。


 ――――――

 ――――

 ――




 すでに何度死んだのか、それはオレーナにも分からない。そんな無駄なことを数えることに、注意を割いている余裕はなかった。


 一つ分かったことは、ルカは常に必殺の一撃を叩きこむための隙を窺っているということだ。流れるような無駄のない動きで、確実に一撃で相手を倒すことを狙っている。


 それは戦場で魔物を一体でも多く殺すために、徹底的に磨き抜かれた効率的な動きだった。


 ルカの剣術は、がむしゃらな努力によって身に付けた圧倒的な振りの速さに支えられている。ただひたすらに剣を振り続け、理想の形を自分の身体に教え込み、徹底的に沁み込ませた。


 圧倒的な速さを持つルカの一撃はそれ自体が対応困難な必殺の一撃に違いない。しかしルカの攻めの特徴はそれだけではなかった。


 オレーナは最初ルカの出方を窺って、後から受けに回ったつもりだった。しかし実際にはルカの打ち込みを見せられて、オレーナは受けるために先に動かされていた。


「先に打ち込んでいるのはルカ先輩のはずなのに、自分が先に動かされている違和感の正体が、ようやく掴めてきた」


 ルカは先に打ち込む振りをしてから相手の受けの形を決めさせ、その後に最初の打ち込みを中断して再度別の角度からの打ち込みを開始している。


 普通であれば間に合うはずがなく、大きな隙となるはずの、常識外の一手。


 しかしそれを間に合わせてしまうのがルカの剣術だった。


 先に攻めておきながら後からカウンターを仕掛けてくるという、無法ともいえる剣術に支えられてこそ、ルカはほぼ剣術のみで王立騎士学校の主席として君臨しているのである。


「とりあえず私がどう殺されているのかは分かった。これで確実に一歩前進した」


 しかし同時にはっきりしたことがある。


 それは今のオレーナでは、どうあがいてもルカに勝てないということだった。


 何も出来ないままルカに殺され続けることで、確実に忍び寄る破滅の瞬間。


 すべてを失う恐怖がオレーナの心を襲う。しかしそれでもオレーナは前を向く。


「今のままでは勝てないなら、今この場で成長するしかない」


 ――――――

 ――――

 ――




 しかしオレーナが前向きに戦うことが出来たのは、それが最後だった。


 何度も殺され、自信が打ち砕かれ、それでもと自分が学んできた剣術で対抗しようとしては、圧倒的に上を行かれる。


 ルカの剣に斬られる痛みは本物と同じで、ルカに抗えば抗うほど綺麗には死ねず、苦痛が増していくだけだった。


 自分が正しいと思ってきた剣術の全てが否定される感覚。ルカに敗北するたびに、自分が今まで積み上げてきた努力は無価値だったのだとその身に教え込まれていくように感じられた。


 そうしていくうちに、今まで自分を熱心に指導してくれた数々の人々に対しても、申し訳ないという思いが募る。


 痛くて、つらくて、苦しくて。


「……どうして私は、こんなにも弱いのだろう」


 それは単に剣の実力という意味ではなく、精神的な面についても含まれていた。


 ルカの荒々しい我流の剣を幾度となく受けて、オレーナはルカがその剣術を自分で一から作り上げたことに気付いた。


 きっとルカも幼少期はみんなと同じように、騎士として正しいとされる守り主体の剣技を教わってきたはずだった。


 しかし特別な才能がないルカは、それでは強くなれないと悟った。


 だからこそルカは正しいとされる騎士の剣を捨てたのである。


「私は負けそうになると、すぐ剣術の教えに縋ってしまうのに……」


 剣術の教えはこうだから。


 教わった応対はこうだから。


 リスクを抑えて、安全に、確実に勝利を手にするのが騎士だから。


 あんなリスクばかりのルカ先輩の剣術が正しいはずはない。騎士になれば、きっと重宝されるのは私の、正しい剣術なはずだから――。


 そんな正しさに縋って、私は正しいことをしているのだからと、目の前の敗北から目を背ける。


「私は弱い……環境にも、才能にも恵まれていたのに、私は、私はこんなにも……っ!」


 そうして自身の弱さを自覚したオレーナは、キースのある言葉を思い出す。


≪何百回、何千回負けても、どんな奇策を用いてでも一度だけ勝てばいい≫


 そんな目先の勝利だけを考えた、明日に繋がらない勝ち方には何の意味もない。キースであればそう言いそうなのに、それでもキースは確かに一度だけ勝てばいいと言った。


 その意味を、オレーナは今になってようやく理解する。


「つまり先生……弱い私が、正しく、安全に、確実に勝とうだなんて烏滸がましいと……そういうことですね」


 オレーナは今までルカの攻めに対して、攻撃を受け流して反撃の一撃で仕留めようとしていた。


 しかしルカはそんな風に、たった一回の攻撃を受け止めた程度で反撃を食らってくれるほど甘い人間だろうか。


 いや、すぐにそんな隙を見せるようであれば、学内最強と謳われるはずはない。あれだけ攻めに特化したスタイルであれば、反撃を狙われることなど数えきれないほどあったが、それでも勝ち続けてきたのがルカという人間であるはずだった。


「ルカ先輩の激しい攻めを受けつつ、いつ見せるかも分からない隙を待ち続ける戦い……それはとても苦しい……けれど――」


 ――弱い自分が苦しむのは、当たり前のことではないか。


「弱いから苦しい戦いを強いられる……そんな当たり前のことから目を背けて、たった一撃であのルカ・リベットを倒そうなんて、そんなのは虫のいい話ですよね」


 前向きに、正しく成長して、正面からルカに勝利する。それはきっと理想だけれど、だからこそ現実的ではない。だからオレーナはそんな理想を今この場で捨てた。


 醜くていい。愚かでもいい。勝利のために、不必要な雑念は全て消し去る。


 ただひたすらに勝利だけを渇望するオレーナは、執念だけで剣を構えた。


 そうしてルカの速くて正確な攻めを徹底して受け続ける。


 一瞬打ち込めそうな隙を見つけるが、それは甘い罠である。早く楽になろうとする、自身の甘えが見せる幻想だった。


「甘えるな、楽をするな……もっと苦しめ、もっと足掻け……」


 オレーナは狂ったように、自分にそう言い聞かせた。


 そのままルカの猛攻を受け続けるが、やがて限界が訪れて、一閃。


 オレーナの視界が暗転する。


「……いや、今のでいい。一回で勝てるほど、甘い相手じゃないから」


 そう呟くとオレーナは淡々と剣を構える。


 しかしそれは惰性や諦観とは異なり、自分の歩むべき道筋をしっかりと見据えたからこその落ち着きだった。


 その後もオレーナは何度も挑み、何度も敗北する。


 繰り返される死の中でオレーナの精神は蝕まれ、肉体的なダメージは残らないはずなのに、気付けば満身創痍でふらふらと立っていた。


 オレーナはついに、自分の限界が来たことを悟る。


「醜くて、愚かで、正しくなくて……ふらふらで、もう立っているのも限界だけど……それでも今の私が、きっと一番強いから……」


 これが最後の一戦になる。そんな確信があっても、オレーナはそれまでと同じ構えでルカの前に立つ。


 眼前に迫るルカに、オレーナはあくまでも受けの姿勢を崩さない。


 幾度となく剣を打ち合い、これまでずっとそうだったように、オレーナはルカの猛攻をしのぎ切れず、その胴体にルカの剣がめり込む――その刹那。


 オレーナの剣も、ルカの胴体を捉えていた。


「貴方に本当の隙が生まれるのは、相手を斬る一瞬だけ……だから!」


 それは肉を切らせて骨を断つといったような、生易しいものではなく。お互いに骨を断ち合うような、まさに泥仕合といった様相で。


 それでもオレーナは、一瞬も怯むことなく剣を振り抜いた。


 身体の中をぐちゃぐちゃに壊されたような痛み。全身の血液が逆流したかのような苦しみ。


 血を吐き、倒れるオレーナ。


 しかし同時に、ルカの身体も地に伏していた。


「貴方に、無傷で勝てるはず、ないから……相打ちでも上出来、です……あとは、どちらが死ぬのが早いか、だけ――」


 そんなオレーナの言葉は最後まで紡がれることはなく、ただ静かに世界が暗転していくのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ