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共犯者

「キース先輩、相談があります」


 そういって放課後にキースの研究室を訪れたアクリスの表情は固く、真剣な雰囲気を漂わせていた。普段のアクリスのように、キースをからかったり小言を言ったりといった用事ではないことは、キースでも一目で分かる。


 キースは余計なことは言わずに、単刀直入に尋ねた。


「どうした?」

「実は今日、一年C組のオレーナさんが戦技教科の授業中に医務室へと運ばれてきたのですが……どうやら、学内大会での出来事がトラウマになっているようで、騎士剣を見るだけでも体が恐怖で震えてしまう状態になっています」

「そうか。毎年必ず何人かに起こることだが、残念だな」

「残念……ですね」


 そう言ってアクリスは表情を曇らせて黙り込む。


 キースの性格をよく知るアクリスは、キースがそういった返答をすることも当然予想していた。キースに何かを言ったところで、それは何の解決にも相談にもならない。


 アクリスも理屈ではそう分かった上で、それでもキースの元を訪れていた。


 オレーナは学内大会まで一年A組の自主訓練に参加していたため、彼らと同様に何度も医務室に運び込まれた生徒の一人である。そのためアクリスは何度もオレーナとは話しており、彼女の真面目で向上心がある姿を好ましく思っていた。


 言ってしまえばそれは私情だった。アクリスもそう理解しているからこそ、言葉に出せないでいた。


「……オレーナを救いたい、か?」


 キースはアクリスの心情を察したように、大きく嘆息してからそんなことを言った。


「はい」

「無理だ。オレーナの精神が戦えないと言っているなら、それは人間の正しい防衛本能だろう。無理に戦いの場に連れ戻したところで、最悪の結末を迎えるだけ……そんなのはお前のエゴでしかない」

「無理じゃありません。オレーナさんは今でも本心から、もっと強くなって立派な騎士になるんだと言っています。だからトラウマさえ克服できれば、きっと……それに、先輩の魔法なら……」


 アクリスはキースの精神干渉系の魔法を思い浮かべながらそう言った。


「アクリス、俺のあの魔法は万能じゃないし、相応にリスクもある。フェリに使ったのだって、事故は起きないという確信があったからだ」

「オレーナさんだって優秀な生徒です!」

「知っている。だが自分の精神世界だからといって、自分に都合良くはならない。今の自分に出来ることで壁を越えるしかないが――オレーナが越えなければならないのは、ルカ・リベットだ」

「それは……」

「精神世界とはいえ、痛みも苦しみも、死の恐怖さえも鮮明に感じることが出来るのが俺の魔法だ。だからこそ試練を乗り越えたときには現実にも強く影響を及ぼすことが出来る。だが今のオレーナは何回ルカに殺されることに耐えられるんだ? 何十回、何百回、何千回戦って、それでも一回勝てるかどうか分からない相手に、精神が壊れる前に打ち勝てるのか?」

「…………」


 キースの言葉を聞いて、アクリスも理解した。


(――ああ、キース先輩もオレーナさんを救おうと、本気で考えた後なんだ)


 オレーナのことは今日一日で生徒たちの間に、噂として瞬く間に広まっていた。それだけオレーナは一年生の中でも注目度が高い生徒である。当然キースの耳にも情報は入っていた。

 放課後の自主訓練に他のクラスからわざわざ参加してきて、自分が何度も直接指導した生徒だ。キースとはいえ特別に思っていないはずがない。


 だからこそキースは感情を押し殺し、残念だと語ったのだ。それが分かったアクリスは、それでもと、心の中で思う。


 ――それでも私は、オレーナさんの力になってあげたい。


 理屈で語るのがキースの役割なら、感情を押し通すのはアクリスの役割なはずだから。


「だったら先輩、オレーナさんのことをちゃんと自分の目で見て、それを彼女に直接言ってあげてください」




 放課後だがオレーナは寮に戻らず、開放されている模擬訓練場の片隅で一人、黙々と攻撃魔法の的当てをしていた。


 模擬訓練場の監視員として教師が交代で見張りに立つようになっていて、今日は一年C組の担任であるミレーヌと、算術などの学術教科を担当するベテラン教師のメアリーが生徒たちに目を配っていた。


 そこにキースとアクリスが訪れて、「お疲れ様です」と二人に挨拶をする。先に返事をしたのはメアリーだった。


「あら、キース先生とアクリス先生。どうかされましたか?」

「ええ、少しオレーナから話を聞きたいと思いまして――」


 そんな風にオレーナの名前が出たところで、彼女の担任であるミレーヌが口を開く。


「すみません。担任の私が未熟なばかりに、オレーナさんがこんなことになってしまって……」

「……っ」


 その言葉を聞いて、アクリスは心が締め付けられるような感覚に襲われた。担任のミレーヌが悪いわけではないとは、誰もが理解している。


 でもこれから自分たちがやろうとしていることで、もしオレーナが立ち直れたとしたら、ミレーヌは自分の未熟さを責めずにはいられないだろう。


≪そんなのはお前のエゴでしかない≫


 キースがあのときそう言った本当の意味を、アクリスは今初めて理解した。


「ミレーヌ先生は何も悪くありませんよ。むしろミレーヌ先生がいたからこそ、彼女はまだああして抗えているんです」

「キース先生……すみません、オレーナさんをお願いします」


 そう言ってミレーヌは申し訳なさそうに目を伏せる。


 ミレーヌはキースに気を遣わせたと思っているのかも知れないが、キースが気休めを言わない人間だとアクリスだけは知っている。アクリスはそのことをミレーヌにどうにかして伝えたかったが、結局どんな風に伝えればいいのか分からなくて沈黙した。


 そうしてキースとアクリスは二人と別れ、オレーナのいる模擬訓練場の端に向かって歩き出す。


「アクリス、そんな顔をするな」

「でも……」

「前にも言っただろう。俺とお前は最初から共犯者だとな」


 たとえミレーヌの教師としての自尊心を傷つけることになっても、オレーナを救いたいというエゴを押し通すことの痛み。


 それは周囲の声を顧みず、復讐という悪徳を為すために生きてきたキースだからこそよく知る痛みだったのかも知れないと、アクリスは静かに思う。


 そしてその痛みを背負う覚悟と、共犯者としてキースに背負わせる覚悟。それが果たして自分にあったのだろうかと、アクリスは自分に問いかけるが答えは出なかった。


 その後すぐに二人はオレーナの側にたどり着く。


 キースは挨拶も無しに、淡々と要件を告げるようにオレーナに声をかけた。


「オレーナ、話がある。訓練中すまないが、少し時間を貰えるか?」

「キース先生……? はい、大丈夫です」


 オレーナは少し驚いた様子でキースとアクリスを見てから、そう返事をした。


 そうしてキースとアクリスはオレーナをキースの研究室まで案内する。オレーナは興味深そうに研究室内を見回してから言った。


「さすがキース先生の部屋だけあって、設備が凄いですね」

「ほう、分かるのか?」

「全てではありませんが、ある程度は。一応、兄の一人が研究者なので」

「そうか」


 キースの部屋にある設備は最新のものや独自のものが多くあり、普通の生徒であれば見たところで何も分からないはずだった。


 研究者にも様々な人間がいるため一概には言えないが、オーグレーン家の人間であれば相応にレベルの高い研究所に勤務している可能性が高い。兄から教わったのであればオレーナが理解出来ても不思議はないのだろうと、キースは納得する。


 キースはオレーナにソファに座るように促し、自分も着席する。アクリスはキースの隣に座った。


「早速本題に入る。アクリス先生から、オレーナが戦技教科の授業中に倒れたという話を聞いた」

「はい……特別に指導までしていただいたのに、未熟で申し訳ありません」


 オレーナは目を伏せ、そんな風にキースに気遣った言葉を口に出す。


 とはいえそんな余裕が今のオレーナにあるはずがなく、その言葉は上辺だけを取り繕った謝罪であることが明らかだった。


 そんなオレーナの姿は明らかに無理をしていて、キースとアクリスにはとても痛ましく感じられる。


「俺はそういう話がしたいわけじゃないし、責めるつもりもない。オレーナのそれは毎年必ず数件は起きることで、たまたまオレーナにそれが起きたというだけだ」


 キースは淡々とそう語る。


 その言葉をオレーナがどんな風に受け取るかは、もちろん理解していた。


「必ず数件……たまたま……? そんなただの数字みたいに、私のことを語らないでください……私にとっては、私だけなんです。たまたまなんて言葉、慰めになりません」

「それがお前の本心だ。お前は自分を未熟だなんて考えていないし、俺に申し訳ないとも思っていない。どうして自分だけがこんな目に合うのかと、理不尽さにやり場のない怒りを感じているのだろう?」

「……その通りです」

「だったら正直にそう言ってくれ。ミレーヌ先生ほどではないが、俺も指導を通してそれなりにお前のことを見てきたつもりだ。だから遠慮したり、無理に気を遣ったりはしないで欲しい」

「……分かりました。それではこの先は、遠慮なく話します」

「そうしてくれ……それでオレーナ、お前はこの先どうするつもりだ?」

「いや、キース先生はもう少し遠慮してください」


 アクリスがキースのデリカシーのなさを咎めるように声を上げるが、キースは無視する。


「……死ぬのが怖くて、剣が握れないようでは、騎士になんてなれません。兄のように研究者になるか、医師など他の資格取得を目指すか……まだ何も決めていませんが、自分なりに国に貢献できる職を目指すことになると思います」


 冷静にオレーナは自分の考えを話す。それは地に足がついたもので、とても今日一日で考えをまとめたものとは思えなかった。


 おそらくは学内大会で敗れて目を覚ました日から、オレーナが少しずつ考えていたことなのだろうとキースは思った。


 つまりオレーナは何日も前から、騎士学校を去る覚悟していた。自分がもう、騎士になることはないのだと理解していたのだ。


「アクリス先生、今の話は知っていましたか?」

「……いいえ」

「知った今でも、自分の行いが正しいと信じられますか?」

「…………はい」


 アクリスは悩みながらも、強い意思を持って肯定の意を表した。


「あの、先生たちは一体何の話を……?」

「オレーナ。俺はアクリス先生から、お前は今でも本心から、もっと強くなって立派な騎士になるんだと言っていると聞いた。お前の本心はどっちだ?」

「それは……でもそんなのは、もう不可能で……」

「可能か不可能かじゃない。俺が聞きたいのは、お前の素直な意思だよ」

「素直な意思……私は…………」


 キースのそんな些細な言葉ですら揺らいでしまうほど、オレーナの決心は弱く、不安定なものだった。


 そしてオレーナは素直に自分の意思を語る。


「私は、騎士になりたいです! ずっと夢だった、私はそのためにこれまでの人生の全てを捧げてきました! こんなところで終わりたくない、絶対に諦めたくありません!」


 せっかく本心を押し殺して、何日もかけて騎士学校を去る覚悟を決めて、ようやく諦めがついたはずだった。


 そんな決意が粉々に砕け散り、すでにボロボロになった騎士になるという夢だけがそこに残された。


 もう無理だって自分が誰よりも分かっているのに、無理して抗って。


 みんなの前で醜い姿を晒して、学校中で噂をされて。


 それでも諦めきれなくて、放課後に模擬訓練場で必死に足掻いていた。


 そんなことに意味はないと心のどこかで思いながら、それでもそうすることを止められなかった。


 だからオレーナはそんな自分の気持ちを全て言葉に乗せた。


 そしてそれは、はっきりとキースに伝わった。


「お前にその意思があるのであれば、俺は手を貸すことが出来る」

「何か方法があるのですか?」

「ああ。まず俺の精神干渉系の魔法で、オレーナの意識を精神世界に送る。そしてそこでトラウマの源である存在に打ち勝つことが出来れば、オレーナの心に巣食う問題も消え去るだろう……だが、この方法には問題点が三つある」

「問題点、ですか?」


 オレーナは素直にキースの話を聞く。元々真面目な性格で、自主訓練の際もキースの指導を熱心に聞いていたこともあって、今もオレーナはキースのことを信頼していた。


「精神世界では痛みも苦しみも、死の恐怖さえも鮮明に感じられる。そしてお前が精神世界で打ち勝たなければならないのは、ルカ・リベットだ」

「ルカ先輩を、私が……」

「もちろんオレーナの精神世界だから、厳密に現実のルカと同じではない。相手はオレーナが認識している通りのルカだ。学内大会で相対したときはまだ本気を出していなかったから現実より弱い可能性もあるが、オレーナが恐怖によって実物よりもルカを強大に感じていれば現実より強い可能性もある。どの程度勝算があるのか、測れないのが一つの問題点だ」

「はい」

「次に、最初に言った痛みや苦しみについて。これはオレーナの精神を確実に蝕むことになる。精神世界では何度死んでも挑みなおすことが出来るが、その度に死と同等の苦しみを味わうことになる。何百回、何千回負けても、どんな奇策を用いてでも一度だけ勝てばいい……だが、それまでにお前の心が壊れてしまうかも知れない。その限界が分からないのが二つ目の問題点だ」

「……分かりました。つまり何度挑めば勝てるか分からない相手に、何度挑むことが出来るのかも分からない状態、ということですね」

「ああ。そして三つ目だが、言うまでもなく失敗すればお前の心は確実に壊れる。それだけ大きなリスクがある方法しか俺には提示出来ない。だからやるかどうかはお前が自分の意思で決めてくれ」


 キースがそう言うと、オレーナは瞑目してしばらく考える。


 キースもアクリスもそんなオレーナをただ静かに待ち続けた。


 そしてオレーナが目を開いて言った。


「――ルカ先輩を打ち倒せば、私は騎士になれますか?」

「それは今後のお前次第だ。トラウマが消え去ったところで、普通に剣を握れる学生に戻るというだけで、特別に何かを得られるわけではない」

「先生は本当に正直ですね。これから死地に向かう生徒に、少しくらい甘い言葉をかけて希望を持たせてもいいでしょうに」

「……やるんだな?」

「はい」


 オレーナはまっすぐな瞳でキースを見て肯定した。


「オレーナさん、本当に大丈夫ですか?」

「アクリス先生、心配してくれてありがとうございます。アクリス先生がキース先生に頼んでくれたんですよね? 私があんな風に、みっともない姿で泣きじゃくっていたから……だからそんな心配そうな顔しないでください。いつもみたいに、明るく応援してくれたら、私は嬉しいです」

「オレーナさん……そうですね。オレーナさんなら、きっと勝てますよ」


 そう言ってアクリスは無理やりに笑って、オレーナを応援する。


「オレーナ、どうしても無理だと思ったときは、限界が来る前に諦めろ。それで魔法は解除される」

「はい、分かりました」


 そう言って笑うオレーナ。しかし彼女に諦めるつもりがないということは、キースとアクリスには分かってしまった。


 キースはオレーナに目を見るように言って、彼女の頭に手を伸ばす。


 そうしてキースが魔法を発動すると、オレーナは眠ったように気を失い、ソファに横たわる。


 この先はもうキースに出来ることは何もない。ただオレーナが心の中のルカに打ち勝ち、無事に帰還することを祈るしかなかった。



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