コインの表裏
キースの研究室に、セリカが訪ねてきた。
いつもはリンナやフェリと一緒に来ることが多いので珍しいとキースは思ったが、特に指摘はせずにお茶を用意してソファに腰掛ける。
セリカは女子の中では背が高くスタイルも抜群なことで知られる。着崩した制服や入学時の壊滅的な成績からたまに平民と勘違いされることもあったが、実際にはヴィアナ侯爵家という多くの優秀な騎士を輩出してきた名家の人間である。
貴族が魔法に優れた血筋を繋ぐ役割を担っている現在、爵位は血統の優秀さを示す一つの指標となる。そういう意味ではセリカは優れた血筋に連なることからも、潜在的な魔法への適性が高いのではないかと、生まれた時から周囲に期待された存在ではあったのだ。
「最近はこのパターンが増えたな」
「ん、他に誰か来たの?」
「それは守秘義務だ」
「まあ、そりゃそうだよね」
私だって言いふらされたくはないし、とセリカが呟く。
「個人指導というのは効率が良くないから、あまりそればかりをしたくはないのだが」
「いやいや、私のはそんな重いものじゃなくて、軽い相談だからさ」
セリカは普段通りの明るい調子で言う。しかしそれが無理をして取り繕っていることは、さすがに見て取れる。
そもそもそれなりの悩みがなければ、一人で教師相手に相談しには来ないだろう。
「なら単刀直入に頼む」
「そうだね……先生ってさ、私の魔法ってどういう評価をしてる?」
「それなら前にも言っていると思うが……威力も精度も低いが、速射性は抜群で魔力消費量も少ない。低ランクの小型の魔物相手なら充分な威力でもあるし、騎士として見れば数で押してくる小型の魔物相手には重宝する魔法だろう」
「だよねー……でさ、私はこの魔法の術式にはまだ改良の余地はあると思ってるんだけど、先生はこの魔法、今後どうするべきだと思う? いや、自分で決めろってのは分かってるから、参考までに」
キースの口癖を理解しているセリカは、言われる前に先回りしてそれを潰した。
「改良とは言うが、そもそも自分の望むとおりの魔法に出来るようなものではない。属人性が高く、得手不得手もはっきりとするのが魔法だ。どういう方向性がセリカの魔法に合っているのかは、地道に試していくしかない」
「うーん、それも分かっているんだけど……」
キースの言葉は、以前にもどこかで聞いたことがあるものだった。事実がそう簡単に変わるはずもないのだから当然ではあるのだが。
どうにも歯切れの悪いセリカに対して、キースはばっさりと切り捨てるように言う。
「セリカ。相談とは言いながら、最初からお前の答えは決まっているんだろう。だったら俺に言えることは何もない」
「私は……この魔法の精度を上げたい。エリステラのアクアレイほどとは言わなくても、せめて乱戦の中でも味方に当てないくらいには」
セリカは自身の魔法の精度が低いから、乱戦では味方への誤射の恐れがあって魔法を使うことが出来なかった。学内大会の決勝での、そんな苦い思い出を払拭するためにセリカはもがいている。
「私さ、決勝で全然役に立たなかったんだよね。もちろん個人の活躍よりクラスの勝利が大事だけど、それでも優勝したからそれでいいなんて、そんな風には全然思えなくて……私、頑張ったんだよ? ずっと頑張って、頑張って、子供の頃からずっと……。なのにいつも最後は上手くいかなくて。入学試験のときだって――」
入学試験で、剣術にはそれなりの自信があったセリカだったが、受験生同士での実技試験でエリステラと戦うことになったセリカは、何も出来ずに敗北した。基礎部分の点数で何とか不合格は免れたが、実技部分はエリステラの実力を考慮された上でもほぼ最低点だった。
そういったことが他にもいくつも重なって、セリカは入学する頃にはすっかり自信を失っていた。
「先生が最初来たときに努力は評価しないって言ったけど、頑張るだけで褒められてきたから私は弱いんだなって妙に納得させられたりしてさ。でもそんな先生の指導のおかげで自信がついて、こんな私でも変われるって、やっとそう思えたのに――」
セリカは正直な気持ちを吐露する。
「変われただろう」
「え?」
キースの不意の言葉に、セリカは少し驚いた表情を見せる。
「王立にぎりぎりの成績で合格したことで家族に失望され、入学後も同級生との実力差を痛感したお前は、制服を着崩して不真面目な生徒の振りをした。不真面目だからこうなんだ、本気を出していないだけだから、とそんな言い訳を自分にしてな。そんなお前が本気を出せるようになって、本気で悔しがることが出来た。俺はそれだけでも価値があることだと思うがな」
「……先生、私の入学したときはまだいなかったじゃん」
分かった風なことを言うキースに、セリカは図星を突かれて反論が出来ず、少し拗ねたようにそんなことを言った。
「資料には全て目を通したし、これは今だから言うがお前たち全員の地元に助手を送り込んで聞き込みもさせている。お前たちが幼少時代からどんな人間だったのかも知った上で、自分の目で今のお前たちを見てきた。お前たちがそれぞれ抱えている目立った問題くらいは把握しているつもりだ」
「……あのさー、前から言おうと思ってたけど、いくら担任でも生徒のことそこまで調べ上げる先生なんて普通いないよ?」
「自分が必要だと思ったから調べた。それだけだ」
「それだけって言いきれるところが、先生の強さなのかなぁ」
そう言いながらキースを見るセリカの表情には、羨望と嫉妬が入り混じった複雑な色が浮かんでいる。
「セリカ。強さも弱さも、コインの表裏だ」
「え、っと、どういう意味?」
「同じものを、どちらから見るかの違いでしかないということだ。お前が強いといった俺は、お前の言う普通の教師にはなれない」
「別にならなくていいんじゃない?」
「ならないんじゃない、なれないんだ。たとえば俺のやり方が合わない生徒がいたとして、その生徒は普通の教師に教わった方が実力も伸びるだろう。であればその生徒から見た場合、俺の方が教師として劣っている……ただそれだけの話だ。別に深い意味はない」
そこで会話が途切れ、しばらく沈黙が流れる。
お茶を飲み干して、先に沈黙を破ったのはセリカだった。
「んー、じゃあやっぱり魔法の方は地道にやっていくしかなさそうかな。先生、話聞いてくれてありがとう」
「ああ。……セリカ、一つだけヒントをやろう」
「え、何?」
「味方に魔法を当てない方法は、一つじゃない。お前なりの正解を見つけてみろ」
キースの言葉を聞いたセリカは「やっぱり答えは教えてくれないんだね」と苦笑いしながらキースの研究室を後にするのだった。