単純明快
ある日の放課後、キースが教室から出て研究室に戻ろうとしたところで生徒から声をかけられる。
「先生、ちょっといいか?」
「クラウスか、珍しいな。どうした?」
クラウス・ダランベールは東のブラウンスタイン領にある公爵家出身の男子生徒である。ブラウンスタイン領はスコールランド王国で最大の領であり、一年A組にもブラウンスタイン領の出身者が複数人いるため、クラス内でも一つのグループを形成していた。
その中でもクラウスは能力的にも特に目立つ生徒の一人であり、総合的な実力でいえばラウルやユミールと並ぶレベルだとキースは評価していた。
そんなクラウスだが、これまではあまりキースに頼ることをしない生徒だった。プライドが高い面はあるが、必要があれば仲間に協力を乞うことも出来る柔軟さを持ち合わせており、何より自分の課題を見つけて克服していくことが出来ることからも、壁にぶち当たるようなことも起きず順調に成長していると感じていた。
「聞いて欲しいことがある。人がいないところで話したい」
「……いいだろう」
キースはそういうと自分の研究室までクラウスを先導する。
そうしていつものようにソファに座るように促し、キースは茶を淹れてクラウスの前に差し出す。
「先生も茶なんて飲むんだな」
「俺を一体何だと思っているんだ?」
「ははっ、冗談だよ。……早速本題に入るが、俺はクラス内での俺の評価に納得がいっていない」
「……なるほどな。続けてくれ」
雑談もそこそこに、単刀直入とばかりに本題を切り出したクラウス。そこから出た言葉は彼のプライドの高さからすれば意外とまでは言えないが、それをキースに対して口に出したということには少しの驚きがあった。
「入学時点でのクラスでの俺の立場は主席のエリステラに次ぐ二番手の座を、ラウルやユミールと争う位置だった。そしてそれは、先生が来て学内大会を優勝した今も変わっていないと思う。学内大会までラウルとユミールは剣術に重点を置いて鍛えていたから目立っていたが、俺だって魔法に関して実戦で使いやすいように術式の改良を進めていた。地味なことの積み重ねで、あまり目立たなかっただろうがな」
「ああ、知っている」
「だよな、むしろそうでないと困るんだ。努力を評価せず、成果で評価すると宣言した先生がちゃんと見ていてくれないと、結局効率が悪い努力のアピール合戦になってしまうからな」
言葉の端々に含みを持たせるクラウスの話を聞きながら、キースは茶を一口飲んでから言葉を返す。
「……なるほど。お前の言いたいことは理解した。つまりクラウス、お前は学内大会で自分ではなく、ラウルとユミールが重要な役割を任されたことに不満があるんだな?」
キースの言葉を聞いて、クラウスはにやりと笑みを浮かべる。
「キース先生は話が早くていいな。俺だって指揮官がエリステラだったことには納得している。あいつほどの指揮が出来る人間なんて、学校中を探してもリチャード先輩とルカ先輩くらいだからな。だけど、エリステラが先生と同じような評価軸でクラス全員のことを見ていたとは思えない。もちろん俺だって学内大会で勝ちたかったから輪を乱すようなことは言わなかったが、俺以外にも不満を溜めこんでいる奴は何人か心当たりがある。今後もそれが続くようだと、いずれ問題が起きると思う」
「お前が問題を起こす、だろう?」
「ははっ、そうかもな」
クラウスはプライドが高いものの、それは決して自信過剰というわけではない。事実、クラウスとラウルやユミールの間には実力差といえるほどの差は存在しなかった。
あるとすれば適性の差だが、クラウスはラウルと同じ高威力の火属性の魔法の使い手であり、剣術に関してもクラウスは身体強化など力の面で優れており、ラウルたちは技術の面で少しだけ長けているといった程度でほぼ互角と言える。
そんな中での不当な低評価は、彼のプライドを傷つけるものに違いなかった。
クラウスはただ自分の実力に対して、正当な評価をされたいという思いが強いだけなのである。
「そうだな……これから俺が言うことは、ただの言い訳という前提で聞いてほしい」
「ただの言い訳って、正直すぎるな……まあ嫌いじゃないけど」
「まず学内大会について。これに関してはクラス全員が勝つための最善を尽くすことに意味があった。その結果として与えられた役割や命令に不満が出ることもあるだろうが、そんなことは騎士団に入れば日常茶飯事だ。不満でもちゃんと成果を出す、その予行練習としては貴重な成長の機会になったと思う」
「ああ、そこには俺も異論はない」
「次にラウルとユミールについて。あの二人に関して言えば、単純に二人をセットにして行動させるのが一番実力を発揮できる。感覚派のユミールと理詰めのラウルという正反対の二人が、お互いにフォローし合うことで高い連携力が生まれている」
そのことに関して同じ師匠の元で学んだ二人が、あそこまで両極端に育ったことにキースは作為的なものを感じていたが、それは今は関係ない話だろうと判断して口には出さなかった。
「それも分かる。二対二の訓練をするときに、一番厄介だったのはあの二人のコンビだからな」
「そうか。では最後にクラウス、お前についてだが……言ってしまえばお前に戦況を動かすほどの実力がなかったのが学内大会での扱いに繋がったと俺は思っている」
「なっ、俺はラウルやユミールに劣っているつもりはない!」
プライドを刺激されたのか、クラウスは大きな声で反発した。
それでもキースはクラウスの様子を気にすることもなく、淡々と話を続ける。
「劣っていないだけ、だろう? たとえばお前が何か新しい魔道具を買ったとしよう。その直後に新製品が発売されたとして、お前が買い換えるとしたらどんなときだ?」
「そんなの、新製品の方が性能がいいとかデザインがいいとか――」
「つまりエリステラが先に買ったのがラウルとユミールで、新製品がクラウスだったという話だ。わざわざ置き換えるほどの価値をお前が示せなかった、ただそれだけの話だろう」
「でもそんなの、どっちが先かというだけの話だろ」
クラウスは理屈では理解しつつも、納得できないといった様子を見せる。
「だからこれは俺の言い訳だ。そして俺はラウルもユミールも、戦況を動かすほどの実力がなかったという意味では、お前と同じだと思っている。分かりやすく言い換えれば、あの二人も別に特別な役割を与えられたわけではないということだ」
「……? それってどういう意味だ?」
「学内大会中に目立たせて警戒度を上げ、決勝で囮の役割を果たせるなら誰でも良かった。その意味ではラウルとユミールは連携力が高く、剣術も技量が高くて見栄えがするから囮向きだったんだろうな。勝つという目的を達成するためには、割り振る役割は厳密に実力順である必要もないし、最初に決めた配置から入れ替えて連携を一からやり直すほどの価値はなかったというだけの話だ」
「誰でも良かった……?」
学内大会を勝つ上で、あの役割がラウルでもクラウスでも関係ない。どちらであっても、勝てるように最善の戦術を組み立てるだけなのだから。
「指揮官のエリステラがそう判断した。あいつが指揮官でなければ学内大会は勝てなかったが、そうしたことでお前を含む他の生徒に不満が溜まったというのであれば、それはエリステラに全権を与えたまま放置した俺の責任だ。すまなかったな」
「いや、それは先生が謝るようなことじゃない。勝つためにクラス全員で決めたんだから。でも、だとしたら俺は、一体何にそこまで拘っていたんだ……?」
自分が価値を感じていたものが、本当は無価値だったと知らされて、少し困惑した様子のクラウス。
「自分の実力を正当に評価されたいというのは、誰もが持つ当たり前の感情だ。ただお前が間違っていたとするなら、それが一体何のための評価なのかという点だろう。お前は最初にクラス内での評価に納得していないと言ったが、学内大会を勝利に導くという観点での評価でいえば全員が実力不足だった。ラウルやユミールと比較してという相対評価に意味はない。上級生相手に単独でどれだけの戦果を挙げられるかという絶対評価だけがそこにある。だからお前たちは毎日居残りをして上級生との人数差を生かすために連携を高めた。そうだろう?」
「ああ、そうだ……けど」
そんな風に論理を一つづつ積み上げていくキースだが、クラウスはそれでもどこか納得しきれないという雰囲気だった。
「やはり納得できないか?」
「納得……そうだな。せっかくの学内大会で、自分の実力を見せる場がほとんどなかったのが不完全燃焼だったんだと思う」
クラウスも学内大会でクラスが勝つことを最優先の目標にしていた。
しかしその上で、自分の活躍でクラスを勝利に導きたかったのである――学内大会を見ていた誰もが認める、クラスの中心人物として。
「俺は、その他大勢で終わるつもりはない。目立って、活躍して、騎士団でもエースになって、いずれは騎士団長になる……先生、俺のこの考え方は間違っているか?」
「俺に訊いてどうする。誰が何と言おうが、それを成し遂げる意思がお前にあるかどうかで決まることだ。……だが、お前がそのつもりなら分かりやすい方法がある」
「分かりやすい方法?」
「お前が圧倒的な実力で周囲の全てをねじ伏せればいい。そうすれば誰も文句は言えないし、おのずとお前の目的にも近づくだろう」
ラウルやユミールに劣らない程度の実力しかないから悩むのであれば、その実力が圧倒的であればいい。単純明快な、これ以上ない分かりやすい方法ではあった。
「それが簡単にできれば苦労も悩みもしないが……まあ、それしかないよな」
「学内大会など通過点に過ぎない。俺は教師として、最後に一番強いやつを一番評価する。単純な話だろう?」
「ああ、そうだな」
クラウスは小さく笑みを浮かべながらそう返事をした。
そうしてクラウスがキースに礼を言って研究室から立ち去ろうとしたとき、背中越しにキースから声をかけられる。
「最後に訊くが、お前はどうしてラウルとユミールをライバルにしたんだ?」
「……? それってどういう意味だ?」
「エリステラを越えようと思わないのは、お前らしくないだろう?」
キースのその言葉は、クラウスの心の奥深くにあった欺瞞に突き刺さる。
エリステラからの評価を気にして扱いに不満を持つくらいなら、エリステラを越えて自分がクラスメイトを評価する側に回れば良かったはずなのに。
クラウスは無意識のうちに、エリステラを特別視していた。だから彼女を越えるという発想に至らなかったのだ。
結局は全て自分の弱さが原因だ。その不満を外に向けたって意味がない。自分が強くなれば全て解決する――それはどこまでも単純な話だった。
「……ははっ、そりゃそうだ! 目的と行動が一貫してないから、思考だってブレるんだ……ありがとう、先生。やっぱり先生は賢者とか関係なしに、俺たちのことをよく見てくれてる良い先生だよ」
「そうか」
そういって教室に戻ったクラウスは、さっそく同郷の仲間に声をかける。
「シア! 付き合ってくれ!」
「……ごめんなさい。結婚相手は戦場で探せって家の方針だから」
「交際は申し込んでねぇよ、訓練だよ! ほら、ハリドとトリッシュも笑ってないで付き合え、二対二やるぞ」
クラウスたちは何だかんだと言いながら、学内大会以降は毎日放課後に解放されている模擬訓練場を目指して歩いていくのだった。