復讐心
キースはスコールランド王国の南西端に位置するサイリス領の農村に生まれた。
両親は平民で魔法も使えなかったこともあり、キースも魔法の才能を持たなかった。そんな家庭の中で一人、五歳年上の姉だけがわずかばかりの治癒魔法の才能を持っていた。
畑仕事で忙しい両親の代わりに幼いキースの面倒を見ていた姉は年齢の割にしっかりとしていて、キース以外にも村の子供たちのまとめ役として、村の大人たちからの信頼も厚かった。
「キース、肘、すりむいてるよ」
「ほんとだ、ありがとう」
姉の治癒魔法はかすり傷を治す程度のものでさほど特別なものではなかったが、何の魔法も使えないキースからすれば憧れの存在だった。
しかし魔法の才能の有無は努力でどうにかなるものではない。キースが姉に憧れて努力をしようとしても、そもそもスタート地点にすら立つことが出来ない。
とはいえそれがキース達にとって不幸であったかといえばそんなことはなかった。腕を磨いて騎士になるといったような夢を持っていたわけではなく、魔道具の普及もあって田舎で平穏に暮らす限りにおいては、魔法が必要となるような場面自体がそう多くはなかったのである。
もちろん騎士学校を目指す子供たちが通うような学校や道場のようなものが近隣になく、そうした子供たちの熱意に触れるどころか、存在を知ることすらなかったことも理由になるが、何にせよキースは劣等感を持ったりすることもなく、一番凄いのは姉だと純粋に信じて憧れていた。
そんな風に農村という狭い世界で生まれ育ったキースは強い家族愛を持つと共に、同じ村に住む人々に対する特別な仲間意識を持つようになっていく。
そうした平穏な日常が崩れたのはキースが五歳になって、三か月ほどが過ぎた統国暦293年八月のことだった。
人類と魔物の戦いが終わることなく、今も続いていることはキースの村に住む人々も知識としては知っていた。しかし自分たちの生活とは関係のないことだとも思っていた。
だからこそサイリス領全土が魔物の手に落ちた歴史的大敗が起きた時、自分たちの村で何が起きているのかを正しく認識出来た人間は一人として存在していなかった。
突如として現れた異形の大群に蹂躙され焼け落ちた村。キースは両親を目の前で惨殺され、動けなくなっていたところを姉に手を引かれる形で逃げ出した。
しかし子供の脚力で逃げ切れるはずもなく、キースを庇った姉は殺され、そしてキースも魔物に丸呑みにされた。
キースの記憶はそこで途切れており、次に目を覚ましたときにはサイリス領の東にあるマグノリア領の街にある病院だった。キースは敗走中の騎士によって奇跡的に助けられたことを知らされるが、同時に村の生き残りは他にいないということも知ることになった。
それから身寄りのないキースは孤児院に預けられてしばらく生活する中で、以前にはなかった不思議な感覚が自分の中にあることに気付く。
そしてその感覚が「魔力の流れが見える」ものだと確信したとき、キースは今の生活から脱出することを考えた。
それは孤児院でただ生きるだけの自分の在り方に、自分で納得することが出来なかったからである。
目の前で家族を魔物に殺されて、突如として幸せだった時間を奪われて――奪われて、それで終わりなのか?
キースは幼いながらに、あるいは幼いからこそまっすぐな心で、自分の身に降りかかった理不尽に反発した。
当時のキースにとって幸いだったのは、孤児院をマグノリア領主家が運営していて、騎士になる才能があると見込まれた子供に関してはマグノリア領主家が積極的に支援を行っていたことだった。
とはいえキースの持つ力は異端のものであり、その価値がどれほどのものなのかを正しく測ることが出来なかったマグノリア領主家は、キースの能力を調べたいという打診を受けて、王都のとある研究所にキースを送ることにした。
その研究所は賢者エルダという女性が独自に運営しており、その運営方針に関してはたとえ国王であっても口を挟むことは出来ない――言ってしまえばスコールランド王国の中にある、小さな国のようなものだった。
賢者エルダという人物の実績は確かなもので、様々な新理論や魔道具の開発によって人類に多大な恩恵をもたらしている。具体例を挙げると、騎士学校や闘技場などにある肉体的ダメージを魔力へのダメージに変換する施設も、エルダによって作り出された発明である。
そのためエルダという名前だけは広く知られているが、同時に謎が多い人物でもあり、長い付き合いがある今のキースですら知らないことも多い。
というのもエルダ本人の口から語られることは突拍子もない内容であることが多く、何が本当で何が嘘かを判断するのは非常に困難であることがその最たる理由である。また彼女自身が意味もなく嘘を吐いたり、かと思えば深い意味がある言葉を残すなど、つかみどころがない性格なことも、エルダという人間を理解することへの妨げになっていた。
たとえばエルダの外見は十代前半の少女のようであり、これは「大昔に魔法によって老化を止めたことによる副作用」だと語られるが、それをそのまま信じるのは難しい。
そのような魔法の存在は知られておらず、もし存在するのであれば魔法学の研究において重大な発見として何らかの発表がなされているはずである。
しかし魔法というもの自体が属人性の高い性質を持っており、同じ属性の魔法を同じような術式で発動したとしてもその性質は個人によって異なる他、治癒魔法のようにそもそも発動できる人間が限られている魔法というものも数多く存在している。
それを適性という言葉で片付けてしまえるのであれば、エルダの魔法はこの世でエルダ一人にしか適性がない魔法ということになるのだが、本当にそうであるのかはエルダの部下である研究員たちの間でも見解が分かれていた。
そんな風に賢者エルダは謎多き人物であったが、当時五歳であり狭い世界で生きてきたキースにとっては、村の外の人間はこういう感じなのかと、良くも悪くも素直な心持ちで彼女と接していた。
そうしてエルダによるキースの能力の調査と並行して、魔法学の基礎を彼女に叩きこまれることになったが、魔力の流れが見えるという力はキースが魔法を習得する際に特に大きな効果を発揮する。
誰しもが感覚でやっていることを、キースだけが全てを目で追って何が起きているのかを視覚的に把握できる。それは見本を見せてもらえば、その通りに魔力を循環させることで、ほぼ同様の魔法を再現することが出来るということに繋がった。
とはいえキースは元々魔法に適性を持たない平民の子供であったので、魔力容量は微々たるものしかなく、その弱点が解消されるまでの数年間は常に魔力欠乏状態による頭痛や眩暈に襲われるほか、気絶することも珍しくはなかった。
ちなみにキースの他にも同様の境遇でエルダの要請によって連れてこられた子供たちもいたが、エルダが最後までが興味を持続させた調査対象はキースだけである。
エルダの調査によって分かったことはいくつかあり、キースの能力は魔物に丸呑みにされて消化されかけた際、体に起きた変化によって得られたものだと結論付けられた。またそうした後天的な外傷に因る能力であるため、子孫に受け継がれることはないだろうとも言われている。
ある時、エルダはキースの能力についてこう語った。
「――君の力は人類に与えられた、贈り物なのかも知れないね」
「贈り物?」
「ああ。魔物に丸呑みにされて救出されるということは、戦場ではそう珍しいことではない。もちろんそれによって魔法が使えなくなるなどの障害を負う事例がほとんどで、君のように特殊な能力を授かることはごくわずかな事例しかないが、そういう意味では君は数々の屍の上に立つ唯一の成功事例とも言える……おっとすまない、君にこんな言い方は少々デリカシーにかけるね」
「いいよ、俺はそういうの気にしないから」
「全く、そんなところまで私に似てしまって……気は楽でいいけど、子育てとしては大失敗だねぇ。君、将来モテないよ? ……まあ何にせよ、君の力は人類の希望になり得るだけの価値を秘めている――とはいえ、それをどう使うのかは君が決めなければならない」
キースの能力は人類にとって一代限りという、期限付きの最強の力。だがその力をどのように使うのかは、キース自身が決めることだと賢者エルダは言った。
だからこそキースは自分で決めた。
「それなら俺は、この力で魔物に奪われた村を取り戻す。それで家族と、村の皆をちゃんと弔ってやらなくちゃいけない」
それがただ個人的な復讐でしかないことは幼いキースにも分かっていた。人類にとってはその力にもっと有効な使い方があることを理解した上で、キースは魔物に対する復讐の道を進むことを誓ったのである。
そしてその復讐を為すためには特別な力が必要だったから賢者を目指した。キースの研究や発明による功績が認められて賢者になりはしたが、それはキースが復讐を為す過程で、勝手に人類が恩恵を受けていただけの話でしかない。
キースは自分の力の使い方や復讐という目的が正しくないということを理解している。だが同時に、正しさだけでは救われないものがあることも理解していた。
そもそもの話をすれば、キースの力自体が努力のような正しい形で手に入れたものではない。だからといって、その力による恩恵や戦果に価値がないかと言えば、そんなはずもなかった。
――魔物に村を滅ぼされ、孤児院で孤独な日々を過ごす。
それこそが魔法も扱えない無力な少年にとって、本来あるべき正しい生き方であったなら――そんな正しさは、キースにとって不要なものに違いない。
昔話を終えたキースはカップに残る最後の一口だった紅茶を飲み干すと、いつも通り淡々とした様子でエリステラに言った。
「長々と話したが、つまるところ俺は自身の復讐のために活動している。その手段が人類にとっての新しい武器を創造することなのか、自身が最強の一兵卒として戦場を駆け回ることなのか、将来の騎士であるお前たちを強く育て上げることなのかは分からないが、一つ確実に言えるのは、エリステラ。俺はお前のように、誇りを持って人類のために戦うような人間ではないということだ」
「…………」
そんなキースの心情を告げられたエリステラは、複雑な表情を浮かべながら、ただ沈黙するのだった。