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妄信

 キースの研究室を訪れたエリステラは、一人で静かにソファに座っている。


 キースが淹れたお茶を出すと、エリステラは一言お礼を言い、対面にキースが座ったことで話が切り出される。


「放課後に呼び出してすまないな。学内大会も終わって、お前とはどこかで一度ちゃんと話さなければならないとは思っていたが、少しタイミングが遅くなってしまった」

「いえ……」

「まず確認だが、俺が賢者だとアラン王子が全校生徒の前で公表したことは知っているか?」

「はい、クラスのみんなから聞きました。正直、驚きというよりは安堵したという気持ちの方が大きいです」

「安堵?」

「前線から左遷されてきた何者でもない人が、私の父よりも強いという現実に正直混乱していた部分もあったので、納得できる理由が説明されたことへの安堵です」


 エリステラにとって父エジムンドはそれだけ特別な存在であり、エジムンドを越えるキースの強さがエリステラに与えた衝撃は計り知れないものだった。


 それだけにクラスの担任が賢者であることや、自分たちが賢者の指導を受けているという本来驚くべき事実に関しても、エリステラは納得できたという気持ちが先に来たため、他の生徒ほど驚くことはなかったのである。


 何にせよエリステラがキースが素性を隠していたことに対して不満や不信感を抱いていないことが確認できたので、キースは早速本題に入ることにした。


「それで本題の学内大会についてだが……よくやった。優勝というこれ以上ない結果を得られたのは、クラス全員が目標に向けて正しく取り組んだこともあるが、それを中心としてまとめていたのは間違いなくエリステラだろう。お前がいなければ成し遂げることは出来なかった偉業だ、これに関しては誇っていい」

「……ありがとう、ございます」


 キースの口から出たのは最大級の賛辞。それはクラス全員を褒めるというエリステラとの約束をキースが果たした際、唯一その場にいなかったエリステラだけが受け取れていなかった言葉である。


 しかし、その言葉を受け取ったエリステラの表情は、決して晴れやかなものではなかった。


「――俺は心から褒めたつもりだが、やはり納得いっていないようだな」

「いえ、そういうわけでは……」

「ルカ・リベットに勝てなかったことが悔しいのか?」

「…………はい」


 キースのデリカシーのない指摘を気にした様子もなく、エリステラは素直に肯定する。今のエリステラには、どうしてかキースの淡々と事実を指摘する言葉がありがたく思えた。


 しばらく沈黙したのちに、エリステラは静かに口を開く。


「学内大会の決勝戦では、勝つために色々なことを考えました。でもどんな戦術を考えたとしてもルカ先輩を抑えきることが出来ず、少なくない被害がクラスに出てしまう……だからその囮の役割は、自分が務めることにしました。幸い一回戦から目立てていたので、私には優先して倒すだけの価値があるとルカ先輩に思わせることも出来ていたはずだからです」

「そうだな」


 キースは静かにエリステラの話を聞きながら、続きを促す。


「でもルカ先輩と戦っている中で理解したんです。ルカ先輩を含む三年C組の人たちは、勝って当たり前だと思われているからこそ、貴族院や騎士団にアピールするためには圧倒的に勝って見せる必要があった。だから罠だと分かっていても私との一騎打ちを選び、その上で正面から叩き伏せなければならなかった……つまり最初から、対等な戦いではなかったのです。もし三年C組が貴族院や騎士団へのアピールなどを考えず、本気で勝つためだけに戦っていたら、私たちは何も出来ずに負けていたでしょう」


 あの一戦の中でそこまでのことが読み取れたのかと、キースはエリステラの観察眼の優秀さを再認識する。


 しかしキースのそういった驚きとは裏腹に、エリステラは感情をより強く出しながら言葉を続けた。


「それに私は、ルカ先輩との一騎打ちの中で自分に課していた誓いを破りました。目先の勝利を求めて奇策を弄する……貴重な成長の機会を捨ててまで勝ちを求めることなんて、キース先生は望んでいないと分かっていたはずなのに」

「待て。仮に俺が望んでいないとして、それがお前の戦いと何の関係がある? そもそもそんなことを言った覚えもないんだが……エリステラ、お前があのときどうしても勝ちたくてその一手を選んだというなら、俺はその選択をどうこう言うつもりはない。結果は伴わなかったかも知れないが、今のお前ならそこから学べることもあるだろう」


 ルカを隔離して時間稼ぎに徹するというエリステラの作戦において、アルフィルクを放って大量に魔力を消費することは最善の選択とは言えない。だがそんなことは今のエリステラなら当然理解していることであり、それをキースが指摘することには意味がない。


 だがもしかしたらエリステラは、作戦のための最善を選ぶことが出来なかった己の弱さをキースに叱ってもらいたかったのかも知れない。それはエリステラ自身にも分からないことだった。


 学内大会で優勝を果たしたことと、奇策を弄した上でルカ・リベットに敗れたこと。


 嬉しさと悔しさ、褒めてもらいたい気持ちと叱ってもらいたい気持ち。それぞれが複雑に入り混じって、自分でも自分の感情が今どうなっているのか分からなくなっていたのが、ここ数日のエリステラの状況だった。


 そしてキースに褒めてもらうにしろ叱ってもらうにしろ、自分からそれを求めるようなことが出来るはずもなく、自分を厳しく律しようとした結果が冷たい雰囲気として表に出ていたのである。


「それは……ですが、先生はいつも――」

「エリステラ、俺を妄信するな」

「……っ!」


 キースの言葉にエリステラは驚いた表情を見せる。それはエリステラ自身でも気付いていなかった、心の奥深くにある自身の甘えを鋭く指摘する言葉だった。


「俺が賢者だと知って浮ついていた他の生徒たちにも言ったが、お前たちの成長や優勝という成果は、お前たち自身で勝ち取ったものだ。俺が出来るのはせいぜい道しるべとなることくらいだが、それだっていつも正しいとは限らない。だから俺のやり方に疑問が生まれたなら別に従う必要はない……俺が最初にそういうつもりの話をしたら、お前には生徒にばかり努力を強いる詭弁だと噛みつかれたから、良い傾向だと思っていたんだがな」

「いえ、でもあの時は先生の実力が分からなかったからで――」

「だが、あれで良かったんだ。実際俺はあのときお前を有望だと思った……そうだな、俺がお前に望むことがあるとするなら、あのときの気持ちを忘れずにいてくれ」

「……先生は、難しいことを簡単に言ってくれますね。あの頃と違って、今の私は先生の実力を知っていますし、指導の成果も実感しています」

「別に全てを疑えと言っているわけではないし、俺を教師として信頼するのは構わない。だが俺の言うことを素直に聞いているだけでは、俺が想像する程度の実力しか身につかない。お前たちには俺の想像などはるかに超えるくらい、高い目標を持ってもらいたいという話だ。むしろそれくらいでなければ、この先遠からず躓くことになる」

「……? ……そうですね。とりあえず勝手に先生の望みを想像して、自分の選択肢を狭めるようなことは、もうしません」

「ああ、それでいい」


 そうして話が一旦落ち着いたところで、キースは自分で淹れたお茶を飲む。自分しか飲まないのであれば気にすることもなかったが、生徒やアクリスなどが度々訪れることから、茶葉の品質やお茶の淹れ方などにもキースは目を向けるようになった。


(あ、美味しい……)


 そうしたキースの努力の成果もあって、今では公爵令嬢であるエリステラすらもその味を認めるほどのお茶を淹れられるようになっている。とはいえキース自身はそのことに何ら価値を見出してはいないのだが。


 少しの沈黙が流れたのち、先に口を開いたのはキースだった。


「――すまなかったな」

「え? ……えっと、すみません、何についての謝罪なのか心当たりがないのですが」

「学内大会の優勝という目標を達成するために、お前には多くのことを背負わせすぎたと思ってな……。正直に言うと、優勝について俺はあまり重視していなかった。生徒たちにとって、優れた騎士になるという遠い漠然とした目標よりは、直近で分かりやすい目標があった方が、努力の方向性が明確になるだろう……と、そんな狙いが第一にあった」

「はい、それは先生からの指導を受けているうちに、おそらくそうではないかと思っていました」


 キースは常々結果しか評価しないと生徒に告げているが、学内大会の優勝というのはキースが求めている結果ではない。学内大会を優勝出来るだけの実力を身に付けることこそがキースの求めていた結果だった。


 学内大会を優勝するために自分たちに必要な能力は何かを分析し、限られた時間の中で効率的に鍛錬する。それらのことを自分たちで考えて成し遂げたことに価値があり、その結果さえ得られたのであれば、大会で優勝できるかどうかはおまけでしかなかったのだ。


「だが同時に、お前たちなら本当に優勝することも可能なのではないか? という風に思う部分もあった……それはエリステラ、お前の存在による所が大きい」

「私、ですか? 確かに一年生の中では一番であるという自負はありますが、それでも決して飛びぬけた実力があるわけではありません。全体としてみれば、私より優れた能力を持つ先輩はたくさんいますし、優勝出来る材料としては弱いと思いますが」

「ああ、その自己分析は正しい。だが俺が特別評価したのは、お前の指揮官としての才能だ」

「指揮官としての才能、ですか?」


 キースの言葉にあまりピンときていない様子のエリステラ。キースは話を続ける。


「最初に俺がクラス全員を相手にしたとき、お前の言葉で全員の士気が高揚し、お前が倒された後もその勢いは持続した。自覚はないかも知れないが、ああいうことはやろうと思って出来るものではないし、努力で身に付けることも難しい。それに観察眼と分析力は言うまでもなく優れているが、その上で判断力と決断力の両面でバランスが取れている点も評価していた」

「判断力と決断力……判断の正しさと決断の早さ、ですか。確かにそれについては父や兄姉たちからよく教わりました。刻一刻と状況が変化する戦場では、遅い最善より早い次善の方が優れていることも多々あるから、と」

「さすがは人類最強の第一騎士団の主力であるグラントリス家だな。教えが実戦的だ」

「ありがとうございます。しかし士気に関する部分は、言われてみるまで気にしたことがなかったです」


 家のことを褒められて、エリステラは謙遜することなく素直に礼を言う。それは過度な謙遜は毒という教えもあったが、何よりエリステラの家に対する強い誇りを感じさせた。


「まあ細かい話は一旦置いておくとして、重要なのはお前には生まれ持っての指揮官の才能があるということだ。だが……そんな期待感があったから少々乱暴な方法も用いてしまったし、さっきの話のようにお前が俺の望みを叶えようと思ったのも、俺が不用意に期待をかけすぎたせいだったのだろう」

「それでも私は、先生に期待してもらえることは嬉しいですし、その期待には応えたいと思っています」


 エリステラの言葉からはキースに対する強い信頼が感じられる。


 しかしその信頼の行き過ぎた結果が妄信に繋がったと考えれば、あまり良い傾向とも言いづらいのがキースの実感だった。


 少し頭を悩ませたキースは、ふとアクリスの「他の生徒が知らない先輩に関する話」という言葉を思い出す。


 キースが自分の話を他人にすることは滅多にない。それは他人にとって面白い話ではないし、わざわざ話す意味もないことだからである。


 キースの力は努力で手に入れたものではなく、その力で為そうとしていることも決して褒められたことではない。だから誰かの参考になるようなことはないし、何かを得られるといったようなこともない。


 言ってしまえば、キースは自分自身に関する話には価値がないと思っている。


 しかし今この場に限って言えば、今日まで上手くいき過ぎた教師としての指導や、賢者という肩書によって歪められた虚構のキースの評価を正すくらいの役割は果たしてくれるかも知れない。


 少なくともキースという人間を知ることは、エリステラにとって判断材料が増えることには繋がるだろう。その上でエリステラがキースを信頼するという選択をしたのであれば、それはもはや尊重する他ない。


 そう思ったキースは一度大きく嘆息してから、口を開く。


「少しだけ、昔話をしよう――」


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