アクリスの愚痴
自分の話を聞いてもらったキースは、次はアクリスの番であろうといった雰囲気で。
「私の話、ですか?」
「ああ。最初に言っていただろう、愚痴を言いたいことがあると」
「確かに言いましたけど……そんなに深刻な話じゃないかも知れませんよ?」
「深刻かどうかはアクリスがどう思うかであって、外野がとやかく言うことではない。話すつもりがないというならそれ以上は踏み込まないが、俺への遠慮というだけなら、そんなことは気にしなくていい」
「まあ先輩がそう言ってくれるなら……先輩は、うちの家のことって知ってますよね」
「ウンディナ領のフォルクローレ男爵家だろう? といっても昔アクリスが話してくれたこと以上は知らないが、アクリスはそこの次女だったな」
「ええ、そうです」
ウンディナ領はスコールランド王国の南西部にあり、マグノリア領の東に位置している。
フォルクローレ男爵家は非常に珍しい女系一族であり、歳の離れた姉アイノアは第十一騎士団に所属していたが、十五年前にサイリス領を失った大敗によって戦死している。
そのためアクリスは次女でありながら兄もいる中で次期後継者という立ち位置にあった。ちなみに兄のオラシオはアクリスが王立騎士学校に入った頃にはすでに結婚しており娘もいたが、彼自身には後継者の資格はない。
それは古くは聖女の一族と謳われていたフォルクローレ家に代々受け継がれる「癒しの魔法」が、女性にしか完全には扱うことが出来ないものであることが理由だった。
「今うちの家にちょっと問題が発生していて……というかそれを言うなら姉が亡くなった時点からずっと先送りにしてきただけの話ではあるのですが、両親が退役した今のフォルクローレ家には現役の騎士がいないんですよ」
現役の騎士がいない貴族家というのは、現在の貴族の役割からすれば肩身の狭い立場だと言えた。人類の戦力となることが義務付けられているからこその貴族の特権であるからだ。
とはいえ現役の騎士がいなくなったからといって、すぐに何かがあるというわけではない。何故ならば騎士にとって戦死は避けられない事態であり、その結果として現役騎士がいない期間が存在するのは珍しいことではないからだ。
また騎士になるためには騎士学校を卒業しなければならないが、それには厳格に定められた基準を乗り越える必要があり、全ての貴族がその基準を満たせるわけでもない。
フォルクローレ家の場合、女性にしか受け継がれる魔法が扱えないという問題があり、そして何より男性には騎士となるのに充分な魔力自体が受け継がれないことが最大のボトルネックとなっていた。
「そして騎士になれる候補者も、現状兄の娘――私の姪に当たるヴィオラしかいません。彼女は来年王立に入学すると思いますし、私のように体質の問題もありません。しかし彼女一人しか候補者が存在しないという現状は、正直言って望ましくないというのがうちの家の当主――私の母の考えです」
「確かにヴィオラが無事卒業して騎士になれるとも限らないし、もし彼女まで戦死することになればまた長期の空白期間が生まれてしまう」
「……そうです。最悪の場合、遠い親戚筋の家に男爵位が移されることも考えられます。しかしそうなれば代々受け継がれてきた癒しの魔法は途絶えることになってしまうので、それだけは避けなければいけません」
アクリスの抱える悩みには家の歴史や力関係を含めた事情、貴族としての役割など様々な要素が複雑に絡み合っていることをキースも理解する。
だがそれらの問題に関して、一つのシンプルな解決法が用意されていることにもキースは気付いていた。
「なるほど。つまりフォルクローレ家当主は、アクリスに結婚を急かしているということか」
「……ええ、まあ、そうです」
アクリスはそう返事をしながらも、どこかジトっとした目でキースを睨む。
「アクリスが言葉にしたくなかった気持ちも分かるが……いや、すまなかった」
「いえ、いいんですけどね。いつまでも遠回りして逃げてばかりもいられない話ですし、先輩に話すって決めたのは私なので」
アクリスはそう言って微笑みを浮かべて、続ける。
「まず前提として、癒しの魔法に関して言えば私は歴代でもかなり強く受け継いでいるらしいんです。まあその影響もあってか昔から体が弱くて、結局騎士にはなれなかったという本末転倒具合ではあるんですが――」
「ああ、そこまでは俺も知っている」
アクリスはお酒を一口飲んでから、話を続ける。
「ただそれでも、私が受け継いだ力に関しては家にとっても価値がある……だから私は騎士になれなかったにも関わらず今でも次期後継者という立ち位置なんです。でも、そうであるからこそ、早く結婚して当主の座を継ぎ、より多くの優秀な子孫を残さなければならない」
「高貴なる者の社会的義務……か」
「そうです。それが貴族の家に生まれた私に与えられた役割……といってしまえばそれだけの話なんですけどね」
「そうか……それで、婚約者は決まったのか?」
「んん? 先輩、もしかして私の相手が気になりますか?」
「茶化すなよ。それが話の根幹だろう」
「あはは。まあ、結論から言えばそこが難航しているんですよね」
「……フォルクローレ家が女系一族だからか?」
キースは鋭く問題点となりそうな箇所を指摘する。
女系一族のフォルクローレ家の結婚する場合、男性側は婿入りになり、原則として側室も設けられない。自分の一族の血を広められないとなれば、あまり良い条件とは言えないからだ。
「そうですね、それもあります。ただそれ以上に、フォルクローレ家の血にこそ問題があるんです」
「フォルクローレ家の血?」
「フォルクローレ家の癒しの魔法は女性にしか扱えない。そして男性には充分な魔力すら受け継がれない。男の子が生まれた時点でアウトとなれば、子供が優秀な騎士になれる確率が単純に半分なんですよ。名誉のために生きる騎士にとって、自分の力を受け継いだ男子は絶対に生まれないなんて条件、なかなか飲めるものじゃないですよね」
アクリスはまた一口、酒を口に運んでから続けた。
「癒しの魔法のことも昔は聖女の祝福と呼ばれていましたが、近年では聖女の呪いなんて言う人もいたりするくらいです」
「聖女の呪い、か。何とも皮肉な呼び名だな」
「まあそういうわけで、結婚は急かされるし、そのくせ相手探しは難航しているしで、足元を見られてどんな相手になるのかも分かったものじゃない……っていうのが私の愚痴です。そもそもうちは男爵家で爵位も低いですからねー、不安だらけお先真っ暗ですよ……ぐびぐび」
「途中からやけに饒舌に喋るとは思っていたが……アクリス、いつの間にそんなに酒を飲んでいたんだ?」
「別に、これくらい普通ですよ?」
アクリスはそういって上機嫌に笑う。そんな様子を見てキースは呆れたように肩をすくめた。
「まあ何にせよ、アクリスの家の問題となると俺にはどうすることも出来ないから、本当に愚痴を聞くだけになりそうで悪いな」
「別にそれでいいんですよ、先輩は。先輩が話を聞いてくれて、私の状況を先輩が知ってくれていれば、私が本当に困ったときには先輩が何とかしてくれるんじゃないかって、そんな希望が持てるようになるだけで充分です」
「……ずいぶんと重い期待だな」
そう言いながらキースは酒の入ったグラスを口に運ぶ。芳醇な甘みが口の中に広がるが、後からくるキレのある酸味がしつこさを感じさせなかった。飲食自体にあまり興味を持たないキースだったが、この酒が良い物であることくらいはさすがに理解出来る。
その後もテンションの上がったアクリスが饒舌に喋り、日頃の出来事や二人の昔話に花を咲かせた。
特にアランの悪口に関してはキースとアクリスは意気投合し、他のどんな話題よりも盛り上がる。奇しくもアクリスの言っていた「アラン王子の悪口を言う会」という冗談は真実となった。
そうして楽しい時間が過ぎ、そろそろこの食事会もお開きかという頃、完全に出来上がった様子のアクリスがぽつりと、独り言のように呟く。
「あーあ……先輩が結婚相手だったら良かったのに」
アクリス自身も自分が何を言ったのか分かっていない雰囲気だったので、キースも聞こえなかった振りをする。
そうして「そろそろ店を出るか」とキースが促すと、アクリスも「そうですね」と返事をした。
「あ、今日は私が奢りますよ」
「それはさすがに悪いだろう」
「それじゃあ、次はキース先輩がお店を探して奢ってください」
そう言うとアクリスは手早く会計を済ませる。アクリスが最初からそういうつもりだったのかは分からないが、キースとしては流れるように次の約束を取り付けられた形になってしまった。
正直なところ、ろくな店を知らないキースとしては頭の痛い約束ではある。
「……わかった。だがあまり期待はしないでくれ」
「ふふふ、先輩がどんなお店を選んでくれるのか、楽しみですねー」
そうして二人は店を後にした。
そうして店から数歩だけ歩いたところで、少しだけ前を行くアクリスがふと何かに思い至ったようにキースを振り返って口を開く。
「あ、そうだ先輩。このまま帰ると生徒に見られて誤解される可能性があるので、先輩は少し時間を潰してから帰ってもらえませんか?」
二人とも王立騎士学校の敷地内にある寮に住んでいるので帰り道は同じだったが、さすがに学校が休みの日ということもあって生徒に見られる可能性があると思ったアクリスはそんな提案をする。
「誤解も何も、二人で食事をしたというのは事実だろう」
「そのパターンは前にもやりましたよ」
「……まあ別に構わないが、気を付けて帰るんだぞ」
「ご心配ありがとうございます。それじゃあ先輩、また明日、職場で会いましょう!」
そういって上機嫌に手を振りながらアクリスは去っていった。
実際のところキースは、アクリスを一人で帰すことに関する心配はあまりしていない。そもそも王都は治安が良く、またアクリスも王立騎士学校の卒業生で騎士資格を持つ実力者だからだ。
「……さて、時間を潰せと言われてもな」
まだそれほど遅い時間ではなく街は活気に満ちていたが、キースはあまり遊び歩くタイプの人間ではなく、結局近くの広場でベンチに腰掛けて思索を巡らせることにした。
キースは酒を飲んだことがないわけではないが、特別好きなわけでもなく自分から飲むことはあまりなかった。酒の強さに関しても、簡単に酒に呑まれるほど弱いわけでもないが、いくらでも飲めるほど強いわけでもない。
もちろんいざとなれば身体強化の魔法で酔いを醒まして活動することが出来るので、それが問題になるようなことはないのだが。
ふとアクリスはどうなのだろうかと、キースは考える。
アクリスの今日の様子を見る限りでは、酒にはかなり強そうで、キースと比べてもかなり早いペースで飲んでいたことから、酒自体も好きそうに感じられた。
ただそうなると違和感が残るのは、あの言葉だ。
≪あーあ……先輩が結婚相手だったら良かったのに≫
確かにアクリスはあの時かなり酔っぱらっているように見えた。そう、見えた。
本当にアクリスが酔っぱらっていたのか、それともそうであるように装っていたのか。それが分かるのはアクリス本人だけではある。
だがキースはその後のアクリスの様子を知っている。今日の食事代を奢ることで次回の約束を取り付けるなど、頭が回っていなければ出来ないであろうアクリスの行動でキースは後手に回らされた。
そして帰る際にも生徒の目を気にするなど、なかなかに冷静な判断が出来ていたものだと思う。
そして何よりあのアクリスが、いくら酒の席とはいえそんな不用意な言葉を漏らすだろうか?
「本当に、ずいぶんと考え方が大人になったものだな……俺も、お前も」
あの言葉が本音か冗談か、酒の力を借りることで有耶無耶にしたアクリス。そしてそれを聞かなかったことにしたキース。
お互いにもう子供ではなく、ちゃんとした立場がある大人になった。いつでも自分の本心をさらけ出して生きていけるような状況ではなくなっている。
だからこそ、それを言っても大丈夫な状況が出来上がるのを待った上でアクリスは言ったのだろう。
言い換えるとアクリスにとってその言葉は、そこまでしてでも言いたい言葉だったということだ。
――それはアクリスなりの、不器用なSOS。
「だがそれが分かったところで、どうすることも出来ないだろう」
アクリスは貴族で、キースは平民である。
そしてキースの能力も魔法も、血筋に由来するものではなく後天的な突然変異の代物であり、子供には継承されないだろうと、キースの能力について調べた賢者エルダにも言われていた。
何よりそれはアクリスだって知っている話だ。
「アクリス……俺はお前が思っているほど、価値のある人間ではないんだよ」
そんな言葉を虚空に呟く。
そうして時間潰しは充分だと思ったキースは立ち上がると、静かに帰途につくのだった。