腹黒王子の策略
第十一騎士団が多大な被害を出したという情報は最重要の軍事機密であり、賢者とはいえ現在は一教師であるキースの元には当然ながら伝わっていなかった。
「そうか、あの優秀な助手でもこの情報は掴んでいなかったか」
「アラン、詳しく話せ」
「いいだろう」
そういってアランは静かに語りだす。
「事の起こりは十五年前、魔物の大攻勢によってお前の故郷であるサイリス領が失われ、英雄エリック・バリエが戦死したあの大敗だ。そこから戦力の再編を図った貴族院が新たな騎士団長に任命したのがエリックの右腕として当時副団長まで上り詰めていた息子のブノワだった。しかしブノワに騎士団長としての適性はなく、騎士団の序列も常に最下位、戦果と被害の両面で最低の騎士団となっていた。であればブノワを解任して別の人間を騎士団長に据えれば良い……と、俺はかねてから指摘していたわけだが、貴族院はそれを了承しなかった。この折衝はもう七年近く続いていたわけだが……ここまではお前も知っているな?」
「ああ、続けてくれ」
「ブノワの性格を考えれば、落ちた評価を取り返そうと無茶をすることは充分に予測できた。事実、そうした功を焦った結果として被害を出した作戦というのは過去に複数回確認出来ている。今回もそうした焦りが生んだ悲劇と言えよう。ブノワは事前にマグノリア領主家次男フランツ・マグノリアに兵力と物資に関する陳情を行っていたが、無謀な作戦案に呆れられ一蹴されている」
フランツ・マグノリアはマグノリア領の実質的な最終防衛ラインであるクリングゾール砦の責任者である。騎士学校の卒業生として騎士となる資格を持ちながら、医師など複数の資格も持つなど、様々な能力に秀でた切れ者だと知られている。
キースが第十一騎士団に所属していた頃にはアランからの紹介もあって、フランツには時折内密の頼み事を聞いてもらいながら活動しており、彼の有能さはキースもよく知っていた。
「だがフランツの判断を不服としたブノワはマグノリア領からの特別な支援を受けずに攻勢に出た結果として、多大な被害を出すことになったわけだ」
「……ブノワがそんな無謀な作戦を行ったのは、俺が奴を殴ったせいか?」
「いいや。そもそもお前が活躍していなければもっと早い段階で第十一騎士団の評価は底まで落ちていてブノワの暴走も早まっていただろうし、お前が救った騎士たちがいたからこそ今回この程度の被害で済んだのだろうと俺は思っている。これはブノワが騎士団長をしているかぎり遅かれ早かれ起こった悲劇で、その状況を変えられなかったという意味では国王の名代である俺の責任以外の何物でもない」
「…………」
アランの言葉に嘘はない。しかしキースの感情的な行動が、その結果に何の影響も及ぼさなかったとは考えにくい。
キースがブノワを殴ることで彼の劣等感を刺激したりしなければ、今回の悲劇をもう少し先送りに出来ていた可能性は確かにあったのだろう。
ブノワに関しては見栄や虚栄で実力以上のことをやろうとした自業自得でしかないが、貴族院によってブノワの指揮下に配属された騎士にとってはこの上なく理不尽な話に違いない。そんな騎士たちを救ってやれず、むしろ自分の行動が原因で死に追いやってしまったことに関しては、キース自身も責任を覚えずにはいられなかった。
そんなキースに対して、アランはまるで明るい話題を話すかのように笑顔で話を続ける。
「キース、お前が責任を感じる必要はない。何度も言うがお前はよくやってくれている。それに俺はお前がああいった行動に出るであろうことも想定した上で、お前を第十一騎士団に派遣することを決定したんだ。その結果として早すぎず遅すぎず、一番良い時期に許容範囲内の被害で事を進めることが出来た」
「許容範囲内の被害……だと? アラン、お前は一体何を言っている?」
「前置きが長くなったが今回の一件で最も重要なのは、貴族院のブノワの任命責任を追及出来た結果として、第十一騎士団の再建を含めた今後の運営権を王家が握ることとなったということだ。貴族院の権力を引きはがすという俺の目的のためには、ブノワには大きな失策をしてもらう必要があったが、騎士団が壊滅的な被害を受けるようでは再建が困難になる。そして再建のための準備もあらかじめしておくわけだが、そのためにはある程度の時間が必要だった……ここまで言えば分かるだろう?」
アランは得意げに笑みを浮かべながらキースの反応を窺うようにそう言った。
キースはアランの言葉の意味を理解しながらも、それはいくらアランが優秀だとしても信じがたい話だと思い反論する。
「俺を第十一騎士団に派遣したのは、その時間稼ぎのためだというのか? だが元を辿れば第十一騎士団への派遣は俺から志願した話で――」
「お前の故郷への強い執着を俺は知っている。そして対魔物用の兵器である『魔器』の研究で思うような成果が出せなければ、お前が故郷方面の前線に出たがるだろうことも予想出来た……その後に何が起こるのかもな。あとは時期の問題だが、それに関しては別に多少の誤差があったところで構わないように計算した上で計画を立てるだけの話だ」
だけ、とアランは簡単に言うが、実際はそう単純な話ではない。コントロール不能な外的要因は無数に存在しており、特に魔物との戦いが繰り広げられる戦場におけるキースの行動や感情の変化を事前に予想するなどということは、キース本人にさえ不可能だと言える。
ふとキースは記憶の片隅でひっかかりを覚え、騎士団をクビになって王都に帰還した際に、アランとした会話の内容を今一度思い出てみることにした。
≪予想はしていたが、やはりこうなったか≫
≪この一年、お前はよく働いてくれた≫
≪俺の予想ではもっと短期間で問題が起きると思っていた≫
≪第十一騎士団の問題に関しても対処するのに充分な準備は整った≫
確かにあの時点でアランは今と同じように、キースに何一つ隠すことなく自分の考えていることを正直に明かしていた。
アランの言葉に嘘はない――しかしその裏側にはいつだって、誰も想像し得ないような策略が巡らされている。
キースはそれを理解していた。理解しているつもりだった。だからこそ自分の手に余る存在という意味を込めて、アランのことを腹黒王子と呼んでいたのである。
「くくく、そう睨むなよキース。俺は別に難しいことをやっているわけではない。全てのことがコントロール出来ているわけではないし、予想だってかなりの誤差を含んでいる。実際お前がブノワを殴ることだってもっと早く起こるだろうと予想していたが、実際は許容できるギリギリのラインまで遅れたのだからな」
≪お前のような非常識な人間を上手くコントロールしようなどとは最初から考えていない≫
アランは王都に帰還したキースに対して確かにそう言っていた。しかしコントロール出来ないのだとしても、その行動を予想してしまえば計画に組み込むこと自体は難しくない。実際キースの目的と思想は昔から一貫しておりブレることがないため、彼をよく知るアランにとっては計算しやすい人間であった。
だからこそアラン自身には自分が難しいことをやったという認識はなく、ただの論理の帰結として予想通りの結果になったという話でしかないのである。
「……ちなみに、俺がブノワを殴る理想のタイミングはいつだったんだ?」
「そうだな……あと一か月早ければ一年生の入学には着任が間に合ったし、一年A組が学内大会で優勝する確率ももう少し上げられただろう。まあ結果としては変わらなかったのだから問題ないが」
「アラン、お前は一体いつから……いや、いい」
騎士団に派遣したキースが一年後にブノワを殴ってクビになるという結末を、アランは一体いつから予想していたというのか。
まるで未来を見通すかのような目で策を成し、己の目的を着実に果たしていくアランに、キースは改めて畏怖の念を抱いた。
(アランは学生時代から底知れない人間だったが、国政を担当するようになってからは年々その能力も増しているな)
そんな風にキースが思う一方で、アランはそれでも自分よりキースの方がはるかに優秀だと思っている二人の関係性は、現在ではどこまでも歪で捻じれたものになっていた。
――お互いがお互いを認め合っているからこそ、正確な自己評価が出来なくなっている。
そんなキースとアランのことを客観的な立場で見られているのは現状セレーネしかいないのだが、優しい彼女が二人のことを褒めるのは昔から変わらないことなので、それで二人の認識が改善されることもないのであった。
「ともかくだ、キース。第十一騎士団の再建に関してもいずれお前の力を借りることになるだろうが、現状は教師としての仕事を頑張ってくれ」
「……ああ、分かった」
キースは自分がこれから教師として為すことすらもアランには予想されているのではないかと思いながらも、魔物を打倒するという目的は同じである以上、アランの予想通りに物事が進む方が自分にとっても良い結果になるのだろうと思い、そう返事するのだった。