甘美な毒
キースの正体が賢者であると明かされたことで生徒のみならず教師の間にもどよめきが起こる。しかしそれも一瞬のことであり、次の瞬間にはアランへと目を向けていた。
今この瞬間、他ならぬアランこそがこの場の全てを支配している。この場にいる全員が池から顔を出す魚のように、アランから言葉という餌を与えられるのを待っていた。
学内大会で一年生が優勝するという異常事態。何かが起きていると誰もが心の中で思っていたところに、その何かを起こしたという人物。彼が何をしようとしたのか、どのような意図がそこに介在しているのか。
誰しもが答えを求めていた――しかしその答えが毒であると、キースとセレーネだけが知っている。
「上級生諸君は一度、自分たちが一年生だった頃のことを思い返してみて欲しい。入学して三か月時点の自分たちが、一体どんな工夫をすれば学内大会で優勝することが出来たのか……結論はおそらく不可能となるだろう。それほどまでに上級生との差は歴然だったはずだ。しかしその不可能が今こうして現実となっているのは何故か……諸君はその疑問に対して賢者という答えを与えられて、心のどこかで納得してしまってはいないだろうか?」
話を聞く生徒たちの心をゆっくりとコントロールするように、アランは続ける。
「担任が賢者だったから一年A組は学内大会で優勝出来た……もちろんそれ自体は否定しない。だが上級生諸君が、だから負けても仕方なかったのだと、そこに敗北の答えを求めるのであれば、それは間違いだと言わせてもらおう。諸君が考えなければならないのは、入学してわずか三か月の一年生に追い抜かれたということ。そしてその差はこれからも広がり続けるということについてだ」
アランはそうしてはっきりと、上級生たちが敗者であるという事実を突きつけた。
上級生たちの反応は様々で、静かに目を伏せる者、唇を強く噛みしめる者、拳を強く握りしめる者。その誰もが、悔しいという感情をその胸に抱いていることは明らかだった。しかしその悔しさは、必ずしも自分たちが敗者だと突きつけられたことが理由ではない。
何故一年生が学内大会で優勝出来たのか、上級生たちがその理由を心の中で探していたのは事実である。そしてそこに明かされた賢者という存在。明らかに異質なそれは、上級生たちを納得させるには充分な答えだと言えた。
だから上級生たちは至る――敗因は「賢者がいたから」という結論に。
一見すると正しい論理のようでいて、しかしその結論に至ったという事実が何よりも上級生たちのプライドを傷つけた。それは自分の勝敗の理由を外部に求める行為であり、自分が今まで必死に磨いてきた実力の価値を無に帰すのと同じことだったからだ。
アランが明かした賢者という存在は、敗北に悩み苦しむ上級生たちにとって救いのようでいて、それはただ甘美な毒でしかなかったのである。
実力で敗北しただけでなく、精神さえもそんな甘美な毒に屈してしまったという屈辱。
「諸君が今後どうするべきなのか、それを私から語ることはしないが、私は諸君の中から一人でも多くの優秀な騎士が生まれることを願っている。私の活動は今日この場で話したことも含め、全てその思いに根差したものであるということだけ、理解していただきたく願う。以上だ」
そういってアランは降壇すると、忙しい立場である彼はセレーネの締めの言葉を聞くことなくそのまま退場していった。セレーネは少しショックを受けたような表情をしていたが、すぐに凛とした表情に戻ると、壇上に向かって歩き出す。
柄にもなく人前で過激な発言をしたアランの様子が気になったキースは、アランを追いかけて通路で声をかけた。
「アラン!」
足を止めたアランは静かに振り向くと、普段通りの笑みを浮かべながら口を開く。
「キース……お前は本当によくやってくれている。今後もこの調子で頼むぞ」
「お前は、最初からああやって生徒たちを煽り立てるために、俺の正体を隠すように言ったのか?」
「まさか、さすがにそこまで計算してなどいないさ。あのときも言ったが、王家の所有物である賢者があのような形で左遷されたというのでは外聞が悪いというのは事実だ。だが同時に、お前のその実力は隠せといって隠し通せるようなものでもないだろうとも思っていた。さらに言えば、お前が担任したからといって一年生が学内大会で優勝出来るかといえば、正直難しいだろうと考えていたよ。実際、あの時点ではお前の教師としての適性は未知数だったからな」
「……それでもお前はあの時点で、全てが理想的に進んだ場合にはこうなる、という絵を見ていたのか?」
「無論だ。物事を全てコントロールすることなど出来るはずもないが、それでも理想の絵から逆算して布石を打つくらいのことはやっておいて損はない。当然役に立たないまま無駄になるものも少なくないが、思いがけず自分の利となることだってある。今回はまさにそのパターンだな」
「アラン、お前があんなことを言ったところで、何が変わるわけでもないだろう」
「変わるさ。……キース、お前は昔から人間の心というものを軽視しすぎている。やる気なんてあって当たり前、努力なんてして当然。だからこそそんなもので差が生まれることなんてない……そう思っているのだろうが、人間はそう単純なものじゃない。全員が全員、お前のように目的のためであれば死に物狂いになれる人間ではないのだよ」
「それくらいは理解している」
「理屈では、だろう? だが王立に来るような生まれつきのエリートは、そもそも全力の出し方すらろくに知らなかったりする。その上そのことに無自覚だったりするのだから質が悪い。だがそんな人間の目を覚ますのは、案外簡単なことだ」
――必要なのは絶望的なまでの敗北感と屈辱。
アランが柄にもなく公の場で過激な発言をしたのは、生徒たちの目を覚ますためだったと語る。それはかつてキースに打ち負かされたことで変わったアランだからこそ言い得ることに違いなかった。
「それにしたって、別のやり方だってあっただろう」
「いいや。あの瞬間、俺の口から言うのがベストだ。何にせよ俺が多少嫌われる程度のことで、優秀な騎士が何人か生まれてくれるなら望外の結果だろう」
「……セレ姉に何の相談もせずにか?」
「相談したら壇上に上げてもらえないだろう? セレーネ先輩は生徒に優しいからな――」
そんな風にキースとアランの言い合いはどこまでも平行線をたどった。主義も哲学もバラバラの二人が最終的にそうなることはいつものことである。
そんな中でアランがふと、何でもないような雰囲気で言った。
「――ああそうだ、キース」
「何だ?」
「お前がこないだまで所属していた第十一騎士団だが、先日大規模な攻勢作戦によって多大な被害を出したというのは知っているか?」
「……は?」
その衝撃的な情報に、キースは珍しく間の抜けた声を上げる。そんなキースの様子を見て、アランはどこか得意げな笑みを浮かべるのだった。