学内大会 決勝戦3 リンナの戦い
クリッドの持つ騎士剣は他の生徒の物と比べると少し短い。その剣を片手で持ち、ゆらゆらと揺らして相手の隙を探るように構える。それは自身の俊敏な動きを生かすための、彼なりの工夫だと言えた。
その一方でリンナは一般的な長さの剣を正面に構える、多くの生徒がそうしているオーソドックスな型。他の生徒と比べて剣術が得意ではないとはいえ、貴族出身のリンナは幼少期から正しい型の剣術をしっかりと教え込まれているだけあり、隙らしい隙は見当たらない。
クリッドの変則的な剣技をニ、三回捌いたところで、一旦クリッドが距離を取る。リンナは無理に追撃をすることはしない。何故ならリンナに与えられた役割はクリッドの足止めであり、時間を使ってくれる分には一向に構わないからである。
――クリッドの隠密行動に対処できる生徒はリンナの他にはいない。
それはエリステラがミーティングでクラス全員に話したことであり、紛れもない事実だった。そしてクリッドの得意とする行動は、誰にも気づかれることなく相手の指揮官を倒す、いわば「暗殺」である。
そしてこの試合においてクリッドに狙われるのは、左側での戦闘で大きな集団を指揮しているエッジに違いなかった。
これが仮に普段指揮官を務めるエリステラであれば、クリッドに狙われても殺気に反応して対処することも可能であったかも知れない。しかし全てにおいて平均的な能力を持つことが特徴のエッジに、そこまでの高度な戦闘技術を求めるのは酷だと言える。
実際ここまで勝ち上がってくるなかで、クリッドは対戦相手の指揮官を無力化することに成功していた。戦果こそルカの影に隠れているが、その存在は間違いなく脅威である。
――しかしそんなクリッドにも、明確な弱点が存在していた。
「……この大会、ここまで多くの生徒と相対してきたが、俺を見つけたのはお前が初めてだよ――リンナ・リーンベル。さすがは優秀な斥候を多数輩出する名家の娘だけあるな」
「私の家を、知ってる?」
「そりゃそうさ。何せ俺も斥候志望だからな」
リンナの実家であるリーンベル家は決して一般に名の知れた貴族ではない。何故なら過去にリーンベル家の人間が目立った戦果を挙げたことは一度もないからである。しかし生存率が決して高くない斥候という役割において、高い生存率を誇る優秀な騎士を何代にもわたり輩出し続けたことで、各騎士団や貴族院からは高く評価されているという特殊な立ち位置にあった。
平民出身のクリッドがそんなリーンベル家の名前を知っているのは彼が斥候志望であり、リンナの伯父でありリーンベル家の斥候の中でも生ける伝説となっている第一騎士団所属のリサンドロ・リーンベルを目標としているからである。
「しかしお互いに生存能力が高い斥候志望同士となると、この戦いは決着がつきそうにないな」
「私は別に、それでもいい……」
生存能力が高い一方で、決定打を欠くのが斥候を志望する多くの生徒の特徴である。そしてそれはクリッドにも当てはまる特徴だと言えた。つまり誰にも気づかれていない状態であるならまだしも、こうしてリンナに正面から見られている状況ではクリッドに打てる有効な手立てはない。
リンナのマークにより、本来厄介な存在であるクリッドは完全に役割を喪失する。もちろんリンナもクリッドにかかりきりにはなるが、元々人数でわずかに勝る一年A組からすれば、本来戦闘が得意とは言えないリンナ一人でクリッドを無力化出来るリターンの方が大きいとエリステラは考えた。
――隠密性を生かした単独行動を得意とするが、発見されてしまえば単独での突破能力を持たない。
それこそがクリッドの抱える明確な弱点だった。
クリッドの狙いは一年A組の指揮官であるエリステラだったが、今の彼女は炎の壁の向こう側でルカと戦闘中である。ルカが一対一で負けるとは思えず、そもそもあの状況では手出しも出来ない。
となれば次のターゲットは現在集団の指揮を取っているエッジとなる。彼はその指揮により準決勝でリチャード・カーツ率いる三年D組を破っていたこともあり、「暗殺」の優先度は非常に高い。
一方三年C組はフィリスが現在指揮を取っているが、準決勝まではあくまでもルカの補助的な役割として少数を動かすのがせいぜいであり、二十人ほどのクラスメイトを一人でどこまで扱えるのかは実際のところ未知数だと言えた。
(フィリスも戦技教科の成績は上位だが、リチャードやルカには及ばない。そのリチャードに勝ったほどの一年が指揮を取っている……放っておくのは危険だが――)
冷静に現状を分析しても状況が変わるわけではなく、少しずつクリッドには焦りが募る。もちろんクリッドはクラスメイトを信頼していないわけではない。そもそも成績では下位に位置するクリッド自身は、他人の実力や戦い方に何かを言えるような立場ではないと思っている。
ただ同時に、今こうして対峙している一年A組という相手は決して格下の下級生などではなく、決勝までトーナメントを勝ち進んできた対等の相手――それがクリッドなりの現状認識だった。
クリッドは右手に構えた剣をゆらゆらと揺らしながら口を開く。
「本当にいいのか? 俺なんかに構っている間に、お仲間が負けるかも知れないんだぞ?」
「みんなは負けない……それと」
「……?」
「別に私は、貴方を倒せないとは思ってない」
「……はっ、面白ぇ」
抑揚が少ない、大人しく淡々と告げるようなリンナの口調。それはあくまでも彼女自身の個性によるものであり、そこに他意は含まれていなかったが、足止めをされ焦っているクリッドからすれば挑発されているようにも受け取れた。
どちらにせよここを突破しなければターゲットにはたどり着けない以上、クリッドから仕掛けるしか道はない。
そうしてクリッドは暗器として常備している投げナイフを左手でリンナ目掛けて投げる。リンナはその感知能力を生かして余裕をもったタイミングで回避行動に移った――が、その瞬間にクリッドは自身が得意とする風魔法を発動させる。
「――ベンド」
クリッドがそう唱えると、投げナイフはリンナの回避した方向に進路を変えた。
リンナは落ち着いて剣でナイフを弾こうと考えるが、すぐさまその考えを破棄してナイフとは反対側に剣を振る。
――キンッ、と剣同士がぶつかる音。
「……っ!」
ナイフと挟み込むように移動したクリッドの攻撃を防ぐことには成功するが、同時にリンナの左肩には投げナイフが刺さっていた。
身体的なダメージが魔力へのダメージに置換される大昔の賢者が作った訓練用のシステムは、致命的なものを除いて痛みの大部分は残ったままにされており、リンナはその痛みに顔をしかめた。
しかしすぐさま剣を持ち換え、右手で刺さったナイフを抜こうとするが――。
「させるかよ」
クリッドはそのまま畳みかけるように剣で攻撃を仕掛ける。リンナはしっかりと攻撃を受け止めるが、反撃に転じるタイミングを逃して防戦一方となっていた。
「ナイフが刺さったままだと魔力へのダメージに置換され続けるというシステムの仕様はさすがに最初に習ってるよな? まあ、抜かせねぇんだけどさ」
「…………」
そう言いながら攻撃の手を休めないクリッド。
時間稼ぎが目的のリンナだが、時間を追うごとに魔力が血のように流れ出ていく今の状況では、時間が経つほど不利になるのはリンナだと言えた。
魔法も剣術も不得手で成績では下位に位置するクリッドだったが、その正確な状況判断と騎士のセオリーに囚われない戦い方により、たった一手で立場を逆転させることに成功する。
リンナは刺さったナイフの痛みと魔力が流れ出ていく脱力感に抗いながら、クリッドの剣を弾くと同時に後ろに跳び、距離を離すことに成功する。
しかし――。
「――ナイフが一本だと思ったか?」
リンナがナイフを抜くために距離を離すだろうと読んでいたクリッドは、瞬時に三本のナイフを取り出した。そしてリンナがいる場所とは異なる方向に投げられるそれは、クリッドがナイフと同時に接近する時間を作るための布石である。
そして同時に――リンナが狙っていたのは、まさにこの瞬間だった。
「――アジャイル」
それはリンナのオリジナルの身体強化魔法であり、ただ速さだけを求めた特殊な術式で構築されていた。
今リンナの目の前には左手でナイフを投擲したモーションのまま静止するクリッドの姿がある。右手に持った剣は身体の側面を向いており、正面にいるリンナからの攻撃を受けられる位置には構えられていない。もちろん本来であれば、それはほんの一瞬の間に過ぎ去るような時間だった。
しかし反応速度、思考速度、そして何より身体的な速度。それらが全て強化された今のリンナにとって、クリッドのそれは言ってしまえば隙だらけの状況に違いない。
剣術の達人が見せるかのような神速の踏み込み。今この世界でただ一人、リンナだけが動いているのではないかと錯覚させる、そんな速さで繰り出される横薙ぎの斬撃は、無防備な体勢のクリッドを一撃で倒すことに成功する。
倒れたクリッドを確認したリンナは、肩に刺さったナイフを抜くと、小さく独り言を呟く。
「……やっぱりあれもこれもと、詰め込みすぎた。術式の効率化と魔力容量の強化が必要……今のままじゃ、一秒持たない」
そのまま足の力が抜けたようにへたり込んだリンナは、闘技場の反対側で今も戦っているクラスメイトたちの勝利を信じながら、どこか満足気な表情を浮かべるのだった。