共通の目標
「これは……」
エリステラの過剰な魔力の解放を見たキースは、思わずそう感嘆の声を漏らす。
本来人間が一度に扱える魔力量には許容範囲がある。その限界は日々の鍛錬によって広がっていくが、基本的に一朝一夕でどうにかなるものではなく、またそれは本人の才能に大きく影響されるものでもあった。
許容量を超えた過剰な魔力の使用は術者の身を滅ぼす。それは魔法を扱う者の間では常識である。
しかしそもそもの話をすれば、許容量を超えるような魔力を扱うこと自体、非常に困難を伴うことなのだ。
自身の体を守るために設定されているリミッター。エリステラはそれを明確に自分の意思でもってねじ伏せた。
そうして発動されるのは水と風の二属性複合魔法。それは王立騎士学校の主席とはいえ、入学したての人間が扱うには高等すぎると言える魔法だった。
「――アルバリ」
エリステラはキースを振り返りながら、キースを中心として全てを飲み込む大渦を発生させる。
アルバリは人一人を相手に使うには大げさすぎる戦術級の魔法だった。この規模の魔法を扱える者は貴重であり、騎士であれば間違いなくエース級の扱いを受けているレベルである。
(これがエリステラ・グラントリスか……末恐ろしいというより、今恐ろしいな)
眼前に迫る脅威を認識しながら、それでもキースは歓喜に震えるように――笑っていた。
そうしてキースが大渦に飲み込まれる瞬間、ただ一人エリステラだけがその表情を認識する。
「エリステラ、すげぇ!」
「でもこれ、やりすぎなんじゃ……」
「いや、俺たちを甘く見たのが悪いんだよ」
キースにエリステラの魔法が直撃したのを見て、生徒たちは思い思いのことを口にした。
やがて大渦の勢いが弱まっていき、魔力によって発生した水流が霧散していく。
そうして渦の中心からは、ボロボロになり倒れたキースの姿が現れる――はずだった。
「そん、な…………」
目の前の光景を確認したエリステラは、絶望的な表情を浮かべてそう呟く。何故なら渦の中から現れたキースは、傷一つない綺麗な姿のままだったからだ。
その事実をわずかに遅れて認識した他の生徒たちにも、大きな動揺が広がる。
「まさか完全に動きを封じたはずの人質にしてやられるとはな……これだから実戦でのイレギュラーは怖いんだよ」
「な、なんで無傷なんだよ! 今のを食らってそんなの、絶対おかしいだろ!」
「なんで、と疑問を持つのは重要だな。敵の能力を把握して攻略するのは戦闘の基本だ。では何故俺が無傷なのか……それが分かれば、お前たちは勝てるかも知れないぞ?」
すでにこの模擬戦で得たいものを得たキースは、どこか満足気に笑いながら生徒たちにそう言った。
しかしそんなキースの姿は、生徒たちからすれば理解の外側にいる得体の知れない存在でしかない。分からないということは何よりも大きな恐怖に違いなかった。
そうして恐怖に縛られた心は、生徒たちの足を一歩後ろへと後ずさりさせる。
そんな中でただ一人、エリステラだけが小さな動きを見せた。
「――っ!」
最小限のモーションで放たれた三本の投げナイフ。放ったのはもちろんエリステラだ。
武家であるグラントリス家では幼少の頃から、魔法だけでなく武器の扱いや素手での戦闘など、実戦を想定したありとあらゆる戦い方を叩き込まれる。そこには当然ながら暗器の扱いも含まれていた。
キースの意識の隙間に付け込むように放たれた投げナイフは鋭い弾道でキースに迫る。
しかしそれらは全てキースに届くことは無く、見えない壁のようなものに阻まれて地に落ちた。
「そういうことですか……皆さん! この人は魔法障壁を扱う防御型の術士です! それもおそらく、自分一人を守ることに特化したタイプの――」
「ほう、今の一瞬で魔法障壁を見抜いたか」
魔法の才能と、決して折れることのない強い意思。そこに観察眼と分析力までもが加われば、彼女の騎士としての将来も約束されたようなものだろう。
しかしエリステラの場合は、それだけではなく――。
「であれば、全員で一気に畳みかければ勝機はあります! 近接戦闘が得意な者は武器を持って前に! 後衛は味方を撃たないように注意しながら、断続的に攻撃を!」
エリステラのその号令を聞いた生徒たちは歓声を上げた。直前まで恐怖に縛られていたはずの生徒たちの心を一瞬で鼓舞し、高い士気を持った集団にまとめ上げる。
――それは指揮官としての、何よりも重要な才覚であった。
そうして一つにまとまったクラスは、キースに波状攻撃を仕掛け一気呵成に攻め立てる。
キースは軽く反撃しながら生徒たちの攻撃を回避し、時に魔法障壁でいなしながら戦っていく。この間にもそれぞれの生徒たちの戦い方を観察することを忘れない。
エリステラ以外にも武術の鍛錬を積んでいる生徒は複数いるようで、時折鋭い攻撃を放っていた。
しかしそんな中、キースはエリステラの姿が見えないことに気付く。そうして模擬訓練場を見渡すと――そこには再度、過剰な魔力を解放して二属性複合魔法を放とうとするエリステラの姿があった。
(さすがにそれはまずいな……仕方ない)
キースがまずいと思ったのは自身の身が、ではない。
限界を超えた魔力を行使するエリステラの身が持たないと思ったのである。
「ということでドクターストップだ、エリステラ。これ以上の無理は看過できない」
生徒たちの眼前から一瞬で消えたかと思うと、キースはエリステラの背後からそう声をかけ、魔力を込めた右手でエリステラを撫でるようにして意識を刈り取った。
「おい、エリステラがやられたぞ!」
「構うな、どんどん行け!」
「エリステラの敵を討つのよ!」
「うおぉぉぉ!」
クラスのまとめ役であり精神的支柱でもあったエリステラが倒されたことで、そのままクラスは瓦解するかと思われたが決してそんなことはなく、むしろ生徒たちは先ほどまでよりも強い勢いでキースに向かって行く。
(何だかんだ言って、こいつらもかなり有望だな……これもセレ姉の教育改革の成果か)
キースは心の中でそんなことを思う。セレーネはこの五年間、王立騎士学校の理事長を務めて教育を根本的に見直すことを推し進めてきたが、それは王立騎士学校だけの話ではなく各地の騎士学校や、その下のカテゴリーである初等教育に関しても大きく変化していた。
それが可能だったのはセレーネが空間転移で文字通り国中を飛び回り働き続けたこと、そして何より彼女が王の後ろ盾と数々の特権を持つ賢者であったことが大きい。
セレーネは決して戦闘が得意な人間ではないが、彼女は彼女なりのやり方で国のために働き、一人でも多くの人を救おうとしているのだった。
キースもセレーネもアランも、全員がその得意とする分野は異なるが、その崇高なる目的を違えることはない。
「どうしたお前ら! まさかこの程度でへばったのか!?」
「くそっ、まだまだぁ!」
キースの言葉に触発され、ただひたむきに向かって行く生徒たち。
そうしていつしか生徒たちの間にあったキースへの反感は、打倒キースという共通の目標へと変化していくのだった。