学内大会 決勝戦1 エリステラの挑発
広い闘技場のグラウンドで相対する二つのクラスは、どちらも騎士団の正式装備を身に纏っている。
「――それでは代表者は握手を」
審判を務めるバラックは厳かな声色でそう言った。
指示を受けたエリステラとルカはクラスの列から数歩前に出て、互いに握手を交わす。
「トーナメント表を見たときから、決勝戦には貴方たちが上がってくるだろうと思っていました」
「……ありがとうございます」
ルカの言葉にエリステラは淡々と礼を返す。とはいえエリステラもその言葉を額面通りに受け取ってはいなかった。
そもそも三年生のルカが一年A組の実力を事前に知っているはずがない。一回戦が終わった後ならまだしも、トーナメント表を見たときからと言うからには、その言葉には別の意味が含まれている。
そしてその意味は、キースが担任するクラスだからに違いない。
ルカがキースの個別指導を受けたという話はすでに広く知れ渡っている。実際は合同授業でのキースの発言に対するルカの抗議として行われた私闘だったが、キースの申請上は指導となっている以上、それを殊更に疑う人間もいなかった。
そしてその指導以降ルカは従来の剣術や戦技教科だけでなく、魔法学などにおいても個人的な鍛錬を行うようになるなど、確かな変化が起きていた。
指導内容の詳細までは分からないが、新任のキースの指導がルカに大きな影響を与えたことは主に三年生の間で話題になっている。そしてそれは当然、エリステラの耳にも入っていた話だ。
(ルカ先輩が見ているのは私たちを指導してきたキース先生であって、私たちではない)
そんなルカからは一年A組を倒すことで、その向こう側にいるキースに何らかのメッセージを届けようとする意図さえ感じられた。
しかしそんなことに腹を立てるようなエリステラでもない。ただそれでもその言葉が口をついて出たのは、ルカへの対抗心からか、あるいは――。
「私たちもトーナメント表を見たときから、最高の舞台が用意されたと喜んでいました。……それではルカ先輩、良い試合にしましょう」
そう言ったエリステラは微笑みと共に、ゆっくりと自分たちの列へと戻っていく。
――最高の舞台。
エリステラが言ったそれは、もちろん一年A組にとってという意味である。
つまり最初から自分たちが決勝戦に勝ち上がることを疑っておらず、そして決勝戦でも三年C組に勝利することを確信しているという意味だった。
そんな挑発じみた意味合いの言葉を聞いたルカは、しかしどこまでも冷静に、そして静かに笑みを浮かべる。
――両クラスを代表する指揮官同士の戦いは、そんな形ですでに始まっていた。
試合開始直前、観客席から見守るキースは少々意外そうな声色で呟く。
「あの陣形は……」
一年A組の陣形は学内大会前の最後の指導で、キースをルカの代わりと見立てた形で行われた模擬戦と同様のものだった。
元々人数差があったとはいえ、烏合の衆である一年生の合同チームに押し切られる形で敗北している作戦をこの重要な場面で採用するというのは、キースにとっても予想外のことと言えた。
「どうした、キース? 俺から見る限りは、特におかしな陣形には見えないが」
「……いや、何でもない」
隣に座るアランから声をかけられたキースは静かにそう返す。
この陣形が意味するのは、過去全試合で最前線を突破して圧倒的勝利を収めているルカ・リベットと正面からやりあうということだった。
ルカの剣術に一対一で対抗できる生徒は一年A組に存在しない。それどころか数人で包囲したところで一点突破されるくらいの実力差がある。しかしそこに人数を割き過ぎれば、全員が万全の状態で決勝戦を迎えている三年C組の高い実力と連携により押し切られてしまうことは明白だった。
そしてそれは模擬戦での経験で当然エリステラにも分かっているはずである。
(そういえばあのときエリステラが俺に求めたのは、ルカの速さを再現することだったか……なるほどな)
キースはエリステラの意図に気付き、小さく笑みを浮かべる。実際のところ、この決勝戦ばかりはキースにも勝敗がどう転ぶのかは分かっていない。十回やればおそらく何度も勝敗が入れ替わるはずだった。
重要なのは一回限りのチャンスで勝利を掴めるかどうか――何にせよ、後は結果を見守る他ないのである。
一年A組は最後方にエリステラを配置し、戦術級魔法を詠唱する彼女を守るために人数を厚く配置した前衛と中衛で幾重にも連なる防衛網を構築している。
毎日放課後に全員で集まってキースの指導を受けていたこともあり、一年A組の連携は充分に高いレベルであると言えた。実際これまで戦った三年生クラスも一年A組の前線を突破することには成功していない。
しかし、それがルカ・リベット率いる三年C組となれば話も変わる。
「やっぱりルカ先輩は最前線、というか先頭に出て来てるね」
「というかあれで指揮官もやってるんでしょ? 後ろに目でも付いてるの?」
「……たぶんそこは感覚強化で補っているんだと思う」
フェリの報告にセリカが疑問を返し、それにリンナが回答する。
ルカのブレイブハートというオリジナルの身体強化魔法は五感強化や精神強化も含めた総合的な強化魔法であり、ただでさえ圧倒的な剣術を誇る彼女の能力を至近距離において最強と言えるまでに引き上げていた。
五感強化であればリンナも扱えるが、ルカのそれはリンナよりもずっと戦闘向けだと言える。
「というかリンナは大丈夫? 今回の作戦だと結構責任重大な気がしたけど」
「大丈夫……だと思う」
「まあ今回は全員責任重大だけどね」
そんな風に緊張をほぐすようにフェリたちが会話していると、すぐに試合開始時間となった。
「それでは学内大会決勝戦――試合開始!」
バラックの大きな宣言が響くと同時に、観戦する生徒たちからは大きな歓声が沸いた。
先頭を走るルカは、同様に自分に向かって来る相手の前衛を確認する。大柄な見た目の通り突破力に優れたケインが、ルカの進路を塞ぐようにしながら一直線に距離を詰めて剣を横薙ぎに振る。
(力は凄いが、技術は足りていないな)
ルカはケインの剣の軌道を完全に見切り、速度を落とさないまま剣の下を潜って前進する。そしてこのまま剣を斬り上げて一撃で倒そうとルカは考えるが――それよりも早くケインの力任せの膝蹴りがルカの顔面を狙って振るわれていた。
(――読まれている!)
紙一重で横に跳んで回避したルカだったが、言い換えればそれは前線の取り合いで相手に道を譲ってしまったことを意味している。
事実ケインはそのままルカを無視して後続の侵攻を防いでいた。ケインの斬撃を正面から剣で受け止めた生徒は、予想外の衝撃に大きく後ろに後退させられる。
とはいえここで反転してケインを狙うのは悪手だと言えた。それは眼前に迫るラウルとユミールに対して背中を晒すことに他ならない。
この二人は一年A組の中でもエース級の実力を持っており、ルカといえども完全に無視出来るような相手でもなかった。そして同時にセリカからの速射魔法による援護も飛んでくる。
そうこうしている間にも、エリステラの戦術級魔法の詠唱は進んでしまうことを考えたルカは、あらかじめ考えていた作戦の指示を出す。
「フィリス!」
土と風の二属性術士フィリス・ファインマンは三年C組のナンバー2であり、ルカからの信頼も厚い生徒だった。高い出力の強化魔法を得意としており、他の生徒の身体能力を強化しつつ、別動隊を率いる第二の指揮官としても活躍している。
フィリスはルカに呼応して一斉に中衛の生徒たちを自陣から右サイドに大きく展開させる。
陣形の厚みはなくなるが、あくまでも三年C組の目的はエリステラの詠唱を止めることであり、多少の被害を出そうとも誰か一人でもエリステラの元にたどり着ければいい。これはそうした意図が込められた作戦だった。
ルカがラウルとユミールの二人を引き付ければ、それだけで戦局は三年C組の有利に傾く。そして何より、その二人でさえルカを完全に止めるには実力が足りていない。わずかな時間の足止めにはなるが、遠からずルカが勝利を収めることになる。
そうしてルカを先頭に繰り広げられる、流れるような電撃戦。本来今のルカのように一人で突出してしまえば孤立して包囲されるのが常であるが、ルカは高い個人の実力によりどんどんと戦線を押し上げていく。
これこそが強者の戦い方と言わんばかりの三年C組の戦術は、一見するといともたやすく一年A組の陣地を飲み込んでいくように思えた。
しかし――。
(……? なぜ私の進路に、誰もいない……?)
セリカら数人から放たれた牽制の魔法を、ルカは魔力を込めた剣で軽く払いつつ、現在の戦況を瞬時に分析する。
ルカをマークすると思われたラウルとユミールは瞬時に転進し、浸透しようとするフィリスの別動隊への対処に向かっていた。それどころか、本来であれば一年A組の中衛を務めてエリステラを守っているはずの生徒たちすら、気付けばフィリスたちへの対処をするために陣形を組み替えていた。
フィリスたちの動きに釣られて対処を誤ったとすれば理解出来る状況ではある。集団戦の連携に不慣れな一年生の多くは、実際に一回戦でそうした動きが敗因となって破れていた。
しかし決勝戦まで勝ち上がってきた一年A組が、そのような初歩的なミスを犯すとは考えづらい。
となればこの動きは意図的なものだと考えられるが、しかしそうするとどうなるのか――当然、ルカは完全にフリーとなってしまう。
ルカの眼前には魔法の詠唱を続けるエリステラへと続く、一直線の進路が広がっていた。
以前キースが用いていた設置型の魔法の例もあるので、ルカは当然ながら罠の可能性も考える。しかし魔法を探知してみても、そうした設置型の魔法は発見できない。
(となれば自陣深くまで誘い込んでからの挟撃か? いやしかし、この乱戦模様で転進など無謀だ)
そもそも乱戦模様に持ち込んだ時点で、三年C組は半ば作戦の目的を達したと言える。エリステラの戦術級魔法は広範囲を巻き込むため、敵味方が入り乱れる戦いになってしまえば撃つことが出来なくなるからだ。
であれば、エリステラはもはや無視出来る。そしてフリーとなったルカは乱戦模様の戦場に反転し、遊撃隊として各個撃破を狙うのがベスト――。
(――いや、本当にそうだろうか?)
ルカは一瞬の思考にわずかな引っかかりを覚える。
三年C組が前掛かりの電撃戦を仕掛け、エリステラの詠唱を止めるか乱戦に持ち込むか、そのどちらかの条件を満たせばあとは順当に学年の違いからくる実力差で押し切れる。
これはそうした考えのもと、シンプルかつ最速で目的を果たすための作戦だった。
そのルカの想定に狂いはない。しかし、であれば何故、乱戦模様となった今もなお、エリステラは戦術級魔法の詠唱を続けているのか――。
そうして一つの考えに至る――エリステラは魔法で味方ごと三年C組を撃破するつもりなのではないか、と。
普通に戦えば一年A組の勝率は限りなく低い。しかしそんな劣勢を跳ね除け続けてきたからこそ、一年A組は今この決勝戦の場に立っているのも事実である。
そして学内大会のルールの中で弱者側が勝率を最大限に上げる奇策として考えれば、それはもしかしたら非常に効果的な手段だと言えるのかも知れないと、ルカはその現実的な思考で思い至る。
もちろん味方ごと敵を撃つなどというのは、騎士としては絶対にありえない考え方である。しかしルカはそうした思い込みで苦い思いをしたばかりだった。
ルカが詠唱を続けるエリステラを見やると、お互いの視線が交わる。エリステラはルカに対し、どこか挑発的な笑みを浮かべていた。そうしてルカはエリステラの意図を理解する。
もしルカが反転するようであれば、エリステラは自分以外の全員を巻き込む最大級の戦術魔法をそこに叩き込む。そしてエリステラは味方ごと撃ったという不名誉と共に、一年A組の優勝を勝ち取る。
騎士の正式装備を着て行われる神聖な学内大会の決勝戦において、そのような騎士の教えを冒涜するような戦い方を、誰よりも騎士の誇りを重んじているルカが許すだろうか?
――答えは否。
そしてそんなルカの性格を理解しているエリステラは、「この魔法を撃たせたくなければ、まっすぐにここまで来い」と、そうルカを挑発しているのだった。
(私と一対一がしたい……つまりこの決勝の場で私を越えてみせると、お前はそう言いたいのだな)
エリステラ・グラントリス。勇猛果敢で知られる名家グラントリス家の末娘。その高い評判は三年生のルカにさえ聞こえてくるほどだった。一年生とはいえ、そんなエリステラを甘く見ることは決してしない。
――驕りを捨て、思い込みを捨て、侮りを捨てる。
それらは全てキースとの戦いに敗北したことで何よりも厳しく自戒している。そうしてこそ、今のルカは最善の状況でこの戦いに臨めていた。
ルカは剣を構え――次の瞬間には、神速の踏み込みでエリステラの目前まで間合いを詰めるのだった。