棄権
制服に着替えて観客席に戻ってきた一年A組を、エリステラは優しい微笑みを浮かべて出迎える。
「みんな、お疲れ様」
「ちょっとエリステラ聞いてよ。フェリがさぁ、エリステラがいなくて寂しいって試合直前なのに泣きべそかいてて――」
「泣きべそなんかかいてないよ! ただエリステラがいなくて不安だけど頑張らなきゃって言っただけじゃん!」
「……フェリは、エリステラに懐いてるから」
「確かに、いつもチーム分けでエリステラと一緒だと尻尾振って喜んでるもんね」
「子犬みたいに言わないでよ!」
普段通りセリカにからかわれているフェリが大きくリアクションを取ることで周囲に笑いが生まれる。三回戦が短期決戦で終わったこともあり、生徒たちの元気は有り余っている様子が見て取れた。
「エッジ」
「ん、何だエリステラ?」
「急に代役押し付けちゃって、大変だった?」
「いやまあそりゃ責任重大で、失敗したらどうしようって感じだったけど……考えてみればそれは、いつも俺たちがエリステラに押し付けてるものなんだなって」
「…………」
「だからエリステラは何も気にしなくていいよ。大体俺たちだって強くなりたくてここにいるんだから、これくらいはやってみせないとな」
「……そうね」
クラスの指揮を預かるという大任を経て、エッジは確かな自信を持つと同時に少しだけ色々な物事に対する視野が広くなった。エリステラはそんな成長を実感して貪欲な姿勢を見せるようになったエッジを頼もしく思うと同時に、成長しているのがエッジだけではないことに気付く。
学内大会が始まってからクラスメイト全員が一戦一戦を通じて確実に成長している。勝敗を賭けた実戦の機会というのは、それだけ大きな経験を得られるものだった。そして今の試合を一人だけ観客席で観戦していた自分だけが、クラスメイトの成長に取り残されている。
少しでも油断したら、すぐにでも学年主席の座などからは引きずり降ろされるだろう。 自分のすぐ後ろに迫っているのはラウルかユミールか、それとも――。
そんな確かな実感を伴う寒気と同時に、しかしエリステラは不思議と高揚感を覚えていた。
――追い抜けるものなら、追い抜いてみればいい。
エリステラには誰にも追い抜かれないだけの努力を重ねた自負がある。そして仮に追い抜かれたならば、再度追い抜くまで努力を重ねる覚悟があった。
以前キースは努力を評価せず、成果だけを評価すると言っていた。努力は手段であり、目的ではない。だからこそ目的をどれだけ達成できたかを評価するのだ、と。
エリステラの最終目的は誰も傷つかない世界の実現である。つまりクラスメイトが自分を追い越すくらい強くなることは、むしろ歓迎すべきことだと言えた。
そうしてエリステラは自身が覚えた高揚感の正体が、己の夢の実現に一歩近づいたことから来るものだと理解する。
みんなが強くなって、それに負けじと自分も強くなって。そうして切磋琢磨しあいながら全員が強くなれれば、もしかしたらいつか――。
そんなエリステラの思いは、奇しくもキースが目指す理想のクラスの形と一致していたのだった。
一年A組勝利の後、少しのインターバルを挟んで残る三年C組と三年A組の準決勝戦が行われる予定だったが――。
「――棄権?」
制服に着替えて観客席に戻っていた一年A組の生徒たちは、魔道具によるアナウンスで闘技場内に知らされたその情報に小さな困惑を見せる。
言葉を求めるようにキースの方を見やる生徒も多かったので、生徒たちの気持ちを察したキースは静かに状況を解説する。
「三年A組は三回戦で三年G組と当たっており、大接戦の末に勝利している。しかしその代償として多くの生徒が昏倒もしくは魔力欠乏状態となっており、準決勝に参加できる生徒はおそらく十人程度だろうと考えられる。一方の三年C組だが、お前たちも実際に観戦したとおり、三回戦の被害は軽傷者数人に収まっている。おそらく二十六人全員が準決勝に参加できるはずだ。人数で三倍近く差がある時点で勝ち目がないと判断して、三年A組が棄権するのは合理的と言えるだろう」
実際この学内大会は戦技教科の成績の評定にも関わっている。そのためバラックなど戦技教科を担当する教師たちは審判などを担当しながらも、生徒たちの動きなどを細かくチェックしていた。
もちろん集団戦ということもあり、個人が大きく加点されたり減点されたりといったことはあまり起きないのが常ではあるが、敗因となる行動を取った生徒がいた場合には後日授業で問題点を指摘した上で、その場面ではどうするべきだったのかについての指導がクラス全体に行われることもある。
そのため戦闘中の実際の動きを見る必要があるので、棄権や試合開始直後の降参などは基本的に認められていない。ただし今回のように戦力差が明らかな状況となれば例外となる。
無理に戦って昏倒すれば翌日の決勝戦を観戦することが出来なくなる可能性もあり、勝ち上がった実力あるクラス同士の戦いを見て学ぶ機会を逸することにも繋がることもその理由だった。
「三年C組の戦術が他にも見れるかと思ってたのに残念だな」
「ああ」
残念がるユミールの言葉にラウルも頷く。決勝戦の相手の手の内を知りたいというのももちろん理由の一つだが、それ以上に三年C組という実力あるクラスの戦い方をもっと見て勉強したいという向上心が二人にはあった。
ルカ・リベットはその剣術もさることながら、高い指揮官としての適性も評価されている。戦いの本質を知るとまで謳われるその実力は、立派な騎士を目指す生徒にとっては良き目標であり、憧れでもあった。
学内大会では優勝を争う敵ではあるが、本来は同じ騎士を志す仲間であり、自分たちの歩むべき道を示してくれるのがルカという先輩なのである。
「先生ー、試合が中止ということは、今日はもう寮に帰っていいってことですか?」
グラハムが普段通りの調子で、気になったことをそのまま口に出した。
「それに関してもすぐに指示があるだろう。初日同様、指定されたクラスごとに順番で退場した後は自由行動になるはずだ。あと明日の決勝戦についてだが、予定表にある通り試合は午後からだが、試合前の準備時間はいつもより長いから集合時間には注意するように」
「あ、それ気になってたんだけど先生、試合前に何かあるの?」
「そうだな……まあそれは当日になれば分かることだ。楽しみにしておくんだな」
そんな風にセリカが興味津々といった感じでキースに質問するが、キースは珍しく答えをはぐらかすのだった。