学内大会 準決勝
準決勝第一試合を観戦するキースの隣には試合を欠場しているエリステラの姿があった。
試合などで魔力を大量に消耗しないのであれば、通常の生活を送るのは問題ないというアクリスの診断結果もあり、エリステラはクラスメイトたちの戦いをこうして観客席で見届けることにしたのである。
これまで全試合で指揮官を務めてきたエリステラ自身の不在。さすがに今回ばかりは観戦するエリステラも焦りや不安を覗かせるかとキースは思っていたが、そんな予想とは裏腹にエリステラの瞳からは普段通りの冷静さと仲間への信頼を感じさせるわずかな熱気が感じられた。
試合が始まる直前、エリステラは隣のキースに質問を投げかける。
「先生はこの戦い、どのように見ますか?」
「……時々、お前のそれは質問というより、俺のことを試しているように聞こえるな」
「まさか。私は単純に先生の思考や観点に興味があるだけです」
「だろうな。だが前にも言ったとおり、俺の集団戦に関する知識はこの学校で教わる戦技教科の内容と大差ない……何故だか分かるか?」
「……人間の戦術はそれほど発展していないから、ですか?」
「そうだ。大昔の人間同士の争いの時代、そして突如現れた魔物と人間の争いの時代を経てもなお、戦術自体が大きく変わることはなかった。事実、お前の父であるエジムンド氏が率いる第一騎士団も前衛が敵を止め、後衛の術士が殲滅するという基本に忠実な戦術を主軸に多大な戦果を挙げているが、あれは何百年も前から存在する戦術だろう」
「ええ、教本にも一番最初に書いてあります」
「戦いの中で騎士に求められる役割は少なければ少ないほどいいとされる。臨機応変な対応といえば聞こえはいいが、能力も性格も違う人間がそれぞれ個別に判断などすれば騎士団はバラバラになってしまうだろう? だからこそ戦術という確固たる指針が必要になる……それも極力単純なものが、な」
一人の騎士にいくつも役割を与えると、戦いの中でいざという時に迷いが生じてしまう危険があった。広い視野を持って臨機応変に対応するのは指揮官の役割であり、最前線で魔物と相対する騎士は、目の前の敵へと集中できるに越したことは無い。だからこそあらかじめ戦術としてそれぞれに役割を割り振り、戦い方を確定させる。集団での戦いでは何よりも、そうした迷いを生まないことが重要であった。
「それが戦術の本質、というわけですか」
「そもそも複雑な戦術にはそれ相応の練度が求められるからな、事前に入念な準備が必要になる。単純な行動の組み合わせで新しい戦術を生み出せるならいいが、そんなことが出来たのは近年だとエリック・バリエくらいなものだろう」
「エリック・バリエ? あの人魔大戦の英雄の……?」
「ああ。三十年ほど前、西側の無明の荒野から一斉に魔物の大群が攻勢をかけてきたことから始まる一連の大戦で多大な戦果を挙げた当時の第十一騎士団の団長だ。俺も文献や記録で読んだだけだが、あれこそ戦争の天才とでも言うべき人材なのだろうな……残念ながら十五年前に戦死してしまったが――」
キースはエリック・バリエという偉大な人物の死を惜しむように言う。そんな風にキースが他人を高く評価することは決して多くないため、エリステラは少し意外そうな表情を見せた。
人魔大戦では多大な犠牲を出しながらも何とか生存圏を守り切った人類だったが、十五年前の魔物の大攻勢ではキースの生まれ故郷であるサイリス領を含めて大きく生存圏を失い、同時に多くの優秀な人材を失った。エリック・バリエもその中の一人である。
優秀な指揮官というのは育てようとして育てられるようなものでもない。仮に充分な能力を持っていたとしても、相応の地位まで出世出来るかどうかという部分には運も絡む。特に貴族院が騎士の人事権を握っている現状では家柄も重要だと言えた。
その点で言えば、すでに指揮官としての才能の片鱗を見せているエリステラの家柄は申し分ない。ただエリステラに関しては騎士団長の父以外にも六人の優秀な兄姉がおり、第一騎士団に配属された場合には限られたポストを一番遅れた位置から手に入れる必要があるなど、その指揮官の才能をいかんなく発揮できる環境が手に入るかどうかはやはり運次第の側面がある。
何にせよ指揮官としての能力と相応の地位――その両方を十二分に兼ね備えていたエリック・バリエを失ったことは、人類にとって大きな損失であったのは間違いない。
「……話が逸れてしまったな。この戦いをどう見るか、だったか。三年D組のリチャード・カーツはバラック先生も高く評価しているだけあって、その作戦指揮は折り紙付きだという話だな。それ自体はここまでの戦いの内容からも感じられる」
「先生は以前、手札は多いほど良い、出来ることが多い人間は強いと言っていましたよね」
「ああ」
「その割には、あまりリチャード先輩が率いる三年D組の評価は高くないようですが」
「そう聞こえたか?」
「ええ――」
そんな風にエリステラとキースが会話をしているうちに、一年A組と三年D組の試合が開始した。
一年A組は前衛と中衛を厚く配置した基本的な防御重視の陣形を取ったことで、先手を取る形になったのは三年D組だった。
三年D組は三人一組という騎士団と同様の小隊を組んでおり、前衛に九人、中衛に六人、後衛に三人というバランス型の配置。
個人の実力では勝る三年D組だが、人数で十人以上劣るということもあってなかなか戦線を押し上げることは出来ず、一年A組のしっかりとした守りの陣形に阻まれている。
「中央は一旦後退、両翼はそのまま維持だ」
リチャード・カーツの指示が三年D組にだけ聞こえる通信魔法によって通達され、それに連動して速やかに陣形が再構築されていく。
一見すると両翼がそれぞれ孤立しているようにも思えるが、後退した中央の生徒たちもぎりぎり連携が取れる範囲に留まっているという、上から見える観客席からでもなければなかなか気付きにくい罠がそこにはあった。
迂闊に各個撃破を狙って両翼のどちらかに食らいつけば、そちらが後退すると同時に反対側が前進し、中央と連携しながら相手陣形の側面を崩しにかかるという高度な戦術。
しかし一年A組を指揮するエッジはこの誘いには乗らず、人数の優位を生かして面でどっしりと構えている。それは午前中の準々決勝、三年I組との持久戦の再現と言わんばかりの状況だった。
「罠に感づいたのか、あるいは単に縮こまっているのか……」
リチャードはそう呟きながら、エッジの力量を測りかねている様子を見せた。一年A組が動かないのであれば中央を下げた分だけ戦闘に参加していない生徒が増えてしまい、両翼の負担が増加している。
人数差があり、判断を早めないと被害が出る恐れもあったため、リチャードはすぐに次の指示を出す。
「中央は右翼と合流、中衛は左翼に――」
しかしその指示と陣形変更のわずかなタイムラグをついて先に動き出したのは一年A組の方だった。
「突撃!」
エッジが出した指示はたったそれだけの、あまりにもシンプルなもの。しかし人数に勝る一年A組の優位を生かすには、この上なく理想的な指示だと言えた。
毎日キースによる指導の中で、様々なシチュエーションでの戦いを経験してきた一年A組の生徒たちの間には、一つの共通認識がある。
それが優位な立場から繰り出されるシンプルな強者の戦い方に対応するのは、シンプルであるがゆえに困難であるということであった。
――現役の騎士であっても、王立騎士学校の一年生三人に挑まれれば勝利することは難しい。
そんな一般論は、当然ながら王立騎士学校の生徒にも適用される。上級生だからといって、数の不利を覆せるほどの個の力を持つ存在は稀有だと言えた。数少ない例外があるとするなら、それは三年C組のルカ・リベットだけである。
「うおおぉぉぉ!!」
先陣を切るケインの猛突進を三年D組の前衛は受け止めようとするが、その力を受け切れず押し込まれてしまう。
ケインはその恵まれた体格もさることながら、体中を流れる魔力の出力が高いことが大きな特徴の生徒である。これにより魔力によって常時行われている身体動作の補助といった面で優れており、その上で自身の身体能力を強化する魔法まで扱えるケインは前衛として優れた適性を持っていた。
もちろん技術や知識、魔法などの面ではまだまだ課題の残る生徒ではあるが、少なくとも身体能力という面では上級生にさえ負けないだけの力がある。そしてその長所が最大限に生かされるのは、こうしたシンプルな戦い方をするときであった。
続くようにラウルとユミールがお互いに連携を取りながら剣術で上級生を圧倒していく。同郷で同じ剣術の師を持つ二人は良きライバルであるが、何より二人で組ませたときの連携には目を見張るものがある。
そんなクラスで二番手三番手を争う優秀な二人の高いコンビネーションにより、一年A組の勢いはさらに加速していった。
そうして前衛から後衛までバランス良く人数を配置していた三年D組に対し、前衛の人数を厚く配置していた一年A組の突撃は、三年D組の右翼に効果的なダメージを与える。
三年D組は本来前衛の補助を担当するはずの中衛が陣形変更で左翼に動いていたこともあり、孤立していた右翼と合流しようとした中央ごと一気に倒されてしまう。勢いに乗った一年A組を何とか左翼と後衛で包囲しようと動き出すが、人数の差はどうしようもなく、厚みのない陣形はそのまま飲み込まれる形で試合が決着する。
終わって見れば一年A組は一人の被害も出すことなく、数的有利を生かして各個撃破を完遂して勝利した。
観客席から戦いを見守っていた他クラスの生徒たちは、下馬評を覆す一年A組の勝利に大きな歓声を上げる。
そんな中で、キースは淡々とエリステラに語るように口を開いた。
「――リチャード・カーツは間違いなく優秀な指揮官として将来騎士団でも出世していく人材だろう。だがいくら指揮官が百を超える戦術を頭にいれていようと、下につく者たちがそれら全てを実戦レベルに仕上げるにはどれだけの訓練期間が必要になるか……少なくとも、騎士学校の授業時間程度では到底足りないだろうな」
三年D組はここまで、相手の戦術に対して有利となる戦術を的確に用いることで安全に勝利を重ねてきた。その立役者は間違いなくリチャード・カーツである。
一回戦の相手は集団戦の基礎もままならない一年生、二回戦は消耗の激しい二年生であり、同格の相手と戦ったのは三回戦の一度だけではあったが、被害を抑えて危なげない勝利を収めたことからもその評価が覆ることはない。
しかしそんなリチャードだからこそ理解していたことがあった。それはこの準決勝において、自分たち三年D組は不利な立場にあるということである。
それは単純に人数差から生まれるものであり、この学内大会を被害無く勝ち上がることの難しさを理解していたリチャードは、一年A組の実力の高さを誰よりも警戒していた。
だからこそエリステラの欠場はリチャードにとってチャンスであり、代理であるエッジを挑発し、戦術で罠にかけようとするなど、徹底してクラスが勝つための最善を尽くそうとした。それらはリチャードなりの弱者の戦い方に他ならない。
しかし冷静さを保ったエッジは数的有利を生かしてどっしりと構え、三年D組の陣形変更の隙を窺い続けていた。
近くで相対する相手に一切の隙を見せないまま全く異なる陣形に組み替えるには、当然ながら高度な練度を必要とする。それは現役の騎士団であっても難しいことに違いなかった。
「……先生が私たちに集団戦の基礎と実戦で起こり得るイレギュラーへの対処を毎日徹底して教えて下さったのは、単純に時間が足りなかったからですか?」
「そうだな。基礎が完成すれば、応用方法はおのずと見えてくる。そして何よりも足りない経験を補うためには、実戦形式の中でイレギュラーを体験させるのが一番早いと考えた」
「ということは、時間があればもっとたくさんのことを教えてもらえるのですか?」
「当たり前だろう。人間、学ぶ時間はいくらあっても足りないくらいだ。それこそどんな魔物にも負けない騎士になろうというなら、卒業してからも成長し続けなければならない。だからこそ騎士学校の三年間で、俺がお前たちに教えられるだけのことは全て教える。それが俺に出来る最善だろうからな」
「それは……とても楽しみですね」
キースの指導を楽しみだと語るエリステラのそれは間違いなく本心から発されたものだった。
誰も傷つかない世界を望む夢想家で、夢の実現のために努力を惜しまない努力家で。そんなエリステラには、キースから教わりたいことがまだまだたくさんあった。
魔法のこと、戦術のこと、戦場のこと、騎士のこと――そして何より、キース自身のこと。
ただそのためにも、まず明日の決勝戦を勝つことを第一に考えなければならない。
エリステラはそんなことを考えながら、闘技場から観客席のエリステラに向けて手を振る一年A組の仲間たちに手を振り返すのだった。