希望の光
学内大会のために特別に使用許可が出ている闘技場だが、当然ながらどこでも自由に立ち入れるというわけではない。そういった事情もあり、サローナはキースと二人で話をするために外の広場へと向かった。
関係者のほとんどが三年生同士の白熱する試合を観戦しているタイミングということもあり、広場に人の姿はない。
「キース先生、こんなところまで連れてきてしまって申し訳ありません」
「別に構わない。それで用件は?」
一年A組の担任とはいえ、キースに求められている役割は生徒全体の能力の底上げであり、それにはサローナのような三年生の生徒も当然含まれている。
つまりこうしてサローナの相談に乗ることもキースの仕事の範疇だと言えた。
「先生から見て、今の私に足りないものは何だと思いますか?」
「……なるほど、そういう話か」
サローナの言葉を聞いたキースは、それだけで多くのことを理解する。
そもそも騎士学校の中でも最難関である王立において、常に学年トップ5に入る成績を残し続けているサローナは、充分に優秀といえる生徒だった。
そんな彼女が、自らについて「足りない」と語るような理由が一体どこにあるというのか。
それはサローナの従妹がセレーネであるということに起因する話に違いない。
「足りないという言葉は、お前に明確な目標となる基準があるからこそ出てくるものだと思うが……だったらそれは、お前自身が一番よく理解していることではないか?」
「……やっぱり貴方は、セレーネ様が言っていた通りの人ですね」
「理事長から何を聞いたかは知らないが、慰めの言葉が欲しかったというのなら人選ミスと言う他ない」
「今さらそのようなものは必要ありません。ならば単刀直入に……どうすれば私はセレーネ様に届きますか?」
サローナの物静かな雰囲気からは考えられないほどに強い覚悟を秘めた瞳がキースをまっすぐに見据える。
インファンタリア家の分家、ネフティス家に生まれたサローナにとって、本家に生まれた不世出の天才セレーネは常に比較の対象となる存在だった。
とはいえ、誰ひとりとしてサローナが本気でそこに到達できるとは考えていなかった――サローナ自身を除いては。
サローナにとってセレーネは、幼少の頃から勉学の面倒を見てもらった優しい姉のような存在である。目標であり、憧れであり、そして――近づこうとすればするほど遠ざかる、果てしなく遠い存在でもあった。
自身が努力を重ねて力をつける程、セレーネの凄さというものが身に染みて分かるようになっていく。生まれ持った才能の差は覆らない。それは騎士を志した者ならば誰しもが一度は痛感することである。
そこに例外があるとするなら、それは頂点に位置する人間だけに違いなかった。
「どうすればセレーネ理事長に届くか……少なくとも正攻法で届く相手ではないだろうな」
「それは理解しているつもりです……それでもセレーネ様と同じ賢者であるキース先生なら、何か分かるのではないかと」
「……やはり覚えていたか」
「ええ。私が今までの人生で唯一、羨ましいと嫉妬したのが貴方ですから」
それは八歳のサローナが王立騎士学校に見学に来た際に、十歳にして王立騎士学校に通うキースの姿を見たときの話だった。当時のサローナがセレーネにキースのことを尋ねると、「彼は特別だから」という答えが返ってきた。
騎士学校における最難関、限られたエリートだけが通える王立騎士学校に飛び級で入学するというのは、セレーネでさえ為し得ていないことである。とはいえセレーネには特別急いで卒業資格を得る必要が無かったという話でもあり、彼女がキースのように強く望めば実現していたはずではあったが。
何にせよそうしたセレーネでさえ特別視する、キースという二歳しか変わらない少年の存在は、サローナに大きな衝撃を与えた。そして何よりも、憧れのセレーネと共に学校で学べるという事実が羨ましかったのである。
「気休めを言うつもりはないから正直に言うが、サローナ。お前が理事長に届くとすれば、その魔法障壁を極める他ないだろう」
「え? しかしこれ以上魔法障壁を磨いたところで、それが評価されることはおそらく無いと思いますが……」
「評価されることをやるというのは、確かに上を目指す上で効率的な方法には違いないが、そんな正攻法では届かないからこそ俺に相談してきたのだろう?」
「そのとおりです」
「実際、現役の騎士でもお前以上の強度で魔法障壁を扱える人間は数える程だろう。だが持続力や範囲という意味ではまだまだ改善の余地がある。先ほどの試合でも、もしお前が一人で前衛も含めて守り切れていたなら、試合結果は変わっていたはずだ。それに魔法障壁の術式理論を再構築し、既成概念をひっくり返すような発見を体系化出来れば、騎士団への大きな貢献を評価されて賢者の称号を得ることも可能だろう」
「確かに……でもそんなことが、本当に可能なのでしょうか?」
「それは分からない。そもそも魔法障壁の術式に発展性があるかどうかも、俺には専門外の領域だ。だが研究が徒労に終わる覚悟を持って新しい道を切り開いていかない限り、お前が目指す場所には到底届かないことだけは確かだろう」
キースの言葉には何一つとして確証たり得るものは存在していない。もしかしたらあるかも知れないものをサローナが見つけられたならという、夢物語のような話だった。
しかしそんな夢物語を現実にしなければ届かないほど、セレーネは今のサローナにとって遠い存在なのである。
そんな厳しい現実をキースの口から告げられたサローナは――小さく笑みを浮かべる。
どうすればセレーネに届くのか。それだけを考え続けてきたサローナにとって、それは確かな希望だった。それは細い可能性の糸かも知れない。だが何もないと言われるよりはずっといい。
三年生となった現在のサローナは魔法障壁に関する鍛錬より、攻撃魔法などの鍛錬を重視するようになっていた。しかしそんな方法ではセレーネに届くはずがないということも、心のどこかで感じていたのは事実である。
そうして中途半端な状態で挑んだ学内大会では、サローナが生半可に攻撃魔法にもリソースを割いた結果、一年生相手に翻弄されて惨敗を喫した。
魔法障壁を信じて磨き続けていれば、あるいは――そんな思いがサローナにはあったのである。
「……キース先生、ありがとうございます。おかげで決心が付きました」
「そうは言うが、俺の言葉には何の保証もないぞ」
「それで構いません。私がセレーネ様に届く保証なんて、言ってしまえば最初から無かったのですから。キース先生の言葉があるというだけでも、私にとっては希望の光に違いありません」
「……そうか」
実際のところキースはそこまでサローナという生徒について詳しくはなかった。出自や成績といったデータは頭に入っているが、その内面までは把握していない。
しかしこうして話してみて分かった、愚直なまでにひたすらセレーネという憧れの存在を目指すというサローナの精神性は、キースにとって好ましいと思えるものだった。
その凄さを知る人間にセレーネを目指すなどと口にすれば、大抵の場合は正気を疑われることになる。けれどサローナは希望の光すらない中で、ずっと前を向いて歩いてきた人間なのである。
そんなサローナの状況は、今の人類が置かれている立場と実によく似ていた。
そうこうしているうちに、闘技場では大きな歓声が上がる。それは三年生同士の試合に決着がついたと同時に、次の一年A組の相手が決定したということを意味している。
しかし何よりも重要なのは、三年生同士の激戦でどれだけの生徒が昏倒して離脱しているかということだった。
「キース先生、ありがとうございました。次の試合も頑張ってください」
「俺に頑張ってと言われてもな……俺ではなく生徒たちが頑張ることだろう」
「そうは言っても、作戦の構築や生徒への説明など、一年A組の快進撃には先生の寄与も少なくないのでは?」
「言っておくが、俺はあいつらに一度も戦い方についての指示を出していないぞ」
「え、そうなのですか?」
そんな風に事実を告げてサローナを驚かせつつ、キースは生徒たちの様子を見に行くために、闘技場へと歩みを進めるのだった。
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よろしくお願いいたします。