国王と王子
学内大会一日目の全試合が終了すると、観客席にいた貴族院の面々や各騎士団の騎士たちは全員王城を目指して移動を開始する。
彼らは学内大会で有望な騎士を発掘したり、目をつけていた騎士の成長を確認したりといったことも目的の一つではあるが、それ以外にも重要な目的があって王都に集結していた。
それが騎士団評議会と呼ばれる会議である。各騎士団の戦果や被害状況の報告および戦闘継続に必要な人材や物資の陳情を行う場であり、これは年に数度開かれていた。
魔道具の普及もあり市民の生活は高い水準で安定しており、国の財政的にも余裕があるため、物資に関する陳情はほぼ問題なく通る。南や東の海で取れる海産物なども冷凍魔道具を用いた長距離輸送による安定供給が可能であり、食料の話題になると各騎士団もどこか和やかな雰囲気で好みな食べ方などが話されたりもしていた。
しかし人材に関してはそうもいかず、毎回激しい弁論が交わされている。それもそのはず、魔物との戦いを被害無く切り抜け続けることなど実質不可能であり、騎士団は常に優秀な騎士を失いながら戦闘を継続していた。
それが補充されるのは年に一度、各地の騎士学校からの卒業生が入団してくるタイミングだけであり、その数にも当然限りがある。優秀な人材の補充は文字通り騎士団にとって死活問題だった。
一方で騎士の人事権を持つ貴族院にとって一番重要なのは各貴族家同士のバランスであり、同じ家の出身者は同じ騎士団に集めたり、歴史的に不仲である家同士の者は異なる騎士団に配属するなど、騎士としての能力や戦力バランスは二の次にされていた。
しかしそうした状況にありながら、騎士団の人間は貴族院に対して強く批判することが出来ないという歪な構造が長年にわたり続いている。騎士の人事権を持つ者に目をつけられれば不利を被る恐れがある以上、それは仕方のないことでもあった。
そもそも貴族院は、かつていくつもの小国が覇を競い合っていた時代に、突如出現した魔物の脅威に対抗するために全ての国が統一され、このスコールランド王国が建国された際に設立されたものである。
併合された各国の王家やそれに連なる高貴なる貴族によって結成されており、スコールランド王国が正しく魔物の脅威に対抗するために運営されているかを監視するのが本来の目的であった。
しかしそれがいつしか大きな権力を持つようになり、魔物に対抗するために最も重要な騎士の人事に携わるようになっていったという背景がある。
もちろん貴族院自体も決して無能ではなく、彼らなりの方針に則りながらも騎士団の運営が破綻するような人事を行うことはない。魔物の打倒は人類の悲願であり、騎士団の敗北は遠くない人類の滅亡を意味するからである。
だからこそどこかの騎士団をあからさまに優遇したり冷遇したりといったことは行われない。とはいえ、騎士の扱う魔法などの適性や能力の多くは血筋に依存するものであり、優秀な家の人間を同じ騎士団に集めている以上は、必然的に戦力の偏りが生じてしまうことも事実であった。
たとえば第一騎士団の団長を務めるエジムンドをはじめとしたグラントリス家の人間はその全員がエース級の実力を誇っているが、貴族院の方針によりその全員が第一騎士団に配属されている。それゆえに第一騎士団は戦功から算出される序列でも常に最上位に位置しており、他の騎士団からは羨まれる状況となっていた。
元々の歴史を辿れば各騎士団の団長は全て歴戦の勇者ばかりであったが、長年に渡る魔物との戦いで血筋が途絶えるなど、いつしか団長や所属する騎士同士の実力や家の格にも大きな差が生まれていた。
それでも今はまだ魔物との戦線を維持できている。しかし少しずつ人類の生存圏が狭まっていることもまた事実だった。
これらは全て時間の積み重ねによって生まれた歪みであり、どこかで誰かが正さなければいずれ崩壊してしまうものである。
そしてその誰かというのは、スコールランド王国第一王子にして王の名代を務めるアランの役割に違いなかった。
「……すまんな、アラン。俺が無能なばかりに、お前にはいつも苦労をかけている」
アランの父である現国王セドリックは、人払いを済ませた謁見の間で、アランにそんな言葉をかけた。
細身のアランとは異なり、セドリックは筋骨隆々としており、玉座に座る姿には確かな威厳があった。
「ははは。父上は自分が無能だなんて、本当は思ってもいないでしょうに」
「どうだろうな。少なくとも今は亡き兄上やお前のように、王に求められる資質は持ち合わせていないが」
顎髭を撫でながら、どこか冗談めかしたような雰囲気でセドリックは言った。
元々王を継いだのは兄のパオロであり、セドリックは恵まれた騎士としての才能を生かし、第三騎士団のエースとして多大な戦功を挙げてきた人物である。
王家の人間であっても特別扱いはされず一兵卒からのスタートながら、異例の早さで千人長にまで出世しており、その実力と功績を疑う人間などいるはずもない。
しかしながら、戦場で必要なものと王に必要なものが違うことを、誰よりも知っているのはセドリックだった。
「だからこそ私を名代として、実務のほぼ全てを任せている……その判断が正しいかぎりにおいて、父上は名君たり得るでしょう」
「そうだ。お前が何か大きな失敗をするときは、俺が暗君になるときだ。だからこそ後世の歴史家が俺をどう評価するかは、まだ分からんだろう?」
それはアランの失敗の責任は国王であるセドリックが全て負うから、安心してやりたいようにやれという、セドリックなりの遠回しな激励の言葉だった。
その真意を汲み取ったアランは、しかしあえてとぼけた振りをして言った。
「それならご安心を。私が大きな失敗をするときは人類が滅亡するとき……後世の歴史家なんて生まれようもありませんから」
自分の判断によって全ての人類の命運を左右するという重責。
普通の人間であれば気が狂いそうになるだろう役目を、アランはどこまでもまっすぐに向き合い、その上で全てを背負う覚悟をして務めている。
それは王立騎士学校を十八歳で卒業し、セドリックにその役目を言い渡された日からずっとそうだった。
自分に自信がない人間は何かを変えることを恐れる。歴代の王には過去の慣習を守ることに終始した者も少なからずいたが、しかし自らの手で変えようとしなくとも魔物との戦況は刻一刻と変わっていくものであり、変えるべきものをそのままにしてしまうことは歪なものを積み上げることに他ならない。
しかしアランは過去の慣習に囚われることなく、今の状況にそぐわない物事は積極的に変えていける人間だった。目的を達成するために、今本当に必要なものは何か。アランはそうしたことを考えながら、自信を持ってこの七年間で様々な改革を推進していった。
そんなアランだからこそ言えるのである――自分が失敗すれば、人類が滅亡するのだと。
「……本当にお前は、誰に似たんだろうな」
「母上は若かりし頃の父上にそっくりだと言っていましたが?」
「お前ほど肝が据わっていた覚えはない」
セドリックがそう言って否定すると、二人は小さく笑い声を上げる。
セドリックには騎士の才能はあったが、病死した兄のような王の才能はなかった。それを理解していたからこそ、自身が王となってからは余計なことはしないように努めてきたのである。
それが歪みを蓄積し、少しずつ人類が滅亡へと近づいていると分かっていながらも、機が熟すまでをひたすらに耐え忍んできた。それこそが最善であると信じながら――。
そんなセドリックが待ち望んでいたものこそ、我が子アランの成長に他ならない。
アランならばその重責に耐えられると判断し、十八歳のアランを名代として任命したセドリックもまた、異端の才覚の持ち主に違いなかった。
「父上。以前からお伝えしていた通り、私は今日の騎士団評議会で貴族院の権力を一部引きはがします」
「ああ。お前がやるというなら、それで構わん」
「そして例の計画についても、おそらく予定通りに実行することになるかと思います」
「それも構わない……ところで、俺が戦線に復帰するという話は――」
「もちろん却下です」
アランに実務を任せたことで暇になったセドリックは、騎士として戦線に復帰したいという何度目か分からない要望を口に出すが、当然ながら現国王が最前線で戦うことが認められるはずもなかった。