生徒との模擬戦
広い模擬訓練場には訓練着に着替えた生徒たちが集まり、キースの指示を受けることなく準備運動を始めていた。
「あのー、先生は着替えなくて大丈夫なのですかー?」
間延びした声でそうキースに問いかけるのは、紫色の髪をサイドテールにまとめたフェリという女子生徒だった。平民の出身で入試成績は下の方。のんびりとした雰囲気を纏っており、他の生徒たちと比べるとキースに対する反感はあまり持っていないようだ。
ちなみにキースは先ほどから着用していた教員用の制服のままで、今から模擬戦を行う姿には到底見えなかった。
「ああ、気にするな」
「気にするな、ではありません! 貴方は一体どれだけ私たちを馬鹿にすれば気が済むのですか!?」
そんなキースとフェリの会話に、エリステラが怒りをあらわにしながら割り込んでくる。
エリステラは普段降ろしている美しい金髪を、今は高い位置のポニーテールでまとめていた。戦闘準備は万端と言った感じで、キースを見据えたエメラルドの瞳が爛々と輝きを放つ。
「別に俺はお前たちを馬鹿にしてなどいない。ただ俺はいつでも戦えるように準備しているから、特別な用意は必要ないだけだ」
「……ふんっ。せいぜいその服がボロボロにならないことを祈るんですね」
そう言い残すと、エリステラは足早にキースの元から離れて生徒たちに集合をかける。
「……嫌われたものだな」
「むしろ嫌われない理由がどこにもないと思うのですけど?」
フェリはのんびりした口調でキースにゆるくツッコミを入れる。
「それよりお前も集まらなくていいのか? エリステラが怖い顔をして睨んでいるが」
「あわわ、もっと早く言ってくださいよ!」
「いや集合かかってただろ……」
キースはそう呆れたように言いながら、慌てて円陣を組むエリステラたちの元に走っていくフェリの後ろ姿を眺める。一番最後に合流したフェリを、クラスの全員が「フェリなら仕方ない」といった雰囲気で温かく迎え入れた。
そんなクラスの生徒たちをキースはただ静かに観察して、彼らの人となりを見る。元々キースにとってはそれが目的の模擬戦だった。生徒たちの成績や境遇、魔法の適性などについては全てセレーネから渡された書類で把握しているが、しかし実際に生徒がどんな性格でどのような考え方をする人間なのかは書類だけでは分からない。
本来ならば学校生活を通じて一人一人と距離を縮めながら、少しずつ生徒の人となりを理解していくものなのだろうが、しかしキースは一足飛びに生徒たちの人間的な本質を丸裸にしようと画策していた。
そのために少し荒っぽいやり方ではあるが、生徒たちを挑発して模擬戦を行うように仕向けたのである。つまり真剣に戦っている中でこそ見えるものがある、とキースは思っているのだった。
(予想はしていたが、やはりこのクラスは平民と貴族の間に壁がないようだな。そしてその空気を率先して作っているのが、エリステラというわけか)
このクラスの中心人物はエリステラのようで、エリステラは今回の模擬戦での戦い方を全員にしっかりと説明していく。そこに貴族と平民の分け隔てはない。
そうしてエリステラの説明を聞き終えた生徒たちは各自散開し、キースと相対する。
「それじゃあお前たちに一応注意事項だが、模擬訓練場では肉体的ダメージの大部分が魔力へのダメージに置換される。つまり怪我の心配はそうそうないが、あまりにも大きなダメージを受けると昏倒して今日の残りの授業を欠席するはめになるので無理はするなよ」
「無理はするなって言われても、俺たちの相手は先生一人だろ?」
無理をするまでもなく楽勝だろう、といった雰囲気でそう言ったのは男子生徒のベラミーだった。彼は貴族の出身で、魔法の得意属性は土。入試成績は上位ということもあり、その目には確かな自信を宿している。
「まあどう考えるかはお前たちの自由だがな……さて、それじゃあさっそく模擬戦を開始するとしようか」
そうしてキースが模擬戦の開始を宣言した――直後、その瞬間を待っていたと言わんばかりのタイミングで三十人の生徒から一斉に魔法が放たれた。
火、風、水、土の四大属性魔法が様々な方向からまるで押し寄せる津波のようにキースに襲い掛かる。
常識的に考えればそこに回避の余地はない。だからこそ生徒たちの中にはすでに勝利を確信している者も多かった。
しかしキースは大胆不敵に笑みを浮かべると、そのまま右手を横薙ぎに振る。
すると生徒たちが放った魔法は、まるで空間ごと削り取られたかのように、一瞬で消滅してしまった。
「久々に生で見たしせっかくだから試してみたが、やっぱりセレ姉みたいに上手くは使えないな……俺が使うと大味すぎる」
キースはそんな風に自身の空間魔法の出来を確認しながら独り言を呟く。どうやらあまり満足のいく成果ではなかったようだ。
「い、今のは一体……?」
「たぶん四大属性以外の魔法……もしかして空間魔法?」
「まさか! 一年で騎士をクビになるような人が、そんな高等魔法を使えるはずが――」
一方でキースに三十人分の魔法をかき消された生徒たちには大きな動揺が広がっていた。特に最初の一撃だけで勝てると思っていた生徒の間ではそれが顕著だった。
それこそ、目の前で起きたことを必死で否定しようとする程度には。
しかしそんな中で、一人だけ冷静に状況を把握している生徒がいた。それがエリステラだ。
「静かに! 私たちはまだ戦闘中……常に目の前の相手のことだけを考えるのです」
エリステラのその一喝で、浮足立っていた生徒たちはある程度冷静さを取り戻す。
しかし依然としてキースが何を行ったのかは謎に包まれたままだった。だからこそ生徒たちの中には迷いや不安が表情に現れている者も少なくない。
「何だ? お前たちの作戦は最初の一発だけで終わりなのか?」
「まさか。そんなはずないでしょう」
「そうか、なら良かった。だが実戦にはイレギュラーが付き物でな……いつだって作戦通りに戦えるとは限らないんだよ」
キースはエリステラに向かってそう言うと、その手の平を彼女に向けて、そのまま虚空を掴むように握る。
すると次の瞬間――。
(何、これ……体が、動かない……それに、声も……)
エリステラはその体の自由を奪われ、そのまま一気にキースの元まで引き寄せられてしまった。
「これでお前たちの指揮官は人質になってしまったわけだが……さてどうする?」
そう言ってキースは生徒たちのまとめ役であるエリステラを、まるで盾とするように自分の目の前に配置する。
「ひ、卑怯者……それが教師のすることかよ!」
「卑怯、か。だがこんなことは魔物との戦場では日常茶飯事だぞ? 仲間が魔物に捕縛され、今にも食われそうだという時にも、お前は言葉の通じない魔物に向かって卑怯だ何だと言うつもりか?」
「いや、でも、それは……」
「お前たちはこれを実戦だと思って考えろ。俺は魔物だ。その魔物がお前たちの大切な仲間を捕縛している……さて、お前たちはどうするんだ? より大きな被害を覚悟して救出を試みるのか? それとも他の仲間を守るために、捕縛された仲間ごと魔物を討つのか?」
キースの問いかけに、しかし生徒は誰ひとりとして答えを返さない。そうして数秒ほど静寂が場を支配する。
その静寂を破ったのは、キースにとっても予想外の人物――エリステラだった。
「私、は……足手、まといになる、くらいなら……自ら、死を選びます」
キースの魔法による拘束で本来動けるはずのないエリステラが、その拘束を無理やり引きちぎるような無茶をしながら、必死に言葉を紡ぐ。
そうして体内に魔力を集めたエリステラは、自身の体の限界を超えた魔力を一気に開放するのだった。