何のために戦うのか
午後に行われる二試合目まではしばらく時間があるので、一年A組の生徒たちは一旦制服に着替えると、他の試合の観戦のために観客席の所定の場所へと向かう。
「あ、キース先生!」
一年A組の座席付近に座っていたキースを見つけたフェリが、指をさしながら大きな声を上げた。
「先生、私たちの戦い見てくれた? といっても活躍したのはエリステラだけだけど」
「そんなことはないだろう。一緒に見ていたバラック先生は、よく統率が取れた動きをしているとお前たち全員を褒めていたぞ」
「バラック先生が……俺たちを?」
セリカの問いかけにキースがそう返答すると、グラハムが酷く驚いた表情を見せる。
それもそのはず、鬼教師と恐れられるバラックが生徒たちを面と向かって褒めることは滅多にないことであり、入学したての一年生ともなれば一度もそんな場面に遭遇していないのが普通だった。
ちなみについ先ほどまでキースと同席していたバラックは、次の試合の審判を任されているということで準備に向かっている。
「そもそもお前たちの目的は全員がまんべんなく活躍することではなく、被害を最小限に抑えて勝利することだろう? だったら被害無く勝利を収めたことは、お前たち全員の成果に違いない。全員が満身創痍の戦いをするくらいなら、楽に勝てる方がずっと良いはずだ」
「理屈では分かっているんですけど、それでもやっぱり不完全燃焼なことには変わりないですよ」
キースの言葉にユミールがそんなことを言う。
実際ずっとこの日のために入念に準備してきたのに、最初の難所である最上級生との一回戦がほんのわずかな時間で決着してしまったのは、生徒たちにとっても想定外のことだった。
肩透かしを食らった、というのが正直なところに違いない。
「そうは言うがな、ユミール。先ほどのお前たちの戦いは1か0かの、緊張感のある戦いだったはずだぞ。もし相手の前衛に一人でも陣形の裏へと浸透されたり、もしくは中衛に魔法障壁を貫く威力の魔法の詠唱を許してエリステラの詠唱を妨害されていれば、全滅していたのはお前たちの方だったかも知れないだろう。そうならなかったのは、お前たちがこの日のために準備してきたことを全員が完璧にこなしたからに他ならない……とはいえ、ユミールの言っていることも理解出来なくはないが」
全てを出し切るような熱い戦いを望んでいたという生徒はユミールだけではない。言葉にこそしないが、不完全燃焼といった表情を見せている生徒は少なくなかった。
もちろんそれで油断したりするような生徒たちでないことはキースも理解しているが、せっかくの機会なのでやる気を煽っておくのも悪くないとキースは考えて口を開く。
「そんなお前たちに朗報かどうかは分からないが、次の試合相手は二年D組に決まった」
「やはり二年D組ですか……」
エリステラが小さく呟くように声を漏らす。
トーナメント表はすでに出来上がっているので、勝ち上がってくるクラスは所属する生徒の成績や能力から大方予想がつく。そして二年D組が勝ち上がってくることは順当だと言えた。
「そしておそらく相手はお前たちに全力の殴り合いを挑んでくるはずだ。先ほどの試合が不完全燃焼だった者も次の試合では嫌でも活躍することになるだろうから、午後の試合を楽しみにしておくことだな」
「いやぁ、私は出来ることなら楽して勝ちたいかなー……なんて」
キースの言葉に内心闘志を燃やす生徒もいた中で、フェリは思わずそんな本音を口走ってしまい、セリカを中心とした女子生徒たちにもみくちゃにされる。
本番では緊張のせいで普段の実力を出し切れないようなことも心配されるのが学内大会だったが、一年A組の生徒たちはどこまでも普段通りであり、そんな心配とは無縁に違いなかった。
そんな中で、エリステラは真剣な表情でキースに尋ねる。
「……先生」
「どうしたエリステラ?」
「次の三年C組と一年C組の試合、先生はどのように予想しますか?」
三年C組はこの学内大会の優勝候補筆頭であり、主席のルカ・リベットだけでなく、土と風の二属性術士フィリス・ファインマンや、平民出身で独特の戦い方が評価されているクリッドなど、高い実力を誇る生徒が多数所属している。
一方の一年C組はオレーナ・オーグレーンを中心に、多くの生徒が積極的に放課後のキースの指導を受けに来るなど、成長著しいクラスであった。
とはいえさすがに三年生相手に勝てる程の実力はまだ備わっておらず、勝敗に関しては三年C組の勝利で揺るがないだろうということはエリステラ自身も理解している。
つまりこの質問は、一年C組がどの程度優勝候補に対抗しうるのかということへの質問だった。
「戦いに絶対はない……とはいえ、この試合に関しては紛れる余地はないだろうな。一年C組は一矢報いることすら出来ないだろう」
「……やはり、そうなりますか」
エリステラは冷静にそう言いながらも少しだけ表情を曇らせた。短い期間とはいえ、共に鍛錬をしてきたオレーナたちの努力が報われて欲しいという思いがエリステラにはあったのである。
しかし努力という意味で言えば、三年C組の生徒たちはこの王立騎士学校で一年生より二年長く努力を積み重ねてきたこともまた事実であり、その差が容易く乗り越えられるものでないことは、優秀な兄や姉たちの背中を追ってきたエリステラこそよく知っていた。
「お前たちが目指す優勝というものが、本来どれだけ困難なものであるのか。それを本当の意味で知れるのは、もしかしたらこの試合になるのかも知れないな」
「…………」
ここまではクラス一丸となって順調に来た。しかしそれは本当の意味での挫折を経験することがなかったからでもある。
最初キースと戦った生徒たちには、元騎士のキースには負けても仕方がないという気持ちがなかったとはいえず、またキース自身も生徒たちの実力を見るために手加減をしながら戦っていた。
それこそ心を折られるほどの一方的な戦闘というものは、この学内大会で初めて経験するというのが王立騎士学校では慣例だった。
一年生にとって、この行事の本質は選別である。一方的な蹂躙、絶望的な戦闘を経験してもなお、前を向いて戦える。そんな騎士として相応しい精神の持ち主以外は、自ら退学の道を選択することになる。
そしてそれは毎年各クラスに数名ずつ必ず存在するものだった。であれば当然、一年A組だけが例外であるはずもない。
だからこそ今のキースの言葉には、三年C組の試合を見て心が折れる生徒がいるかも知れないという意味も含まれていた。
それを理解していたエリステラは、しかしそれでも反論を口にすることはない。この場において、ただの言葉は何の価値も持たなかった。エリステラたちがキースに示すべきは結果だけなのだから。
そうこうしているうちに試合の準備が終わり、四つに区切られた闘技場のうち、キースたちの目の前のフィールドで一年C組と三年C組の試合が始まる。
一年A組の生徒は三十人全員が集中した表情でそれを見守っていた。
しかし――。
「――そこまで! 勝者、三年C組!」
ルカが最後に残ったオレーナの首に横一線の斬撃を浴びせたところで、審判を務めるバラックの声がかかる。
三年C組は二十六人全員が健在で疲労した様子も全くない。それどころか、1年A組のように勝利を喜ぶような素振りすら見せなかった。
それこそ、この勝利は最初から決まっていたと言わんばかりの態度。しかしそれは三年C組が特別そうだというわけでもなく、他の試合でも大体同じような光景が見られるものだった。
陣形も戦術も洗練されている三年生に対し、一年生のそれは高い位置にある観客席から見れば明らかに隙のあるものであり、魔法の発動速度も効果の大きさも三年の方が数段上だった。
唯一、入学前の実力差を埋めにくい剣術では拮抗する一年生も少なからずいたが、それさえ巧みな連携や魔法による補助で圧倒されていく。
当然観客席が盛り上がるようなこともなく、ただしんと静まり返るばかりだった。
「…………」
「…………」
「…………」
それはいつも明るいフェリたちも例外ではない。
客席からは昏倒しているオレーナの元にアクリスが駆け寄り、素早く状況を確認すると救護班にてきぱきと指示を出していく姿が見える。
肉体的なダメージはほぼ全て魔力へのダメージに変換されるとはいえ、致命的なダメージを受けた生徒は数日昏倒することになる。そうして次に目が覚めたときの恐怖や絶望感は経験した人間にしか分からないとされ、軽傷で済んだ生徒は後日その幸運を羨まれる。
ダメージが変換される闘技場でなければ確実に死んでいた――それはつまり魔物との戦いでは、この戦いと同じような軽さで人間の命が失われることを意味している。
そして観戦していた一年A組の生徒たちにしても、自分たちと同じようにキースの元で鍛錬してきた仲間が、何も出来ないまま地面に倒れているという事実の重さは、実際に目にしてみるまで気付けないものに違いなかった。
「どうだお前たち……勝てそうか?」
どこか重い空気が漂う中で、キースは普段通りの調子でそんなことを尋ねる。
するとすぐにキースの言葉に反応したラウルとユミールが口を開いた。
「個人の実力は確実に俺たちより上で、連携も戦術も隙らしい隙はほとんどない。実力上位者らしく、手堅い戦い方のクラスですね」
「かと思えば一人で前線を突破出来るルカ先輩を始め、多彩な補助魔法を展開できるフィリス先輩に、セオリー度外視でかく乱してくるクリッド先輩……まだまだ隠してる戦術がありそうだ」
そう言った二人にフェリが続く。
「でも魔力容量にものを言わせた補助魔法なら私でもフィリス先輩に勝てそうだし、狙いが雑な速射魔法ならセリカより早い人はいなそうだし、何考えてるか分からない感じならリンナもクリッド先輩に負けてないし――」
「……誰が雑だって?」
「……何考えてるか分からない?」
しかし言葉の選択を誤ったフェリはすぐにセリカとリンナにもみくちゃにされた。そんな三人を無視して、ベラミーが普段どおり自信ありげな表情で言う。
「というか俺たちの土魔法を使った陣地構築の方が、三年生よりも効率的だっただろ?」
「それは一年生相手に本気を出していないだけかも知れないけどな」
「やっぱり人数のアドバンテージをどう生かすかが鍵じゃない?」
「それって犠牲無しで決勝行ける前提だよね?」
「でもエリステラは最初からそのつもりみたいだし」
「というか俺は三年C組の前衛と後衛の人数比の偏りが気になったんだけど――」
いつしか生徒たちはどうやって三年C組を倒すのか、その方法を真剣に議論し始めた。
上級生による一方的な蹂躙を目の当たりにしても誰ひとり怯えたりする様子はなく、全員がどうやって勝つかだけを考えている。
すでに三年F組を倒しているという自信もあってか、心が折れるような生徒は皆無だった。これもこの二か月で見せた生徒たちの成長に違いない。
「……俺の質問は勝てそうかどうかだけだったんだがな」
「――勝ちますよ、私たちは」
キースがそう呟きながら小さく笑みを浮かべると、すぐ隣の席に座っていたエリステラが凛とした雰囲気でそう言った。
「放課後に毎日何時間も、休日さえ返上で指導してくれたキース先生に、何の成果も残せなかったと失望されたくありませんから」
「……そうか」
「そうです。だから先生もあの約束、覚えておいてくださいね」
あの約束とはもちろんエリステラとキースが先日交わした、学内大会を優勝した暁にはクラス全員を褒めるというものだった。
正直に言えば、キースは生徒たちがそんなことのために必死に鍛錬に励んでいたとは思っていない。学内大会も所詮は騎士になるための通過点でしかなく、重要なのは卒業するまでにどれだけの実力を身につけられるかだ。
キースはそのために効果的だと思ったから直近で具体的な目標を設定させたに過ぎず、その目標自体は達成されようがされまいが、最終的に大きな影響は出ないだろうと考えていた。
そういう意味では、すでに一年A組の生徒たちはこの二か月という限られた期間において充分な成長を見せており、キースにとっても評価に値する成果を残したと言える。
つまりキースにとって学内大会の結果自体は、すでにそこまで重要度の高いものではなくなっていた。
しかし生徒にとってはそうではなく、学内大会の結果もまた重要なものであり、すでにこれは負けられない戦いとなっている。
とはいえ人が何のために戦うのかなんて、結局は人それぞれでしかないというのもキース自身分かっていることではあった。
実際キースも名誉や大義などというものはどうでもよく、マグノリア領の西にかつて存在していた自分の生まれ故郷であるサイリス領の奪還のために活動している。そして騎士としての活動をアランに要請されたときには、団長が無能と知りながらもその地域を担当する第十一騎士団への配属をアランに希望したという過去もあった。
ただその配属さえも、もしかしたらアランの手のひらの上だったのではないかという疑念があったりするわけだが――。
何にせよ、何故勝ちたいと願い、何故努力をするのかなどということ自体に優劣などないというのがキースの思想だった。仮に動機が強欲で邪なものであろうと、為したことの価値だけは否定されるべきではない。
であるならば、キースに褒められたいから勝ちたいと願う生徒たちの動機も、きっと否定されるべきではないのだろう。
そんなことを思いながらキースは静かに一言、「勝てたらな」とだけ答えるのだった。