大会前最後の模擬戦
学内大会に向けて実質最後の調整の場となる放課後の指導前に、エリステラが真剣な表情でキースに言う。
「先生、一つお願いがあります」
「何だ、エリステラ?」
「先生にルカ先輩の役をお願いした上で、模擬戦を行いたいのですが」
「……なるほどな。確かに全くデータがない状態で戦うのは、戦場においても愚策だろう。しかし一つ言っておくと、俺とルカでは戦闘スタイルが違いすぎるが、それはどうする?」
キースの戦い方は魔法を主体にしており、その強さは近距離戦闘から遠距離戦闘まで一切の隙がなく、まさに人類最強と謳われるに相応しいものだった。
一方のルカの戦い方はただひたすらに磨き抜いた剣術と身体強化魔法を合わせた至近距離での一点突破のみである。学生離れしたその実力は確かに学生最強には違いなく、剣術の実力だけでいえばキースをも凌ぐ。
全く別の戦い方を修めた人間だからこそ、いかに賢者のキースといえど、ルカの真似をすることは非常に困難だと言えた。
しかしキースの問いかけに、エリステラは最初から答えを用意していたように口を開いた。
「問題ありません。何もルカ先輩の攻略法を見つけようというわけではありませんから。先生の速さだけルカ先輩に合わせていただければ充分です」
「……分かった」
キースがそう返事をすると、すぐに手際良く生徒たちは二手に分かれる。
片方はエリステラ率いる一年A組の三十人、もう片方はキースの指導の評判を聞きつけて集まってきた他のクラスの一年生たち四十人。
人数は若干不均衡だが、他のクラスの一年生にはキースの指導を最近受けだしたばかりの生徒が多く、クラスもバラバラな烏合の衆ということもあって、A組の生徒たちとの実力差を考えればこれでもA組が有利だと言えた――キースさえいなければ、だが。
四十一人目としてこの模擬戦に参加することになったキースは、さっそく四十人の生徒を集め、その中から代表となる生徒に呼びかける。
「オレーナ」
「はい!」
「指揮は任せる。とはいえクラスもバラバラの烏合の衆だからな、多くは望んでいない。数の優位を生かして膠着状態を作り出せれば充分だ」
「え、それだけで良いのですか?」
「それだけとは言うが、今のA組の実力はお前も知っているだろう。気を抜いていると為す術もなく押しつぶされるぞ」
「……はい、一意専心で取り組みます!」
オレーナは素直な気持ちでキースの忠告を受け入れる。
オーグレーン家という名家の生まれで、入試の成績も三位というオレーナには当初相応のプライドもあったが、それは入試成績下位のフェリとの模擬戦に敗れた際に一度粉々に崩れ去っていた。
しかしそのまま腐ったりせず、ひたすら謙虚に学び続けてきたのがオレーナという少女である。
A組の生徒の実力は、言い換えればキースの指導力の証左でもあった。キースの指導を受けていれば、自分もA組の生徒のように短期間で目覚ましい成長を遂げることが可能かも知れない。
実際、オレーナの戦いに関する考え方は徐々に変化しつつある。それが実を結ぶにはさすがにもう少し時間が必要で、おそらく学内大会には間に合わないものではあるが、それでも確かに価値のあることには違いなかった。
その後キースは普段使わない剣を形だけ手に持ち、数回素振りをする。
「やはりルカには及ばないな……さて、そろそろ準備は良いか?」
「はい、こちらは大丈夫です」
キースの確認にエリステラが落ち着いた声で答えた。いくら模擬戦とはいえ、戦いの直前とは思えない落ち着きに、さすがのキースも驚かされる。
(全く……歴戦の騎士でもそんな精神のコントロールが出来るのは一部だろうに)
落ち着けと言って本当に落ち着けるのであれば何も苦労はない。実際オレーナが率いる生徒たちはすでに高揚感が隠せない状況になっている。もちろんそれは士気が高いということの現れでもあり、必ずしも悪い事だとは限らない。
一方、まるで静かな水のように落ち着き払ったエリステラが率いるA組の生徒たちは、エリステラの様子に影響されたのか、ほどよい緊張感に包まれていた。
(……? 何か狙って来るのか?)
キースはA組の生徒たちの様子から、そんなことを感じ取る。
とはいえこの模擬戦はあくまでも学内大会へ向けた最後の調整の意味合いが強いので、無理に作戦を潰しに行くような戦い方をするよりは、作戦が実際にどのように機能するのか、あるいは想定ほど機能しないのかを確認させるべきだろうとキースは考えた。
そうしてキースは審判役を頼んだC組担任のミレーヌに目を向けると、ミレーヌは静かに一度頷く。
「――始め!」
そのミレーヌの合図によって模擬戦が開始された。すぐに両陣営の生徒たちが前線でぶつかり合い、その後ろから魔法での支援が行われる。
「――ブレイブハート」
そんな中、キースは一度見ただけのルカのオリジナルの強化魔法であるブレイブハートを見様見真似で発動し、ほぼルカと同等の身体能力で前線に駆けあがる。
キースの狙いは一点。戦術級の二属性複合魔法、アルバリの詠唱を開始しているエリステラだ。
しかし当然ながらA組の生徒たちは全力でエリステラを守ろうとキースの進路を塞ぎに来る。最初に立ち塞がったのは体格の良いケインだった。
ケインはキースの足止めを狙い、先手を取って横薙ぎに剣を振るう。
「ふんっ!」
「甘いな、ケイン」
一瞬、ケインの視界からキースが消えたかと思うと――次の瞬間、剣の下を潜って前進してきたキースがそのまま低い姿勢でケインに体当たりを仕掛ける。
「え……?」
次の瞬間、ケインは信じられないといった表情のまま仰向けで地面に転がっていた。
「これはただの体術だ。ルカほどの使い手なら当然同じことをやってくるぞ」
そうケインに忠告しながらも、速度を落とさずに前に出ると次はセリカの火属性の速射魔法が飛んでくる。しかしこれもキースは魔力を込めた剣を軽く振るだけで対処し、一瞬でエリステラの近くまで接近した。
「……させない」
「リンナか……」
立ち塞がるリンナの近くには無尽蔵の魔力容量を利用して、複数人へ身体強化魔法をかけ続けているフェリの姿もある。そして左右からはラウルとユミールも挟撃の形を取っていた。
一般に、王立騎士学校の生徒が三人でかかれば、並みの騎士であれば倒されてしまうと言われる。
しかしそれはあくまでも平均的な実力の騎士、言い換えれば王立騎士学校のようなエリート出身ではない場合の話だった。
キースは当然として、その他でも一部の飛びぬけた実力を持つ騎士であれば、生徒がどれだけ束になってかかって来ようと難なく退けることが可能である。
そしてルカの剣術もまた、遠からずその域に達することが想像できるだけのものに違いなかった。
「ところで、俺一人にこんなに人数を割いて大丈夫か?」
キースは小さく笑みを浮かべながら、何気なくそんなことを言う。
実際キースを止めるためにケイン、ラウル、ユミールとA組でも屈指の実力者が割り振られていた。そこにかく乱と生存能力に優れたリンナ、援護には速射魔法が得意なセリカ、そして強化魔法による補助役のフェリ。その先にいるエリステラまで含めれば、残りの二十三人でオレーナが指揮する四十人と戦っていることになる。
これが現時点での実力で劣る他のクラスの一年生が相手である今ならともかく、学内大会でルカの三年C組との戦いを想定するのであれば、格上の三年生相手にこの戦い方は通用しないだろうというのがキースの見立てだった。
「確かに賭けではありますが、エリステラのアルバリが発動出来れば状況は一気にひっくり返ります」
ラウルがそう答えながら剣を構えて待つ。あくまでも時間稼ぎが目的であるなら、自分から手を出して捌かれるリスクを冒す必要はない。
ラウルの言葉はそのままエリステラが語った考えだった。つまりこの模擬戦でエリステラが本当に知りたかったことは、アルバリの詠唱が完了するまでルカ相手に時間を稼げるかどうかという点である。
実際エリステラの周囲には他の生徒が構築した魔法障壁が存在しており、遠距離からの魔法に対しては万全の対策がなされていた。
「なるほど、確かに悪くない……だが、良くもない」
キースはそう呟くと、真っすぐにエリステラに向かって加速する。まるで進路を阻むリンナたちが存在しないかのように――そして。
次の瞬間には、キースはリンナたちの包囲を突破してエリステラの目前に迫っていた。
それはルカが以前キースに見せた神速の踏み込み。足の送りの緩急や上体でのフェイントを用いて、一瞬の虚をつき接近する高等技術。
包囲していた三人のうち、感知能力に優れるリンナだけはキースが自分の横を通りすぎたことに気付いてはいたが、それでも反応出来なかった。
そのままキースは剣を振り上げ――エリステラに振り下ろす。
するとエリステラは迷いなくアルバリの詠唱を放棄し、剣を抜いて受けた。
「……やはりこうなりましたか」
「ほう、まるで分かっていたような口ぶりだな」
「この作戦が通るような相手であれば、先生があそこまで高く評価するはずもありませんから」
実際キースはルカへの個人指導となっているあの一件でのルカの印象を、エリステラたちには非常に高く評価する形で伝えていた。
そしてそれは身体強化魔法や剣術を含めた近接戦闘の技術だけではなく、目的のためには努力を惜しまない貪欲さなど、ルカの精神面を含めた評価であったこともあり、結果としてそれがA組の生徒たちの対抗心に火をつけることになった。
一年A組が学内大会で優勝した暁には、生徒全員を褒めることをキースはエリステラに約束させられたが、それはキースがルカを褒めたことが一因である。
そんな風にキースとエリステラが剣を交えていると、少しずつ前線がエリステラたちの方に押し込まれ始める。さすがに主力を欠いた状態では四十人の攻撃を押しとどめることは難しかったようで、オレーナの指揮の元、勢いに乗った他クラスの生徒たちが包囲を完成させようとしていた。
「一応訊いておくが、ここから逆転の策はあるか?」
「……いいえ。こうなってしまえば私たちの負けです」
「――そこまで!」
エリステラのその言葉によってミレーヌの号令がかかり、模擬戦は一年A組の敗北で決着する。
まさかの勝利に喜ぶオレーナたち。一方のA組の生徒たちは、落ち込んだ様子を見せるかと思えば決してそんなことはなく、あくまでも冷静に今の戦いの反省点を各自で話し合っていた。
そんな中、キースはエリステラに語りかける。
「弱者の戦い方としては悪くなかったが、勝ち筋が一つというのではさすがにギャンブル要素が強いな。それもあそこまではっきりと相手にも分かるようなものでは、止めてくださいと言っているようなものだ」
実際エリステラのアルバリの詠唱は膨大な魔力の解放を伴うため、相手からしたら確実に止めなければならない脅威だった。
学内大会で格上である上級生と戦うことになれば、確実に魔法の集中砲火を浴びる上に、前衛も全力で突進してくることは間違いない。魔法からエリステラを守るために何人かで魔法障壁を構築していたが、それだって上級生の魔法を防ぎきることは難しい。
エリステラを囮にして別の勝ち筋があるというのであれば話は変わってくるが、現状相手からすればエリステラを止めれば勝ちという形で、分かりやすい弱点が露呈しているに過ぎなかった。
「とはいえ、そんなことはお前も最初から分かっていたようだから多くを言う必要もなさそうだがな」
「……本番では上手くやります」
キースの言葉に、エリステラは決意を秘めた表情で答える。
学内大会まで残された時間はもうほとんどないという状況でありながら、しかしA組の生徒たちは誰ひとりとして焦りを見せることはない。
キースが着任してから、たった二か月。そんな期間で生徒たちの剣術の腕が伸びることはほとんどない。魔法の扱いにしても、そこまで飛躍的な向上は望めない。
しかしそれでも、キースの元でやれるだけのことはやったという自負が、まさしく生徒たちの自信となっているようだった。
そして翌日――ついに、学内大会が始まりを告げようとしていた。