誤解
「フェリ」
「は、はいっ!」
慌てて医務室を飛び出したフェリは、少し離れた場所にあるベンチで一息ついていたところ、突然キースから声を掛けられて驚きと共に返事をした。
「せ、先生、なな何ですか私は何も見てないですよえへへ」
「いや、別に隠す必要はないが」
「そうなんですか……? いやでも先生とアクリス先生が恋人同士だなんて、重大ニュースですよ!」
「俺はその誤解を解いてこいと言われて来ただけだからな。ということでフェリ、俺とアクリス先生は恋人同士ではない、以上だ」
「何だ、そうだったんですねー……ってならないから! 私、結構決定的な場面を見ちゃってますから!」
「そうか……ならお前のその記憶を消すとするか」
「ひっ」
「はっ、冗談だよ。だからそう怯えるな」
「真顔でそんな怖いこと言われたら無理ですって!」
実際にキースの精神干渉系の魔法の力を目の当たりにしているフェリは、記憶を消すようなことさえもキースなら出来るのだろうと思っていたので、怯えるのも仕方がない話だった。
キースがむやみやたらとその力を行使する人間ではないことはフェリも理解していた。しかし本当に必要に迫られれば、そこに躊躇いが存在しない人間であることも間違いないのである。
フェリは恐る恐るといった雰囲気で、キースに質問を投げかける。
「でも、先生たちが恋人同士じゃないなら、どうしてあんな風に抱き合っていたんですか?」
「俺とアクリス先生は子供の頃からの知り合いなんだが、あいつは昔からあんな感じで俺のことをからかったりすることが多くてな……いい大人なんだからいい加減落ち着いて欲しいところだが、久々に再会してみても全く変わっていなかった」
「え、じゃあ先生たちって幼馴染なんですか?」
「そうだ。まあそのおかげで遠慮なくお前たちを医務室送りに出来ているから、俺としては助かっているが」
「酷い! ……あー、じゃあ先生からしたらあれは、昔と同じようにじゃれ合っていただけ、ってことですか」
「そうなるな」
フェリの質問に対して、キースは淡々と事実を述べていく。キースの言葉に嘘がないことは、フェリの目にも明らかだった。
「しかしあの場面を見られたことで、変な噂が流れるとアクリス先生は困るらしいから、俺がこうしてフェリの誤解を解くはめになっているわけだ……正直、あいつの自業自得だとしか思えんがな」
「あはは……とりあえず背景の方は分かりました」
「まあクラスの連中に言いふらすなと言っても無駄だろうから、そこはお前の裁量に任せるが、あまり噂に変な尾ひれがつくようなことは避けてくれると助かる」
口止めをすることには意味がないからしないというのは、何ともキースらしい言葉だった。
フェリもアクリスにはいつも医務室でお世話になっているので、彼女に迷惑をかけるのは本意ではない。それでも知ってしまったことについては、完全に隠し通せる自信はなかった。
そうした意味でも、口止めを強要しないキースの態度はフェリにとっても楽な気持ちでいられるものである。
おそらく事実をそのまま伝えるのであれば、たとえフェリが言いふらしたとしてもキースは怒ったりしないだろう。
「ああそうだ、フェリ。お前が取りに来た髪留め」
「あ、ありがとうございます」
そんな風にフェリの忘れ物を手渡したキースは、誤解を解くという目的は果たしたといった雰囲気で、すぐにどこかへと立ち去ってしまう。
そんなキースを見送ったフェリは、ふと独り言を呟く。
「キース先生からしたらただのじゃれ合いなんだろうけど……アクリス先生の方は、そんな感じには見えなかったけどなぁ」
ただそれはフェリの勝手な憶測でしかない。つまり噂につく「変な尾ひれ」そのものだった。
アクリスがどんな感情をキースに向けているのかは、結局アクリス自身にしか分からない。であれば、それを勝手にあれこれ推測するのも無粋だ。
理屈ではそんなことを考えながらも、フェリは医務室で抱き合っていた二人を見たときのドキドキとした胸の高鳴りが今も続いていたため、そのまましばらくベンチで一人鼓動が静まるのを待ち続けるのだった。