誇り高きエリステラ
一般的に騎士学校は十五歳で入学し、それから三年間騎士として必要になる実践的な知識を学ぶ場所である。
例外はキースのような飛び級だが、実際のところそんなケースは滅多にない。ちなみにキースは十歳で入学し、卒業したときは十三歳だった。
そうした意味でも、キースは母校であるこの王立騎士学校の伝説的な存在ではあるのだが、当然ながら賢者であることと同じくその情報は秘匿するように厳命されていた。
「おい聞いたか? 新しく来る先生がこのクラスの担任になるんだってよ」
「うん、聞いたー。なんか騎士団をクビになって来たらしいよー」
「うわ、それ大丈夫なのかよ――」
キースの着任はさっそく噂となり、特に担任となる一年A組ではその話題で持ち切りとなっていた。
ただしアランによって情報統制が敷かれていたこともあり、キースについてはあまり情報が流れず、結果的に左遷されて教師になったなどのネガティブな情報ばかりが広まっている。
「これもアランの狙い通りではあるんだろうが、あまり生徒に軽んじられても俺の業務に支障が出るんだよな……別にどうにでもなるが」
ホームルームの開始時刻を廊下で待つキースは、そう呟きながら痒くもない頭をかく。
すでに入学から一か月が過ぎていることもあり、新任の教師であるキースは廊下を行き交う生徒たちから物珍しげな視線を向けられるが、特に気にした様子はない。
そうしてしばらくすると時刻となったので、チャイムの音が鳴り響くと同時にキースは教室に入った。
その瞬間、それまで騒がしくしていた生徒たちは一斉に静かになり、教室に入ってきたキースに視線を集中させる。さすがに最難関の王立騎士学校に通うエリートだけあって、表向きは真面目な生徒が多いようだった。
キースは生徒たちの値踏みするような視線も意に介さず、淡々と口を開く。
「今日からこのクラスの担任となったキースだ。諸事情で着任は少し遅れたが、お前たちのこの一か月間の学習成果は全て把握しているので、遠慮せずにそのつもりで接してくれ」
「先生ー、質問良いですか?」
キースが言い終わると同時に、一人の男子生徒が手を挙げる。名前はグラハム、魔法の得意属性は火、下級貴族の出身で入試成績は中の上。キースはそうした情報を瞬時に頭の中で整理する。
「何だ、グラハム?」
「先生が騎士団をクビになって教師になったって本当ですか?」
グラハムはさっそく噂の真相を解き明かそうと、キースにそんな質問をぶつけた。他の生徒からは小さく笑い声が上がる。
グラハムは物怖じしない性格なのか、それとも単に馬鹿正直なだけなのか。キースはそんなことを考えながら返答する。
「本当だ。一年ほど前線にいたが適性がなくてな。それで後方に回され、教師として後進を育てることになった……質問の答えはこれでいいか?」
「え、えっと、はい、大丈夫です……」
もう少し面白い反応が見られるかとグラハムは期待していたが、キースがあまりにも淡々とクビになったことを明かすので肩透かしを食らったようだ。
世間的には騎士団をクビになるということは大変な不名誉であり、普通の人間であれば当然ながらその事実をひた隠しにするものである。
生徒からバカにされる可能性もある中で、しかしキースは一切臆することなく騎士をクビになったという事実を公表した。
それは生徒たちからすれば予想から大きく外れた反応であり、一瞬で気勢をそがれる形となる。
しかし――。
「先生、私からも質問よろしいでしょうか?」
「ああ、構わないぞ。エリステラ」
さっそく来たか、とキースは心の中で嘆息する。
エリステラ・グラントリス。彼女は公爵家の四女で、父は最強と名高い第一騎士団で団長を務めるエジムンド・グラントリス公爵という、由緒正しい武人の家系に連なる者である。
入試成績は当然のように主席、魔法の得意属性は風と水という、入学時点で二つの属性を満足に扱える稀有な才能の持ち主だった。
エリステラはひたむきな向上心を胸に常に鍛錬を怠らない、父親譲りの誇り高い性格をしている。
だからこそキースは彼女がこの瞬間、間違いなく噛みついてくるであろうことを予測していたのだった。
「私たちは優秀な騎士となるためにこの学校に入学しました。しかし先生はたった一年で騎士をクビになったと言います。そんな騎士失格の烙印を押された先生の元で学んで、果たして私たちは立派な騎士になれるのでしょうか?」
「それはお前たち次第だろう」
「……どういう意味ですか?」
「そのままの意味だが。仮に担任の教師が無能だったとして、それで腐って落ちぶれていくような人間は、最初からその程度の人間だということだ。幸いこの学校は申請すれば施設は使い放題、閲覧できる文献も山のようにある。自分を鍛えられる環境は整っているはずだ……もちろんやる気さえあれば、だがな」
「無責任な! そんなのはただ教師としての自身の無能を棚に上げた詭弁ではありませんか!」
「確かにそうだな。だが俺は自己弁護をするつもりもなければ、お前と弁論の技術を競うつもりもない。俺の教師としての能力に不満があるのなら、別に授業は受けなくても構わない。出席扱いにはしてやるし、単位も問題なく出そう」
「私はそういうことが言いたいのではありません! 貴方が充分に努力をした上で騎士の適性がなかったというのであれば、それは仕方がないことだと思います。しかし貴方は能力不足を改善する意思も見せず、生徒に努力を強いるように偉そうな言葉を並べ立てるだけではありませんか!」
「つまり、何だ。殊勝さが足りないとでも言いたいのか? 無能が偉そうにするなと?」
「……そこまで言うつもりはありませんが、大意はそういうことです」
キースはエリステラが父親譲りの誇り高い性格とは聞いていたが、まさか仮にも自分より目上の人間に対して、ここまで苛烈に言葉をぶつけてくるとは思っていなかった。
自分は努力せず、しかし生徒には努力を押し付ける。そんな教師の元で学ぶことなど何もないのだと。
それも全て優秀な騎士になりたいという一心でのことに違いない。
(これがこの学年の一位か……いいな、有望じゃないか)
キースは心の中でそう素直に感心する。能力的には学生時代のセレーネやアランに劣るが、そんなことは些末な問題に過ぎない。何よりも大切なのは「意思」だとキースは考えていた。
では果たしてエリステラの「意思」は、どれほど強いものなのか。
「確かにエリステラの言うことには一理ある。実を言えば俺も常々同じことを思っているんだ……力のない人間が偉そうにしているのを見るたびに、その口を塞いでやらないといけない、ってな」
そう言ったキースからほんの一瞬、凍り付くような強い殺気が放たれる。
しかし本物の戦場を知らない、今まで平和な世界で生きてきた生徒たちはその殺気に気付くことはない。
そうしてホームルームの終了を告げる鐘が鳴る。
「話は途中だが、今日のホームルームはこれで終わりだな。この後の授業は実戦訓練か……ちょうどいい、今日は少し授業内容を変更するとしよう」
「授業内容の変更ですか?」
「ああ。どうやら俺の能力に疑問を感じている者も多いようだから、お前たちの模擬戦の相手は俺がやろう」
「いやいや、いくら騎士をクビになったからって、騎士学校を卒業してる先生に勝てるわけないでしょう!」
「もちろんハンデはやるよ。お前らは三十人全員でかかってこい。それならどうだ?」
「はぁ!? ……いくらなんでもそれは俺たちを舐めすぎじゃないですか?」
一般的には王立騎士学校の一年生が三人も集まれば、並みの騎士一人が相手であればほぼ確実に勝利出来ると考えられている。
魔法を用いた戦闘において、それくらい数の優位は絶対的なものだというのが通説だった。
しかもキースは一年で騎士をクビになった人間であり、当然ながら並みの騎士よりも弱いのだと生徒たちには認識されている。
故にキースの言葉を挑発と受け取った生徒たちは、一気にキースに対しての反感を強める。これまでエリート街道を歩んできた彼らは、そんな風に他人から軽んじられる経験は無いに等しかった。
「まあそれはやれば分かる話だろう。というわけで着替えて模擬訓練場に集合するように、以上」
そう言い残すと、キースはさっさと教室を出て行ってしまう。
「本当に、馬鹿にして……っ!」
だからそんなエリステラの怒りに満ちた言葉がキースに届くことはなかった。