後悔
晴れやかな表情でフェリが医務室を立ち去ると同時に、キースは声をかけられる。
「先輩。元気になったみたいで良かったですね、フェリさん」
「ん、ああ……聞いていたのか、アクリス」
「もちろん。ここは私の仕事場ですからね」
放課後にいきなりキースがフェリを抱えて駆け込んできたときは少し驚いた顔を見せたアクリスだったが、今は落ち着いた様子でキースと会話をしている。
「しかし先輩の精神干渉系の魔法ですか……一歩間違えば心に癒えない傷を負うリスクがあるから、極力使わないようにしているんじゃなかったんですか?」
「そんな話もしたか。だが当然必要であれば使うこともあるだろう」
「……まあ、別にいいんですけどね。フェリさんは気にしていないみたいですし」
アクリスは少し呆れた様子でそう言った。
かつてアクリスもキースに精神干渉系の魔法を使われたことがあり、それによって長年抱えてきた悩みを解消した経験がある。ただキースは一切説明なくそれを行ったため、当時のアクリスはキースにわずかながら反発を見せていた。
キース曰く「アクリスなら乗り越えられる」という話だったが、アクリスが言いたかったのはそういうことではなく、無遠慮に心を覗き込むデリカシーの無さに対する指摘だった。
しかしそうした指摘がキースに響くはずもなく、結局はアクリスが折れる形で当時は丸く収まっている。
「それにしても、フェリさんって可愛らしい人ですよね」
「そうか? 俺からすれば迂闊で危なっかしいという印象しかないが」
「ふふっ、確かに早とちりをすることも多いみたいですね。でもそういう純粋なところも可愛らしいじゃないですか」
「……どうしたアクリス。あいつのことが気に入ったのか?」
会話の中でほんの小さな違和感に気付いたキースは、アクリスの真意を確かめるように尋ねた。
それだけでアクリスはキースに自身の本音を語ることにする。それはアクリスなりの信頼の形だった。
「そうですね……先輩、やっぱりあの子も騎士になったら前線に送られるのですか?」
「……フェリはアクリスと違って健康そのものだし、ただでさえ治癒術士は貴重な人材だ。それにあれだけの魔力容量を持つ治癒術士もそういない……衛生兵として重宝されるのは間違いないだろう」
「それは、分かっています。私だって、体さえ丈夫であればきっとその道を歩んだと思いますから。……でも本音を言えば、ああいった純粋な子には、前線とは遠いところで幸せになってもらいたいと、そう思うこともあります」
「それを決めるのはあいつ自身だろう。それに何があいつの幸せかなんて、俺たちに分かるはずもない」
「……本当に先輩は変わりませんね」
小さく笑いながらアクリスは言う。しかしその言葉が必ずしも褒め言葉でないことはキースにも分かっていた。
「先輩はいつもそっと背中を押すだけ。そこに障害があるなら、それを取り除く手助けもしてくれる。けど最後の選択は絶対に、本人の意思で選ばせるんですよね」
「……そうだな。それが正しいかどうかは分からないが、俺は自分の流儀に従ってそうするようにしているのは確かだ」
「正しいと思いますよ。私も色々ありましたけど、自分でこうして後方で働く選択をしたことに後悔はありませんから」
そんな風に昔を思い返すようにして言ったアクリスは、どこか物悲しい表情をしていた。
それを見たキースは、長年の付き合いからアクリスの本心を瞬時に見抜き指摘する。
「……嘘だな」
「えっ?」
「自分で選択したから後悔しないなんて、そんな因果関係はないだろう」
「いや、でも……それを先輩が言ったら、ダメじゃないですか?」
「何が悪いんだ? 大体、俺だって後悔ばかりしているぞ。あのときああしていれば、もっと上手く出来たんじゃないか、より良い結果が得られたんじゃないか、とな」
それは失敗だけが後悔の原因ではないという話だった。常に最善の選択をすることなんて出来ない以上、選択には後悔が付きまとう。
そもそも何が最善であるかなんて、誰にも分からないことなのだから。
そうしてキースは会話の中でアクリスの後悔の原因に思い至る。
「アクリス……また同級生が死んだか?」
「っ……!」
「図星か」
「本当に先輩は、そういうところですよ……デリカシーがないっていうのは」
「だが事実だろう。それはどう言い繕ったところで変わることではない」
事実は事実として受け入れるというキースの流儀は、繊細な気遣いとは相性が悪い。
直接的な物言いになってしまうという自覚はあったが、あえてそれを取り繕うようなこともしなかった。それで現実が何か変わるわけでもないのだから、と。
「言っておくが、仮にお前が前線にいたとしても、それは避けられるようなものではないぞ」
「分かっていますよ、それくらい……でも、仕方ないじゃないですか。私がこうして安全な場所で働いている間にも、騎士になったみんなは前線で命をかけて戦っているんです……罪悪感を覚えるなという方が、無理ですよ」
「……確かにそうかも知れないな」
「え?」
アクリスはキースがそんなことを言うのは意外だと思ったのか、驚いた表情を見せる。
「つまり、俺もお前と同じだということだ。生徒たちがいずれ死地に赴くと知りながらも、俺にはそれを手伝うことしか出来ない……全員が無事に退役まで生き延びられるはずもないのにな」
「いやあの先輩、それ以上は……」
アクリスはキースをたしなめるようにそう言った。医務室は決して防音が良いわけではない。さすがに今の発言を生徒たちに聞かれては問題があるとアクリスは判断したのだった。
「……悪い。口が滑った」
「いえ……でも意外です。先輩もそんな風に思ったりするんですね」
「そうだな。最強の賢者だ何だと言われたところで、結局俺も一人の人間でしかないということだ。俺の腕は二本しかないし、この手が届く範囲も限られている……救いたいもの全てを救うには、何もかもが足りていない」
「……それでも、先輩は全てを救うことを諦めていないんですよね? 何でしたっけ、先輩の研究……『魔器』でしたか?」
魔器というのはキースが長年研究している魔道具の一種であり、人間が魔力を注ぎ込むことで、誰でもあらかじめ設定された術式の魔法を発動することが出来るといったものである。
魔法は個人の資質に大きな影響を受けるため、その戦況ごとに求められる魔法を誰しもが使えるとは限らない。むしろ特定の騎士にしか扱えない魔法というものが多数存在しており、それが部隊編成の大きな制約となることも多く、時に必要な役割の騎士が存在しない部隊というものが発生する原因となっていた。
そうした部隊が相性の悪い魔物と遭遇すれば、当然ながら悲劇が起きる。もちろんそうした属人化への対策は考えられており、各騎士団で様々な工夫が行われてはいるが、どれも完璧なものではなかった。
キースの研究している魔器は、完成すればそうした問題を解決できるだけの可能性が秘められている。しかし現状は各属性への魔力の変換効率が悪く、普通に魔法を発動させた場合の十分の一以下の出力しか得られていないため、実用にはほど遠いと言えた。
「あれは数ある研究課題のうちの一つに過ぎないが……そうだな。確かにあれが完成すれば、全てを救うとまではいかずとも、多くの騎士たちの助けにはなるだろう」
しかしそれもいつの話になるのかは誰にも分からない話だった。
もし仮に理論自体が破綻しているのであれば、また一から研究のやり直しとなる。そうなれば騎士たちを救うことがまた遠のくのは確実だった。
「だが成果が出なければ、それは何もしていないのと同じだ。どこかの前線で戦っている方が、よっぽど誰かを救うことに繋がる。……そんな風に確実に救える命を救わず、後方で無駄な時間を過ごしているという意味では、俺は誰よりも罪深いのだろうな」
「先輩……」
そんな風に珍しく弱音を吐くキースを見て、アクリスは不意にキースの頭をその大きな胸に優しく抱き寄せた。
「……何をしている、アクリス」
「何って、先輩を慰めているんです」
「立場が逆だと思うが」
「確かに先に落ち込んでいたのは私ですけど、私が弱いのはいつものことですから」
そんなよく分からないことを言いながら、アクリスはキースの頭を撫で続ける。
「――私は先輩がいつか、人類を救ってくれると信じています」
「それはまた大層な信頼だな」
「重いのは分かっています。だからこうして、先輩が潰されそうになったときは、私が助けてあげないと」
「…………」
「先輩は偉いです。生徒の皆さんも、先輩のことを強く信頼しています。その信頼を勝ち取ったのは間違いなく先輩の力なのですから、自信を持っていいんです」
キースはいつでも抜け出せる状況にありながら、しばらくそうしてされるがままになっていた。そもそもの話をすれば、アクリスがキースの頭を抱こうとした時点で避けようと思えば避けられたのではあるが。
しかしそうしなかったというのは、キースにとってもそれは決して不快ではないということに違いない。
「すみませーん。私、髪留め忘れてませんかー?」
そこにタイミング悪く、忘れ物をしたらしいフェリが戻ってくる。フェリは普段その紫の髪をサイドテールにまとめているが、今はその髪を降ろした状態になっていた。
「――ってぇぇぇ!? あわわ……し、失礼しましたー!!」
そうしてフェリは医務室で抱き合っているキースとアクリスを目撃してしまい、慌てて医務室を飛び出していく。
「…………」
「…………」
「…………先輩」
「何だ?」
「どうしましょう、絶対誤解されてしまいましたよ!?」
「誤解も何も、お前が俺の頭を抱いていたのは事実だろう」
「そうですけど、そうじゃないんですって!」
そんな風にアクリスは何故か平然としているキースに抗議しながら、少し前の自分の選択を激しく後悔するのだった。