かつての神童フェリ
実戦訓練で三つ巴戦を行ったその日の放課後。
「先生」
「……珍しいな、フェリ一人か」
フェリがキースの研究室に訪ねてくることは決して珍しいことではない。むしろ出入りしている回数で言えばダントツで多い。
しかし今までは常にセリカとリンナが一緒に訪ねて来ている。フェリが一人で訪ねてくるというのは、実のところ初めての出来事だった。
フェリは扉を閉めると、いつも通りソファの定位置に座る。
そうしてフェリは静かに座ったまま、実験のために手を動かしているキースをじっと見ていた。
「……どうした、深刻そうな顔をして」
「え……先生、分かるの?」
「馬鹿にしてるのか、お前は」
本人は平静を装っているつもりだったようだが、傍からみればフェリが何かに悩んでいることは明らかだった。
普段のフェリはのんびりとした口調と明るい笑顔で周囲に元気を振りまくムードメーカーである。少し抜けたところがあり、口が滑りやすいなど迂闊な面も見せるが、そうした部分もクラスメイトからは愛されていた。
しかしそんなフェリが、今は思いつめた表情で伏し目がちにしている。それはまるで泣くのを我慢しているような雰囲気だった。
「俺に言いたいことがあるなら言え。授業の文句でも何でも聞いてやる」
「べ、別に先生に文句があるわけじゃ……ただ、最近先生のおかげで少し自信がついてきてたけど、やっぱり私はダメだなって、そう思って……」
「……どうしてそう思う? お前は今日の模擬戦にも勝利しているだろう」
「あれはエリステラの作戦指揮が完璧だっただけ。あれだったら、別に私一人いなくたって問題なくチームは勝ってたよ」
「ほう……それが分かるようになっただけでも、お前は確実に成長していると俺は思うがな」
フェリのそれは戦いの勝因を正確に認識していなければ出てこない言葉だった。キースが着任したばかりの頃のフェリにそれが出来たかといえば、おそらく出来なかったはずである。
「成長はしてる……でもそれは、みんなも同じだから……だから結局、私はいつまで経ってもクラスで一番ダメな子のままなんだなぁって」
「誰かがそう言ったのか?」
「ううん。でも先生の教え通りに自分の強みを考えて、相手の弱みを探してってしてたら、分かっちゃうよ。私がみんなと比べて、どれだけ弱いのかなんて」
フェリが成長していることは間違いない。ただし成長したことで、今まで見えなかった自分の問題点も見えるようになってしまったと、これはそういう話だった。
「…………」
「あはは……やっぱり先生は気休めなんて言わないよね。エリステラもさ、私たちは乱戦に持ち込まれたら耐えられないからって今日の模擬戦であんな作戦を立てたんだけど、それって結局私が一番最初に崩されるって話でさ……私が足を引っ張ってるから、選択肢がどんどん無くなっていったんだよね」
キースは真剣に悩んでいるフェリと向き合うために、一旦実験の手を止めてフェリの正面に座る。
「確かにお前の言うことは正しい。実際俺にしても、どうしてお前がこの王立騎士学校に合格できたのか、不思議に思って調べたことがある」
「ちょ、それはいくらなんでも酷くない?」
「話は最後まで聞け。まず王立は騎士学校の中でも最難関だ。当然入試の合格基準だってどこよりも厳しくなっている。たとえば四大属性のいずれかで、実戦レベルの効果の魔法が扱えることなんかは極めて配点が高い重要項目になっている。だがフェリ、お前の四大属性魔法に関して言えば、その基準には明らかに達していない」
「……えっと? つまり、私の入試の結果には間違いがあったってこと?」
「違う。剣術はダメ、四大属性もダメ。それでもお前が合格出来たのは、他の部分で優れたパフォーマンスを見せたからに他ならない」
「え、でもそんなの私記憶にないけど……」
「入試の中には学校側が測定しただけの項目があるのはお前も知っているだろう。……ところでフェリ、お前は地元の村では神童と呼ばれていたらしいな」
「な、なんでそれを先生が知ってるの!? あの、それ本当に恥ずかしい話なんだけど……知らなかったの、私も村の人たちも。世の中には私と同世代で、こんなに凄い人たちがたくさんいるなんて」
「別に思い上がりを咎めているわけではない。むしろお前がそう呼ばれるに至る、きっかけとなった出来事の方が気になっただけだ。お前、鉱山の落盤事故で死にかけた十数人もの村人を、治癒魔法を一晩中使って救ったらしいな」
それはフェリの地元の村では伝説として語り継がれている出来事だった。山間部に位置するその村の鉱山で起きた落盤事故。何とか救出され運び出された炭鉱夫たちは、しかしもう何日も持たないという瀕死の状態だった。
そんな彼らを、幼少から治癒魔法が扱えたフェリが救ったのである。
「あれは、たまたま私が村で唯一治癒魔法を使えたというだけの話で……」
「言っておくが、普通の人間は一晩中ぶっ続けで治癒魔法を使い続けるような芸当は出来ない。せいぜい二時間持てばいい方だろう。では何故お前にはそれが出来た? その答えが、お前の並々ならぬ魔力容量だ」
「魔力容量……」
「授業でも話したが、魔力容量は体内に溜められる魔力の総量だ。お前は一度に扱える魔力量こそ少ないが、魔力容量に関しては学内でもトップに位置している。それは一般的に魔力容量が多いとされる二属性術士のエリステラを、はるかに上回る数値だ」
魔力をどれだけ体内に溜められるかは個人の資質に依存している。もちろん基礎鍛錬で伸ばすことも可能だが、爆発的に伸びる機会というのは滅多にない。
あるとすればエリステラのように扱える属性が増えたときくらいだが、当然ながらフェリは水属性一つしか扱えなかった。
「お前は世界中の術士たちが、喉から手が出るほどに渇望する能力を、最初から持っているというわけだ」
「え……でも、だったら何で私はこんなに弱いの?」
「言っただろう、一度に扱える魔力量が少ないとな」
魔力容量がどれほど多くとも、それを使い切ることが出来ないのであれば、それはあまり意味を持たないという話だった。
「いずれお前がその壁にぶつかるだろうとは思っていたが、想像よりもずっと早かったな」
「もしかして先生、分かってて教えてくれなかったの?」
「お前にはまず騎士学校の生徒として最低限戦えるだけの基礎を学んでもらう必要があったからな。あれもこれもと器用に出来るタイプでもないだろうし、優先順位の問題があったというだけだ」
キースはそんな風に言いつつ、どこか嬉しそうににやりと笑う。
そんなキースの表情を見慣れているフェリは、嫌な予感に眉を顰めた。
「少し荒療治にはなるが、フェリの魔力容量ならおそらく問題も起きないだろう」
「えっ、ちょっと先生、私に何をさせる気なの!?」
「フェリ、お前は今から特別指導だ。何、大丈夫だお前なら……おそらく」
「何でこんなときだけいつもみたいに自信満々じゃないのー!」
口ではそんな風に嫌がる様子を見せたフェリだが、そもそも自分からキースの研究室を訪ねた時点である程度の覚悟は決めていたようである。
それは仲間の足手まといになりたくないという、ただその一心から来る何よりも純粋な覚悟に違いなかった。