夢想家と現実主義者
ルカとの模擬戦の翌日、キースの研究室にはアクリスの姿があった。
「お茶を淹れますけど、先輩も飲みますか?」
「ああ頼む……というかアクリス、そもそもここは俺の部屋なんだがな」
「ふふ、別にいいじゃないですか」
キースの言葉にもアクリスは遠慮する様子を見せず、まるで自分の部屋であるかのようにキースの私物であるティーポットや常備している茶葉を使い、手際よくお茶を淹れる。
そうしてキースと二人分のお茶を淹れたアクリスはさっそく一口飲むと、その渋みに顔をしかめた。
「うー、またこんな安物の茶葉を買ってるんだから……先輩、お金あるんだからもっと良い茶葉買いませんか?」
「……本当に遠慮のない奴だな、お前は」
呆れたような口調でキースはそう言いながら小さく笑う。
そんなキースを見たアクリスは、どこか嬉しそうな表情でキースに言う。
「先輩、最近楽しそうに笑いますよね」
「そうか? 自分では特に変わりないつもりだが」
実際キースはそこまで分かりやすく上機嫌になったりしているわけではなかった。ただキースのことを昔からよく知るアクリスには、キースが今の生活を楽しんでいることが充分に感じ取れるのである。
キースがこんな風に楽しそうにするときというのは、大抵が自身の予想を上回る結果を見せられたときだった。
「そういえば昨日の放課後、三年C組のルカさんに模擬戦の指導を行ったそうですが……そんなに凄かったのですか?」
「ああ……たぶんアクリスだったら三秒持たないだろうな」
「いや、私戦闘要員ではないので」
そうは言うものの、アクリスは王立騎士学校を卒業しているエリートであり、一応は騎士になる資格も持っていたりする。
ただ生まれつきあまり体が強くなく、前線での長期間に渡る活動には耐えられないという判断から、後方での任務に当たることを自ら選んだ経緯があった。
騎士になることこそが名誉だとする風潮が強い中、アクリスがその選択をすることには大きな勇気が必要だった。そんなアクリスの背中を押したのが、キースやアラン、セレーネといった偉大な先輩たちなのである。
「要するに卒業の水準を満たしている程度のレベルでは、全く相手にならんということだ。となれば当然、学内大会でルカのいる三年C組を倒すことは、うちのクラスの生徒たちにとっては大きな試練となるだろうな」
「……それなのに先輩は楽しそうなんですね」
それは言ってしまえば自分が担任しているクラスの危機であるはずなのだが、不思議とキースはそのことに危機感を覚えてはいなかった。
むしろ望むところだと言わんばかりの様子で、現在の状況を楽しんでいる節さえある。
「俺が見た限り、ルカは世界というものをシビアな目で見ている現実主義者だ。だからこそ勝てないと悟れば素直に負けを認め、その現実を受け入れることが出来る。その柔軟さと不屈の精神で一つずつ確実に現実を塗り替えてきたのだろう」
「ええ、私もルカさんとは何回か話したことがありますが、とても地に足のついた考え方をしている人だと思いました」
ルカが父の汚名を張らすのではなく、家の名誉を回復させることを目標に掲げていることからも、そうしたルカの内面はうかがい知れた。
――自分に何が出来て、何が出来ないのか。
ルカには特別な才能がなかったからこそ、それを一つ一つ努力を重ねることで地道に検証してきたのである。
そんなルカにとって幸運だったのは、案外努力で解決できることは多かったという現実だ。もちろん彼女のそれは並大抵の努力ではなかったのだが。
「一方で、うちのクラスには一人とんでもない夢想家がいる。しかも最近はそんな夢想家の影響でか、他の生徒たちにも大層な夢を掲げる者が出てきたりもしている」
キースの言う夢想家とはもちろんエリステラのことである。
彼女は誰も傷ついて欲しくないと願い、その叶うかどうか分からない夢のために、前に進んでいるのかさえ分からない努力を積み重ねることが出来る人間だった。
そんなどこか歪んだ彼女のことを、キースは親友であるアランに重ねていた。
アランの最終目標は魔物の根絶である。それは人類の完全なる勝利であり、かつて人類の生存圏であった領地を取り返すだけではなく、未知の領域である『無明の荒野』さえもその手中に抑えるということだった。
もちろんそんなことは不可能だと、誰もが鼻で笑うような夢物語である。
「別に俺は誰がどんな主義主張を持っていようが構わない。そいつがどれほどの能力を持ち、どんなことを成し遂げられるのか。俺の興味は最初からそこだけだ。まあ実際アランやエリステラにその夢物語を叶えるだけの力があるとは現状思わないが、それでも叶えようとする過程で充分に大きなことを成し遂げていくのであれば、それは価値のあることだろう」
そんな風に全てとは言わずとも、夢が現実を塗り替えていくことは、充分に考えられることだった。
そうであるならば、夢想家が現実主義者を打ち倒すことだって、きっと起こり得ることに違いない。
「キース先輩って自分は現実主義者なのに、不思議と昔から夢想家の人に肩入れしますよね」
「とはいっても、俺の想像する現実を超えてくれそうな人間だけだがな」
「くすっ、そこはやっぱり現実主義者なんですね」
そんなキースのぶっきらぼうな答えを聞いたアクリスは、おかしそうに小さく笑い声を上げるのだった。