ルカの矜持
更新遅れた分ちょっと長めです。
キースが招き入れたルカは何も言わなかったが、人払いを望んでいることは明らかだったため、キースはフェリたち三人に寮に帰るように促す。
フェリたちもルカのただならぬ雰囲気を感じ取り、邪魔をしないように急いでキースの研究室を後にした。
「……それで、俺に何か用か?」
「先生は先日の合同授業で、騎士の死は名誉ではない、といった趣旨の発言をしたとのことですが、それは事実ですか?」
ルカはあくまでも落ち着いた雰囲気を装っているが、その怒りを隠しきれてはいなかった。それは最初からこの怒りを隠すつもりなどないというルカなりの主張でもある。
「ああ、事実だ」
騎士を一人育てるのにも時間とコストがかかる。戦線の現状維持のためにひたすら消耗していては、いずれ人類は魔物の物量に飲み込まれて滅ぶのは間違いない。そうした意味で言えば、騎士が死ぬことは人類が長期的に戦力を蓄えることの妨げになる。
キースの発言の真意はそういったものだったが、この場でそれを言うことはしなかった。仮に言ったとしても、それでルカに何か影響があるわけでもない。詭弁と一蹴され、余計にルカの怒りを増すだけに違いないのだから。
すでに敵意を向けられている時点で弁解は無意味だった。その弁解すら悪しく思われるだけである。
「……その発言、撤回していただくわけにはいきませんか?」
「無理だ、と言ったらどうする?」
キースはそう言ってにやりと笑う。まるで挑発するような態度だが、ルカはそれを理解した上であえて挑発に乗るように口を開いた。
「であれば、力ずくで撤回していただきます」
あくまでも冷静を装うような静かな言葉だったが、そこにはルカの怒りがにじみ出ていた。
一体ルカが何をそこまで怒っているのか。実際のところキースはそれに心当たりがある。
「……まあいい。模擬訓練場を借りられるよう申請してくるから、そこで相手をしてやろう。お前が勝てば何でもお前の言う通りにしてやる……これで満足か?」
「その言葉に、嘘がないのであれば」
「決まりだな」
不敵な態度のキースに、ルカは心の中で若干の警戒を覚えるものの、今さら引くことが出来るはずもない。そうしてルカは一旦、準備のためにキースの研究室を立ち去った。
「……それは挑発のつもりですか?」
普段通りの服装で模擬訓練場に現れたキースを見たルカは静かにそう言った。
模擬訓練場では専用の訓練着を着ることで、衣服の損傷を防ぐことが出来るというのは騎士学校で最初に教わる基本事項である。
しかしキースは訓練着を着ずにルカとの模擬戦を行うつもりだった。それは言い換えればルカの攻撃を受けるつもりはないということであり、当然ルカにとっては侮辱でしかない。
着任当初にエリステラにも同じようなことを言われたキースは思わず苦笑する。
「俺のことは気にするな。それよりお前こそ、先月まで騎士だった俺に勝算はあるのか?」
「……騎士だから学生より強いということにはならないでしょう」
「そうだな」
実際ルカは二年生の時点で卒業生の騎士と模擬戦を行っており、引き分けこそしたものの終始優勢に戦いを進めた経験がある。
三年生になった今は当時よりもさらに実力が向上しており、並みの騎士程度であれば圧倒出来るというのは決して思い上がりではなく純然たる事実だった。
「さて、それじゃあ始めようか」
キースがそう言うと、ルカはさっそく剣を構えて魔法を発動する。
「――ブレイブハート」
ルカのブレイブハートはオリジナルの身体強化魔法であり、精神強化や五感強化も兼ね備えた総合的な強化魔法だった。
キースもそれを見るのは初めてだったが、魔力の解放から術式発動までの流れに非の付け所はない。
キースは普段持ち歩いていない剣を今回は持ち込んでいたので、それを構えて応戦の意思を示す。ルカは望むところとばかりに神速の踏み込みで、一瞬にして間合いを詰めた。
「はっ!」
「ほう……確かに学生のレベルではないな」
首を狙ったルカの必殺の一撃を、キースは剣で受ける。ルカは止められたことに驚きつつも、動揺することなくそのまま高速の連撃を叩きつける。
しかしキースはその全てを完璧に捌き切り、一瞬の隙をついてルカに反撃を行う。
「ちっ!」
ルカは素早い反応と見事な剣捌きでキースの反撃をいなし、一旦後ろに飛びのいて間合いを取る。
そんな一瞬のやりとりの間で、ルカはキースの動きに大きな違和感を覚えていた。
(……私の動きが読まれている?)
キースの防御はルカの攻撃に反応しているというよりは、ルカが剣を振ろうとした場所にあらかじめ剣が置かれているような感覚があった。先読みというには精確過ぎるが、ルカの癖を見抜かれたにしてはいくら何でも早すぎる。
それにルカの剣術にはそうした癖のようなものはそもそも存在していない。それは途方もない努力に裏打ちされた技術であり、ルカにとっては絶対の自信を持っているものだった。
だからこそルカはその違和感をねじ伏せるべく、再度キースに攻撃を仕掛ける。
――動きを読まれているのであれば、その上でもなお捌き切れない精度の攻撃を叩き込めばいい。
不屈の闘志を胸に、ルカは再度神速の踏み込みでキースとの間合いを詰めようとする。
(ほう、構わずまっすぐ向かってくるのか……全くもって厄介だな)
実際のところキースはあまり剣術が得意な方ではなかった。元々平民であるキースは、剣に触れたのが貴族出身の生徒たちと比べるとかなり遅い。
もちろんキースは王立騎士学校の主席であったため剣術の成績自体も優秀ではあったが、剣術は年月の積み重ねによって磨かれる側面もあり、他の分野の突出した成績に比べるとキースの剣術は常識的な範囲に留まっている。
故にそこに関して絶対の自信を持つルカと長時間打ち合えば、いずれキースは押し負けることが予想出来た。
現状は魔力の流れを見ることで動きを先読み出来ているが、動きが分かっていても剣術で対応出来なければ意味がない。それにキースは、生徒に剣を弾き飛ばされるような無様を晒すつもりは毛頭なかった。
そもそもキースは剣を持たない方が圧倒的に強い。それでも今回剣を持ち込んだのは、噂で語られるルカの実力を自らの身で確かめるためであった。
「せいっ!」
ルカの打ち込みを、今度は後ろに下がりながら回避するキース。
一見すればルカが一方的に押し込んでいる状態――しかし、次の瞬間。
その領域に足を踏み入れたルカの四肢を、魔法の鎖が拘束する。それはバインドと呼ばれる設置型の魔法であり、魔物の足止めなどにも使われるものだった。
キースのバインドは上位ランクの大型の魔物の動きさえ長時間封じることが出来るものであり、さすがのルカとはいえど身動き一つ取ることは出来なくなる。
まさか剣で戦いながら魔法を構築するようなことが可能だとは思わず、ルカは完全に虚をつかれることとなった。
「なっ、これは…………くっ……私の、負けです」
悔しそうに顔を歪めながらも、潔く負けを認めるルカ。
実際この状態で追撃を仕掛けられればルカに為す術はない。優秀であるからこそ、状況の判断も正確で早かった。
「うちの生徒だと卑怯だ何だと喚くものだが、随分と素直に負けを認めるんだな」
「……それは貴方の教育がなっていないだけです」
「ははっ、確かにな」
拘束された状態のルカは、せめてもの反撃とばかりにそんな皮肉を言った。
「質問です……何故私の動きが読めるのですか?」
「…………まあお前になら教えても構わんか。俺は魔力の流れを見ている」
「魔力の流れ……?」
魔力と身体は常に密接な関係があり、身体強化魔法を使わずとも身体は魔力によって保護されており、同時に動作の補助なども行われる。つまり扱える魔力量が多い人間はそれだけで高い運動能力を得ることが出来るということであるが、それは身体を動かす際に魔力がさざ波のように小さく動きを見せるということでもある。
とはいえ普通の人間にはそんな魔力の小さな変化を感じ取ることは不可能だった。しかしキースは幼少の頃のある体験により、そんな稀有な能力を有していた。
「そんなことは不可能なはず……」
「ルカ・リベット、言ってしまえばその思い込みがお前の敗因だ。激しい剣戟の中では魔法は使えない、という部分もそうだが、何よりもお前は俺のことを最初から舐めていただろう?」
「…………」
無言の肯定。
実際ルカはキースのことを臆病風に吹かれて前線から逃げてきた騎士だと思っていた。だからこそそんな人間が騎士の名誉を穢すような発言をすることが許せなかったのだ。
そして――そんなキースに自分が負けるはずはないのだ、と。
「自分では冷静なつもりだったのかも知れんが、怒りに我を忘れて戦いに最善の状態で臨めなかった時点でお前の負けは決まっていた、ということだ」
ルカとしてもそれは明確な反省点である。実際ルカは現在に至るまで、自身が弱者であることを自覚した上で、最善と思われる努力を積み重ねたことで強くなった人間だった。
驕っていたつもりはない。しかし現実として、今こうしてキースに敗北を喫したのはそうした侮りが理由なのは間違いない。戦いにおいても周到に準備をして、最善を尽くすのが本来のルカなのだから。
そんな風に実力を出し切らずに負けた事実こそがルカは悔しかった。それはルカ自身が自分の今までの努力を全て無駄にしたということだからである。
「仮にこれが実際の戦場だったとして、騎士の価値は戦果の中にこそ生まれるものだ。だからこそお前ほどの人間が全く実力を出し切れないまま、無様に死ぬことには何の価値もない」
「っ!」
その言葉を聞いた瞬間、ルカはきつくキースを睨みつける。それはルカにとって、父の死を想起させる言葉だった。
ルカは幼い頃にリベット家当主の父ルーベンスを戦場で亡くしている。本来であれば彼の死は名誉とされ、制度としてもリベット家には国から多額の金銭が支払われるはずだった。
しかしルーベンスの死は重大な命令違反と判断ミスによるものとされ、中隊長であった彼は死後に多くの騎士が犠牲になった責任を問われることとなった。
それこそがリベット家没落の原因である。現在のリベット家はルカの兄が当主を務めているが、彼は騎士になることが出来ず、そのため家の名誉の回復を望むことは絶望的だった。
だからこそルカは地に落ちたリベット家の名誉を取り戻すために、死に物狂いで努力を重ねて優秀な騎士になろうとしているのである。
「……貴方は、騎士の死には価値がないと、そう言うのですか?」
「全てがそうだとは言わないがな。最善を尽くし立派に戦果を挙げた上での、避けられなかった死というものも当然あるだろう。そうした死には敬意を払う価値はあるが……そうでなければ無様であっても生き残った方が、価値があると俺は思うがな」
生き残りさえすればまた成長の機会がある。いずれ別の戦場で、大きな戦果を挙げることだってあるかも知れない。
しかし死は単なる消耗であった。人類は騎士を消耗しながらの現状維持ではなく、損害を減らしながらより強大な戦力を蓄えなければならないと、そうキースは考えている。
「お前が騎士の死と名誉にそこまでこだわるのは、父のためか?」
「……そうだとしたら、何か?」
冷たい凍るような怒りをたたえた瞳でルカはキースを見る。もし父を侮辱するようなことがあれば、絶対に許さないという明確な思いがそこには込められていた。
「当時の戦闘記録を俺は見たことがあるが、あれは騎士団上層部の戦略段階での失策であって、お前の父には本来何の責任もない敗北だったな」
「……仮にも騎士であった貴方が、そのような発言をして許されるのですか?」
「さあな。許されなかったから騎士じゃなくなったのかも知れないが」
実際のところ、ルーベンスが責任を取らされた背景は貴族院の思惑によるものである。ルーベンスが所属していた第四騎士団の団長を含む上層部は貴族院の有力者との繋がりが深く、同時に人事を行った貴族院としても彼らの失策の責任を問うことは可能な限り避けたい事案だった。
故にスケープゴートとされて敗戦の責任を押し付けられたのがルーベンスであり、貴族院の作り上げたストーリーに従って事実は捻じ曲げられていた。
その結果、報告書の文面はそうして作り上げられたものになっており、それは戦闘記録とも矛盾しないものだった。
しかし見る人が見れば、キースのようにその戦闘記録から真実を導き出すことは不可能ではない。
キースは父の理解者たる人物かも知れない。ルカはキースの言葉から、そんな淡い期待を抱いた。
しかし――。
「――だが、死んでしまっては何にもならない。無能のせいで殺された上に、抗弁することも出来ず責任を押し付けられる。あの敗戦の責任はお前の父にはなかったが、それでも無能の指示に大人しく従って、自らの最善を為すことが出来なかったという意味では、決して名誉ある戦死だとは言えないだろう」
キースにとっては、ルーベンスもまた戦果を挙げることの出来なかった存在でしかないのである。だからこそ正直に自分の考えを述べる。
それがルカの逆鱗に触れることは理解していたが、自身の流儀を偽ることをキースはしない。
「貴方に……貴方に父の何が分かる! 父は立派な人だった! あの戦闘記録だって、絶望的な戦況でも最後まで諦めずに、一人でも多くの騎士が助かる道を探していた! 父の死は無駄なんかじゃない! 父は多くの騎士を死なせたのではなく、わずかではあっても確実に騎士を救ったんだ!」
未だにバインドの魔法の鎖に拘束されたままのルカは、鎖を乱暴に揺らしながら今にも飛び掛からん勢いでキースに抗議する。
歯を食いしばり、目を真っ赤にして――そうして悔しさに一滴の涙が頬を伝った瞬間。
バリン、という大きな割れるような音と共に、ルカを拘束していたキースのバインドが崩壊する。それはルカ自身の力でキースの魔法を打ち破ったことを意味していた。
そうしてルカはそのままの勢いでキースに向かっていくが、その目前で足を止める。
「どうした、父を侮辱した俺が許せないんじゃないのか?」
「その通りです。しかし私は一度敗北を認めている以上、今この場で何かをすることは許されません。……それに、同じ失敗を二度繰り返すほど、私は愚かでもありませんから」
それは一度怒りに任せて戦い、敗北したことを真摯に受け止める、ルカの矜持だった。そうすることで今まで強くなってきたルカは、その矜持を捻じ曲げてしまえば自分が自分でなくなってしまうように思えた。
だからこそ血が滲みそうなほどに強く剣と拳を握り、悔しさに耐えつつルカは立ち尽くす。
そのまましばらく経ち、ようやくルカは踵を返してその場を立ち去ろうとした。
「……感謝します、先生。貴方のおかげで、私はまだ強くなれます」
怒りと悔しさを糧にこれまで強くなってきたルカは、新たな糧と目標をキースによって見つけることが出来たのだと、そう背中越しに語る。
キースは何も答えることはなく、静かにルカの背中を見送った。
そうして一人になったキースは、誰に語るでもなく呟く。
「全く……噂などというものは、本当に当てにならんものだな。何だあれは、末恐ろしいにもほどがあるだろう」
まさか怒りによって起きた魔力の激しい開放で、バインドの魔法を崩壊させられるとはキースも考えてはいなかった。
教師として着任してから、キースはしばしばそんな風に生徒が自分の予想を超えてくる事態に遭遇している。だがそんな状況をキースはいつも面白がるようにして楽しんでいた。
「ルカ・リベット……か。うちの生徒たちは、厄介なものを目標に据えてしまったかも知れないな」
ルカはキースの予想を超える実力の持ち主だった。そのルカが新たな悔しさを糧に、更なる成長を遂げようとしている。
実際のところキースはルカにああ言ったものの、ルーベンスのことを評価していないわけではなかった。地位的にも決して満足な情報が与えられていない中で、あれ以上の成果を求めるのはそれこそ結果論でしかない。
だが――だからこそあんな戦場で死ぬべき騎士ではなかったとも思うのである。
そんな正直なキースの気持ちを語れば、あるいはルカにとっての慰めになったかも知れない。しかしそんな一時の憐憫には何の価値はないとキースは思っていた。
だからこそ、ルーベンスには生き長らえてもらいたかったという言葉を、ああして露悪的に語ることでルカの気持ちを煽ったのである。
ルカがキースの真意にどこまで気付いたのかは分からないが、最後にキースを「先生」と呼んだことには、嘘偽りのない感謝の気持ちが込められていたことは事実だった。