勝利の鍵
最初の模擬戦はラウルのチームとユミールのチームの対決で始まる。
クラスのナンバー2であるラウルとナンバー3のユミールは家同士に親交があり、小さな頃から良きライバルとして競い合ってきた関係だった。
そうした事情もあって、二人とも普段以上に気合が入った戦いを繰り広げており、一進一退の攻防が続いていた。
「あの二人はお互いの手の内を知り尽くしているとはいえ、チーム戦でも膠着状態になるというのは面白いな」
「キース先生」
キースは熱心に観戦していたエリステラに話しかける。
「エリステラ、体の調子はどうだ?」
「最悪の状態は脱しましたが、それだけです……先生、こうなることを分かっていて黙っていましたね?」
「ああ。そういった予期せぬイレギュラーに自力で対応する経験というのは、案外貴重なものだったりするんだよ」
そんな風にもっともらしいことを言うキースに、エリステラは若干の疑いの目を向けてはいるものの、特に怒ったりといった様子は見られなかった。
どこか割り切ったような雰囲気のエリステラを見て、キースは感心したような表情でにやりと笑う。
「今日のお前たちの対戦相手はケインのチームだ」
「……やはりですか」
「ほう、予想していたのか」
「ええ。私たちのチーム構成だと、突破力のある相手が弱点になりますから。先生はきっと、そういう相手を私たちにぶつけて来るのだろうと思っていました」
ケインは非常に体格の良い男子生徒で、標準的な男子生徒と比べると頭一つ以上背が高い。身体能力もクラスで一番高く、そのパワーとスピードは剣術の戦いにおいても脅威となっていた。
属性魔法による攻撃は不得意だが、自身に身体能力強化の魔法を使うことが出来るため、普段の模擬戦ではその強靭な肉体をさらに強化した状態での突進で戦端を開くのが彼の役割だった。
騎士になれば間違いなく前衛として重宝される人材である。
「そこまで分かっているなら話は早い。言っておくが、充分に勝機はある相手だからな」
「ええ、分かっています」
キースの言葉に淡々と、どこか遠くを見るような雰囲気で返すエリステラ。それは先週までの彼女とは明らかに異なる様子である。
まるで遠い未来を見通すかのような、そんな目を――。
「――不思議なものだな」
「……? 何がですか?」
「そのチョーカーのせいで出来ることが減って、多くの手段を奪われたはずのお前の方が、普段よりもずっと強い意思を持って戦いに挑もうとしているように感じる、ということがだ」
「それは……そうかも知れません。確かに最初の頃はただ普通に生活するだけでも辛くて、上手く出来ない自分に何度も苛立ちを覚えましたけど……ある時、少しだけ分かった気がしたのです」
「分かった?」
「はい。姉の……エレオノーラの気持ちが」
魔物との戦いで片腕を失ったエレオノーラ。彼女はそれでも闘争心を失うことなく、戦線に復帰するために厳しいリハビリを重ねているのだという。
「それが良い事なのかは正直私には分かりません。けれど、出来ないということは、やらないことの理由にはなりませんから……」
「……そうか」
静かに短く返したキースは、きっとそれこそがエリステラという少女の本質なのだろうと思った。
――自分以外の誰も傷つかなければ良い。
その願いがエリステラに叶えられるかどうかはもはや一切関係なく。叶えようという意思だけが彼女を前に進ませる。しかしその身に余る願いは、今のままでは遠からず彼女の身を滅ぼすに違いない。
エリステラのその意思は危ういものではあるが、けれど同時に大きな可能性でもあり得た。
(それを正しく導くのが教師の仕事か。全く、責任重大にもほどがあるな)
そんなことを思いながらも、ふとキースは自分が高揚感を覚えていることに気付くのだった。
そうして模擬戦はエリステラたちのチームとケインのチームの順番になる。
「――エリステラ、それ本当にやるの?」
「あんまりエリステラらしくない気がするよね」
「……私は、賛成」
「僕はみんなに任せるよ」
エリステラがチームに作戦を伝えると、四人は少し驚いた様子を見せる。セリカとフェリは若干疑問の声を上げはしたが、反対するまでには至らなかった。
エリステラの性格からすればそれは意外な提案ではあったが、内容自体は理にかなっていることがその理由である。
「これは確実に勝つために、必要なことです」
そしてそうエリステラがはっきりと言い切ったこともあり、チームの意思はその作戦を実行する方向で統一される。
「何だかちょっと悪いことするみたいで、ワクワクするよね」
「いやフェリ、これは立派な作戦でしょ?」
セリカはフェリの言葉にそう言うが、自身もワクワクとしている様子を隠せてはいなかった。
「……あまり浮足立っていると、相手に悟られる」
「リンナの言う通りです。これはあくまでも普通の作戦として、平常心で遂行しましょう」
そうしているうちにキースの号令がかかり、両チームが配置に着く。そして戦闘開始の合図と同時に――。
「全軍突撃!」
エリステラの声と共に、五人全員が全速力で横一線に並んで駆けた。
それを見たケインは一瞬誰を止めるべきか迷う。そこに飛び込んでくる影――エリステラだ。
「ちっ!」
エリステラの剣を、ケインは力任せに振った剣で弾く。普段であればそれは上手く受け流されるはずだったが、今日のエリステラは万全の状態ではないため、まともに剣と剣がぶつかり合う形になった。
「くっ……」
エリステラは衝撃に小さく声を漏らすと、そのまま反動で大きく後ろに飛びのいた。
その一瞬でまだエリステラの調子が戻っていないことに気付いたケインは、そのままエリステラに追撃を仕掛けようとする。
「ダメだケイン!」
「なっ――」
それがケインを誘う罠であると気付いた仲間がそう叫んだときには、もう遅かった。
「それっ!」
足を止めていたセリカがそれと同時に火の魔法を放つ。それは狙いを定めることすらせず、ひたすらに早さだけを意識したかく乱のためのものだ。
そうしてばら撒くように放たれたセリカの魔法は、ケインのフォローに向かう相手の足を止めることに成功する。
「もらった!」
直後、突出しすぎて孤立したケインの背後に回り込んだエッジが、その急所に確実な一撃を叩き込んだ。エッジのその教科書通りとも言うべき攻撃で、ケインは一瞬で昏倒させられてしまう。
これが正面からの飛び出しであればケインにもまだ対応の余地はあったが、一度サイドを突破された状態からの挟撃となると、さすがにどうすることも出来なかった。
戦闘開始からわずか十秒足らず、あまりにも鮮やかな戦いに観戦している生徒たちからはどよめきが起こる。
しかしそれだけでは終わらず、セリカが魔法で牽制したことで足の止まっている相手にフェリとリンナが同時に襲い掛かる。並みの実力の生徒では二人同時に相手取ることは叶わず、一気に劣勢となる。
それを見た中衛の一人は今からフェリとリンナに対応しても後手に回ると考え、セリカを抑えようと前に出る。残る二人の後衛も魔法をセリカに集中させ、とにかくケインを倒されたことによる人数差を埋めようと考えた。
「あ、やっぱりそう来ちゃう?」
しかしそれは事前にエリステラから警戒するように言われていたシチュエーションであり、セリカは想定通りとばかりに迷うことなく全力で逃げ出した。
反応が早かったため、襲い掛かる魔法が少しかすりはするものの致命的なダメージとはならず、逆にセリカを抑えようと前に出た一人は釣り出された形となった。
それを見逃すエリステラとエッジではなく、二人がかりでこれも確実に倒していく。
これで残るは三人となり、そのうちの一人はフェリとリンナに追いたてられている状態と戦況は完全にエリステラたちの有利に傾いた。
そして後衛の二人は、セリカの魔法を警戒しつつ全速力で駆けてくるエリステラとエッジを抑えるにはどうすればいいのか、難しい判断を迫られる。
その結果苦肉の策として一人が魔法を発動させようとし、もう一人がそれを守る形で前に出た。しかしそれは当然ながら前に出た生徒が集中攻撃を食らう結果となり、セリカの魔法で体勢を崩されたところにエリステラとエッジの追撃を受けて、何も出来ずに倒されてしまう。
そうなってしまえばもはや勝負はついたに等しく、一番後ろで魔法を詠唱していた生徒とフェリとリンナに守勢を強いられていた二人を残した状態で降参の意思を示した。
「エリステラすげぇ! この戦い、一分かかってないって!」
「いや、この戦いでエリステラは特に凄い事はしてないぞ?」
「今のはセリカの高速魔法での足止めが完璧だったから――」
「いやエッジがケインを倒したのが――」
「だからその隙を作ったのはエリステラで――」
観戦していた生徒たちは口々にエリステラたちの華麗な勝利を称え、その勝因を分析しようとするが、その意見は全員バラバラだった。
エリステラたちが行ったのはセオリー通りに局所的な数的有利を作りつつ、相手にはその逆をさせないように妨害を行い、一方的な各個撃破を狙っていくという言ってしまえばそれだけのことだった。
――相手の狙いを潰しつつ、自分たちの狙いだけは通す。
しかしそれを実現するのは容易いことではない。それこそ相手の手の内が最初から分かってでもいなければ奇襲の域を出ないはずだった。
「正直驚いたよ。まさか完全にケインたちの戦術を読み切るとはな」
「別に……それくらいしか今の私には出来ないというだけの話ですから」
キースは勝利の余韻に浸ることすらせずにいたエリステラに声をかけるが、エリステラはあくまでも淡々と答えた。
今出来ないことを削ぎ落して、出来ることの中から最善を探した結果がこの完璧な勝利である。しかしそれは同時に、ある事実をエリステラに明示していた。
「逆に言えば、今までの私にもそれは出来たはずなのです。決して手を抜いていたつもりはありませんが、それでも私は心のどこかで慢心していたのかも知れません……」
苦しみながら最善の手段を探さなくても、他人を圧倒出来るだけの実力がエリステラにはあった。だからこそエリステラは正々堂々と正面から戦うことを良しとしていた。
変に策を弄すると、逆に不利に陥る可能性もある。そもそもの実力で勝るのであれば、何も特別なことはせずとも勝利を手に出来るのだから、と。
「まあエリステラの場合は出来ることが多すぎたせいで、正しい選択をすることが難しくなっていた面もあるだろう。その上敗北や失敗といった経験もほとんどないだろうから、顧みる機会も滅多になかっただろうしな」
「……最初にその機会を私にくれたのは、キース先生です」
「はは、そう睨むなよ」
「別に睨んでなど……ただ今でも少し、あの日のことは悔しいだけです」
「少し、か?」
「少し、です」
エリステラはキースによって敗北を教えられ、今は彼の作ったチョーカーによって自身の強さも奪われている。しかしその結果として、確実に以前よりも自分が強くなったことを自覚出来ていた。
それがキースのおかげであることはエリステラにも分かっていた。しかしそれを素直には認めたくない複雑な気持ちも同時に存在しているのだった。