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異変

 エリステラがキースからチョーカーを受け取った翌日、さっそく異変が発生する。


「――それではこの問題を……エリステラさん、前に出て解いてみてください」

「…………」


 算術の授業を行っているメアリーは、黒板に書かれた数式をエリステラに解くように指示するが、エリステラはぼうっとした様子で返事をしない。


 真面目で勤勉なエリステラが授業中にぼうっとするようなことは今までなかったので、他のクラスメイトも少し驚いたような顔でエリステラの様子を窺っていた。


「エリステラさん?」

「は、はい!」

「どうしましたか、珍しくぼうっとしていたようですが。体調が悪いようなら医務室へいかれた方がいいですよ」

「いえ、大丈夫です……申し訳ありません」


 エリステラはそう言ってぼうっとしていたことを謝罪して立ち上がり、黒板の前に向かって行く。


 黒板に書かれていたのは初歩的な物資の残数計算の問題だった。戦闘が起きた場合とそうでない場合で物資の消費量が異なるため変数が二つある以外は、取り立てて意識する部分も見当たらない程度の難度。


 このレベルの算術であればエリステラは入学前の時点ですでに学習済みであり、特に苦労することなく解ける――はずだった。


(……あれ? どうしてこの程度の問題が解けないの……?)


 解き方は当然知っているはずなのに、今のエリステラはそれを上手く利用することが出来ないでいた。思考が普段通りに行えず、ひたすら遠回りをさせられているような感覚。


 出来るのに、出来ない。そんな強烈な違和感を覚えながら、それでも何とか思考をかみ合わせて答えをひねり出す。


「はい、正解です。しかし少し時間をかけ過ぎですね。エリステラさんであれば即答出来るレベルのつもりだったのですが」

「……すみません」

「いえ、こちらこそちゃんと解けているのに余計なことを言いました。席に戻っていいですよ」


 メアリーにそう言われてエリステラは席に戻ろうとするが、しかしその途中で足をもつれさせて転倒してしまう。


「だ、大丈夫ですか? ……やはり体調が悪いなら、医務室へ行かれた方が」

「お気遣いありがとうございます、メアリー先生……本当に駄目そうならそうしますので、もう少し様子を見させてください」


 メアリーの言葉にそうしっかりと返すエリステラだったが、しかし心の中では激しく動揺していた。


(昨日の晩から、ずっとこんな調子……まるで自分の体が自分のものじゃなくなったみたい)


 エリステラはこのチョーカーを着けてからというもの、普段当たり前に出来ていたことが出来なくなっていた。


 たとえば何か物を掴むだけのことでも、まず距離感を測り、手をその場所に運び、適切なタイミングで掴むように、そう頭で意識しなければ出来ないのである。つまり今転倒してしまったのは、足をどこに運ぶべきかの距離感を測り損ねたことが原因だった。


「どうしたのエリステラ? 何もないところで転ぶなんて、フェリみたいだけど」

「ちょっと、セリカ。私がいつも転んでるみたいに言わないでよ」


 エリステラの真後ろの席に座るセリカが小声でそう言うと、セリカの隣の席のフェリも小声で文句を言った。


「……今は授業中なのでお静かに」


 真面目なエリステラは授業中の私語は厳禁であると考えているので、声をかけてきた二人をそう言ってたしなめる。


 エリステラはもちろんセリカとフェリが心配して声をかけてきたことを理解していたが、今はその気遣いすら苦しく感じていた。


(もしかしてこれが本当の、キース先生の言っていた地獄のような苦しみだというの?)


 ――当たり前に出来ていたことが、突如として出来なくなる。


 それは単に出来ないということよりも、遥かに辛い苦しみに違いなかった。




 ――同時刻。


「――魔力と人体には密接な関係がある。体調を崩せば魔力にも影響が出るし、逆に魔法を使い過ぎるなど魔力のバランスが崩れれば体調にも悪影響を及ぼす。であれば本来自分の体に馴染んでいる魔力とは異なる魔力を、人為的に捻じ曲げてその体に満たした場合、魔法の行使だけでなく体の動作自体に弊害が出るのも何らおかしいことではない、ということだ」


 医務室に顔を出したキースはアクリスにそう語り掛けるように説明する。


 すると机で仕事をしているアクリスは少し困惑したような声で、背中越しに答えた。


「その理屈はもちろん私も理解しているのですが……キース先輩、どうしてその話を私に? というか私今薬品の補充の手配とか、色々書類仕事で忙しいのですが」

「お前もこないだ俺の研究室に押し掛けてきたのだからおあいこだろう。一応共犯者には情報を共有しておこうと思ってな。まあそういうわけでエリステラが医務室に来ることもあるだろうが、特に心配はいらないという話だ。あと原因はチョーカーにあるが、決して外さないようにだけ頼む」

「だからどうして私が共犯者なんですか?」

「だってお前、ああいう奴のこと好きだろう? 不器用でまっすぐな奴は応援したくなると昔言っていたしな」

「いやまあ確かに私もエリステラさんのことは応援してますけど……というかそんな話よく覚えていますね先輩。何ですか私のこと大好きなんですか?」

「あ、そういうのは要らないから」


 からかうような調子で冗談を言ったアクリスに、キースはそっけなくスルーするような冗談を返す。


「……それにしても意外ですね」

「ん、何がだ?」

「先輩がそこまでエリステラさんに入れ込んでいることですよ」

「自分ではそういうつもりはないんだがな……」

「でもそのチョーカーって、エリステラさんのために作ったんですよね?」

「ああ、そうだ」


 実際アクリスの言う通り、キースは他の研究よりも優先的にあのチョーカーの製作に時間を費やしていた。


 理論構築と設計自体は以前に終わらせていたので、製作にはそれほど時間がかからなかったとはいえ、そんな風に誰かのために自分の都合を曲げるといったことを嫌うのがキースという人間である。


 当然ながらアクリスはそれを知っているので、今回のキースの行いを意外に思ったのだった。


「……先輩、この学校に赴任して来てから少し変わりましたよね」

「変わった? まだそんなに時間は経っていないと思うが」

「だったら、長く会っていない間に変わったのかも知れませんね。……何というか先輩、柔らかくなりました」

「柔らかく……何とも言い難い表現だな」

「でもそれ以外にいい言葉が思いつきません。全くもって優しくはなっていないので」

「ははは、それは確かにな」


 アクリスのはっきりとした遠慮のない言葉に、キースは思わず笑ってしまう。


 初めて会った時からキースはアクリスのことを生意気な後輩だと思っていたが、アクリスからすれば年下のくせに生意気だとキースのことを思っていたので、その辺りはお互い様だった。


「……さて、それじゃあ話は終わったし、仕事の邪魔をしても悪いから俺は戻るよ」

「え、怖い、先輩が私に優しいなんて」

「俺も暇じゃないという話だ」

「ああ良かった、優しい先輩はいないんですね……いや全然良くないんですけど」


 そんな風に自分に自分でツッコミを入れるアクリスを残して、キースは医務室を立ち去るのだった。


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