地獄のような苦しみ
「それなら、これをお前にやろう」
そう言ってキースがテーブルに置いたのは金属製のチョーカーだった。といってもデザイン性は皆無であり、その無骨な見た目はチョーカーというよりは首輪といった方が近い。
「……これは?」
「人間が魔力素を魔力に変換する際に、その種類を強制的に変更する道具だ。以前授業でも話したが、人体が魔力素をどの属性に適した魔力に変換出来るかは先天的に決まっていて、だからお前のように複数の属性魔法を扱えるようになるためには、後天的に新たな種類への変換方法を身に付ける必要がある。まあごく稀に適していない種類の魔力で、強引に別属性を魔法を扱う人間もいるが、効率が悪いのであまり効果的ではないな」
現在判明している限りで、魔力には大きく分けて四タイプある。火属性に適したイグニス、風属性に適したアニマ、水属性に適したアクア、土属性に適したソルム。
エリステラは生まれつき風属性を得意としていたが、数年前に水属性の魔法も扱えるようになり、王立騎士学校への入学直前に二属性複合魔法を扱えるようになっていた。
つまりエリステラの場合であれば、先天的にアニマへの変換を行えていたが、後天的にアクアへの変換も行えるようになったということである。
キースは説明を続ける。
「悪い、話が逸れたな。その道具を身に着ければ、体に取り入れた魔力素は強制的にイグニスへと変換されるようになる」
「……つまり私が身に着けた場合、水と風のどちらの魔法も使えなくなるということですか?」
「ああ、そうなる。その上魔力と人体は密接に関係しているから、それを人為的に捻じ曲げれば当然ながら体にも様々な弊害が出るだろう。ちなみにこの道具はお前のような二属性術士以上の人間でなければ、確実に弊害が出るだけで終わると考えられている。無意識下とはいえ、二属性以上の魔力への変換を行える感覚を持っていなければ、無理やり別の属性を体に馴染ませたところで意味がないからだ」
「つまりその道具を使えるのは、クラスでは私だけ、ということですか」
「そうだ」
「……その道具は、先生が作ったのですか?」
「ああ」
エリステラは質問というよりは確認に近いことを尋ねた。
キースはそれに対して事実を答える。どうして一教師のキースがそんな道具を作れるのかと疑いを持たれる可能性はあったが、それはキースにとって些末な問題でしかなかった。
「話を聞く限りは、かなり危険な道具に思えるのですが」
「そうだな。だが、それだけのリスクに見合うリターンも当然ある。イグニスへの変換を体に馴染ませることが出来れば、お前はその瞬間から世界でも稀な三属性術士の一人になれるというわけだ」
三属性術士とは各騎士団にも一人いるかいないかと言われる稀有な存在であり、その全員が間違いなくトップの実力を持っている騎士だった。
「そんな方法、聞いたことがありません。三属性術士になるためには、選ばれた才能を持つ者が、絶え間ない努力を重ねる以外にはないと、そう聞かされています」
「ああ、それも一面的には事実だ。だが山頂へ至るルートが一つしかない山というのも想像しづらいとは思わないか?」
「またそんな詭弁を……」
「信じるかどうかはお前が決める話だ。それにお前がこの道具に耐えきれず途中で屈した場合には、後遺症で魔力のバランスが破壊された結果、今よりも弱くなる可能性すらある」
焦って強くなろうとすることは、それだけ大きな危険が伴う。
キースはそんな風にエリステラに言って、続ける。
「ちなみに俺の見立てでは、お前はこのまま地道に努力を重ねていけば、十年後くらいには三属性術士になれる可能性が高いだろうな」
「十年……」
現在十五歳のエリステラにとって、十年という数字はとても大きな数字に思えた。
しかし騎士で二十五歳といえばまだまだ若手の部類であり、その時点で三属性術士になれるとすれば、それは歴代でもかなり早いスピードである。
もっとも――今のままのエリステラが卒業して騎士になったところで、その歳まで無事に生き残れるとはキースも考えていないのだが。
「さあどうする? 輝かしい未来を棒に振るリスクを背負ってでも、お前は今すぐ強くなりたいか?」
「私は…………」
エリステラのその選択は、実際のところキースにとってはどちらでもいいことだった。
エリステラが焦ることの愚かさを認識して、地道に強くなることを選ぶのであれば、それはそれで生き残る術をいくらでも叩き込むつもりだった。
何にせよ決断するまでにはまだニ、三はエリステラから質問があるだろう。そんな風にキースは考えていた。
しかし――。
「――私はその道具を使います」
「……そうか」
キースは一瞬エリステラの正気を疑う言葉を発しそうになったが、それを押しとどめてあくまでも淡々とそう言葉を返す。
しかしその内心は、信じられないものを見たと言わんばかりに、大きな衝撃に揺れていた。
(エリステラ……お前は、歪んでいるよ)
この魔物との戦いが日々繰り広げられている世界で、誰も傷つかなければいいと、そんな夢物語のような願いを本気で叶えようとしているのが、エリステラという少女だった。
叶うはずのない絵空事。だからきっとそれは、誰にも理解されることはない。
今までのエリステラは、ただ他人が傷つくことを怯えているだけの少女だった。だからこそ安易に自己犠牲に頼ろうとするのだと、そうキースは思っていた。
けれど今この瞬間、キースにとってのエリステラという少女の評価は、全く別のものへと変化していく。
誰にも理解されずとも、目的のために決して足を止めない、その狂気じみた強い意思。
(……全く、これじゃあ完全に俺たちと同類じゃないか)
それはキースにとって、最上級の褒め言葉である。
そんなことをキースが考えているうちに、エリステラはテーブルに置かれたチョーカーを手に取ると、そのまま自分の首に装着した。
そうして、次の瞬間――。
「――くっ、うぅああああぁぁぁぁぁっ!」
風のアニマと水のアクアの魔力が満ちているエリステラの体に、突如侵入してきた異物。それに体中が異常を認識し、瞬時に拒絶を示す。
しかし止まることなくエリステラの体に流れ込む火の魔力であるイグニスは、その身を焼くような熱を発し、エリステラを苦しませる。
「ん、あっ、ああああぁぁ!」
体は焼けるように熱くなり、喉が焼けただれたような錯覚に陥った。
そうしてエリステラは本能的に、その喉を両手で掻きむしろうとする。
「おっと」
その反応を予測していたキースは、瞬時にエリステラの両手首をつかみ、ソファに押し付ける。
なおも暴れるエリステラの体を、キースは全身を使って抑え込んだ。
「エリステラ、まずは息を全て吐き切るんだ。そうだ、吐くことに意識を向けて浅くなった呼吸を整えろ」
「うっ……はぁ……はぁ……んぅっ!」
耳元で囁くキースの言葉に従って、エリステラは呼吸を整えようとする。時折苦しそうにくぐもった声を上げながらも、そうして少しずつ落ち着きを取り戻していく
「はぁ……はぁ……先、生……もう、大丈夫、です……」
「そうか」
エリステラの言葉を聞き、一応は大丈夫そうだと判断したキースはエリステラの手首から手を離し、抑え込むようにしていた体も開放する。
「しばらくは発熱と倦怠感が続くだろうから生活には気をつけることだな。特に集中力も低下しているから事故や怪我には要注意だ」
「分かり、ました……それにしても、先生……力、強いんですね」
「は? あのなぁ……いくらクビになったとはいえ、つい先日まで騎士だった俺が、学生に力で劣るわけないだろう」
「あ、そういう意味では……いえ、何でもありません。失言でした、忘れてください……」
エリステラは自分の体を抑え込むキースの力強さへの驚きを、ぼうっとする頭のせいでそのまま口に出してしまったことを反省する。
そのまましばらくして、まだ顔は熱気で上気しているが、ようやく普段通りの落ち着きを取り戻したエリステラはキースに質問を投げかける。
「あの、先生。私がこの道具を外せるのは、いつ頃になりますか?」
「そういう質問は着ける前にされると思っていたんだがな……正直なところ分からない。一応完成品ではあるんだが、使用例がまだないしそもそも理論的にも個人差が大きいものなんだ。もしかすれば数日かも知れないし、一か月以上かかる可能性もある」
「一か月……」
「何にせよ絶対に途中で外すことだけはするなよ。確実にお前の体に悪影響が出るからな」
一か月となれば、最悪学内大会にはこのまま臨むことになる。
そうなれば自分の身勝手によってクラスに迷惑をかけてしまうと、そんなことをエリステラは思ったが、すぐにそれは今さらな話だと思い直す。
――それが嫌なら、学内大会までに決着をつければいいだけの話だ。
「分かりました。確かに地獄のような苦しみを味わいましたから、それを無駄にするようなことはしません」
「そうか……まあ成果を見せてくれれば俺としても言うことはないがな」
キースは普段通り、エリステラに成果を見せるように強調する。
しかしキースが重要な事実をあえて隠していることに、エリステラは気付いていない。
――エリステラの地獄のような苦しみは、これから訪れるのであった。