願いの叶え方
放課後、キースの研究室にエリステラが訪ねてくる。
「キース先生、エリステラです」
「来たか。入れ」
やはりいつも通りの淡々とした言葉でキースはエリステラを招き入れる。
ソファに座ったエリステラは特に緊張した様子も見せず、普段と変わらぬ強い意思を感じさせる瞳をキースに向けていた。
「それで先生、話とは?」
「実戦訓練の授業を見ていて感じた、お前の弱点についての話だ」
「弱点……」
その言葉に、エリステラの表情が少しだけ曇る。それはエリステラ自身も自覚のあることだからであった。
「お前は他の生徒と比べれば頭一つ抜けた実力がある。だからこそそれが目立つわけだが……エリステラ、お前は一体何をそんなに怯えているんだ?」
「わ、私は怯えてなどいません! 勇猛果敢なるグラントリスを侮辱するのですか!?」
「俺にそんな意図はないが……とはいえ、グラントリス家が勇猛果敢で知られていることと、お前個人の話には何の関係もないだろう」
「私だってグラントリス家の一員です!」
「であれば、今日の模擬戦の指揮は何だ? 相手の狙いを挫いたまでは完璧だ。しかしそこで一気に畳みかければいいものを、決断に踏み切れずダラダラと戦闘が長引き、状況を立て直した相手に逆転の目を作られた」
「それは……」
「結果的に勝利こそしたものの、あれはお前個人の高い実力に依存した勝利だった。確かにお前は自分一人であれば勇猛果敢なのかも知れない。だが指揮を執るとなると、途端に臆病になって決断が出来なくなる……なあエリステラ、お前は恐れているんだろう? ――自分のせいで、誰かが傷つくことを」
そんな風に、キースはエリステラの心の中に巣食う恐怖心を指摘した。
キースは最初の模擬戦でエリステラを魔法で捕縛したときに、彼女が「足手まといになるくらいなら死を選ぶ」と言ったことが強く印象に残っていた。
そう本心から言い切れるエリステラは、自分が傷つくことを恐れないという意味では確かに勇猛果敢な人間と言えたのかも知れない。
しかし死を選ぶという選択はそもそもが後ろ向きなものであり、それは死を選んででも避けたいと恐れることが同時に存在しているということを暗示していた。
「お前がそれを恐れるのは、姉の大怪我が原因か?」
「ど、どうしてそれを……」
「お前の様子から、おおかた家で何かあったのだろうと当たりを付けて被害報告書を調べただけだ」
「…………」
「言いたいことがあるならここで吐き出してしまえ。それで楽になることだってあるだろう」
キースのその言葉を聞いたエリステラは幾ばくか逡巡する。
そうして一旦心を落ち着かせてから、意を決したようにまっすぐにキースを見て口を開いた。
「私にとって姉……次女のエレオノーラは特別な存在です。末っ子の私を誰よりも可愛がってくれて、だから小さいの頃の私も家ではいつもエレオノーラの傍をついて回っていたそうです。そんなエレオノーラは優しく、気高く、美しく、まさに私の追い求める理想でもありました。だからこそ――入学前に、片腕を失ったエレオノーラを見たときは言葉を失いました」
「…………」
キースが無言で続きを促すのを確認したエリステラは続ける。
「もちろん怪我自体も衝撃的でした。ただそれ以上に私は、変わり果ててしまったエレオノーラにこそ、大きな衝撃を受けたのです。エレオノーラの瞳には魔物に対する憎悪と闘争心だけが宿っていて、もはや優しかった姉の面影はどこにもありませんでした。……それ自体は、仕方のないことなのだと頭では理解しています。これが魔物との戦争なのだと。だからいずれは私も、エレオノーラのようになってしまうことは覚悟しています……けれど、私のせいで誰かが傷つくことまでは、私にはどうしても覚悟出来ないのです」
エリステラが指揮において過剰に失敗を恐れるのは、自分のせいで他人に取り返しのつかない怪我を負わせたり、死者を出したりすることを恐れているからであった。
父であるエジムンドは、娘がそうした大怪我を負ったことをどう考えただろうか。おそらく個人としては悲しみつつも、騎士団長としてはその感情を切り離して現在も戦場で戦っているのだろう。
しかしエリステラは、自分は父のようにはおそらくなれないであろう、と。そう正直な心を吐露する。それは少なからずキースを信頼してのことであった。
「なるほど。だからこそお前は最近第一騎士団の敗戦記録や被害を出した記録ばかりを読み漁っているわけだな。一体誰が何を間違えた結果そうなったのか、それを知りたくて」
「そうです。しかし、どの記録を見ても間違いらしい部分は見つかりませんでした。もちろん私の知識不足もあるのでしょうが、それでも団長である父も各部隊の隊長も、明らかな間違いを犯したようには思えません」
「だろうな。それほどまでにお前の父は優秀な人物だ。それこそ指揮官としてなら、間違いなく人類でもトップだろう。だからこそおそらく今考えられる中では最も正しい戦略を取っているはずだ」
「であればどうして――」
――どうしてエレオノーラは、あんな目にあってしまったのか。
――どうすればエレオノーラは、あのように傷つかずにすんだのか。
誰も何も間違ってはいなかったのにと、そうエリステラの瞳は訴えかける。
「それだけ魔物が強く、人間が弱いという話だ。弱者である人間は常に正解を求められる。しかし正解を続けたからといって、被害が出ないわけでもない。戦えば戦うだけ疲弊し、消耗する。それはどうすることも出来ない現実だ」
それが今この国全体を覆う絶望的な現実だった。騎士団が大きな敗北を喫する度に、少しずつ生存圏を奪われ続ける。
弱者である人類と、強者である魔物。正解を選び続けても人は死ぬ。正しければ救われるなんて、そんなことはありはしない。
「……もしキース先生が第一騎士団の団長であれば、数か月前の敗戦を避けることは出来ましたか?」
エリステラは静かにそう尋ねる。数か月前の敗戦とは、第一騎士団が魔物の大攻勢に後退を余儀なくされた一戦であり、エレオノーラが左腕を失ったのもこの戦いであった。
エリステラの言葉にはどこか、希望にすがるような響きが含まれている。
しかしキースはそれを否定するように言った。
「残念ながら無理だな。俺に指揮官の才はないし、戦技教科の知識も騎士学校の三年間で習うものに毛が生えた程度だ」
だからどうあってもエレオノーラが救われることはなかったのだと、そう言外にキースはほのめかす。
とはいえ実際にキースがその戦場にいれば、エレオノーラを救うこと自体は可能だったと思われる。しかしそれは一人の騎士として、局所的に魔物の脅威を排除することが可能というだけであり、戦況を大きく変化させるほどの力があるというわけでもない。
キースが仮にその場にいてエレオノーラを救うことが出来たとしても、別の場所で起きる同様の悲劇を避けることは叶わない。
それが一人で戦うキースの限界であり、その程度の活躍では物足りないとアランが考える最たる理由でもあった。
エリステラが内心で最強と認めるキースでさえ不可能であると聞かされて、それでもなおエリステラは下を向くことなく、まっすぐに射抜くような目でキースを見る。
「先生……誰も傷ついて欲しくないと、そう願うことは、いけないことですか?」
「……甘い考えではあるだろうな。だがそれがお前の願いであるなら、俺はそれを否定することはしない」
甘い考えだと断じながらも、エリステラの考え方を尊重するキース。それは常識にとらわれず、常に新しい発見を追い求める賢者であるからこその考え方だと言えた。
キースは続ける。
「だがなエリステラ、願いというのはただ願っているだけでは叶わない。意思を持って行動した先でこそ叶いうるものだ。臆病に縮こまっていては、叶うものも叶わないだろう」
「では私が願いを叶えるためには、一体どうすれば良いのですか?」
「失敗を恐れず一歩を踏み出せ。一歩を踏み出すのは難しいだろうが、そうしなければ何も変わらない。それに別に模擬戦で失敗したところで命までは取られない。今のうちに数え切れないほどの失敗を重ねろ。何にせよ最後に勝てばその失敗はお前の成功に変わるのだから、恐れることなんて何もないだろう」
研究において仮説を立てては実験失敗を繰り返し、無数の仮説を破棄してきた賢者のキースにとって、それは当たり前の考え方である。
しかし常に周囲から期待され、失敗が許されない環境で育ってきたエリステラにとっては、今まで触れたことのない斬新な考え方でもあった。
「ああ、そういえばエリステラ。お前は前に医務室で、強くなりたいと言っていたよな」
「え、あ、はい。確かに言いましたが」
感心していたところに、急に別の話題を振られたことで、若干の戸惑いを見せるエリステラ。
しかしエリステラのそんな様子を気にすることもなく、キースはそのまま話を続ける。
「仮に、強くなる方法があるとしたらどうする? ただし、地獄のような苦しみを味わうことになるが」
そう言ったキースは、にやりと笑う。そんな邪悪なキースの笑みを見ながらも、エリステラは臆することなく、言った。
「もちろん、その方法を実践します」
誇り高きエリステラはどこまでもまっすぐに、その強い意思を表明して見せるのだった。