クリングゾール砦
王都の南西に位置するマグノリア領の西側にはクリングゾール砦という戦略拠点がある。
マグノリア領は西側が『無明の荒野』と接しており、そこから侵略してくる魔物との戦いは常に一進一退の状況にあった。クリングゾール砦はそんな魔物との戦いで必要となる食料などの物資を蓄え、前線に送り届けるなどの兵站全般を担っている。
クリングゾール砦から東はマグノリア領の都市群まで大きな戦略拠点はなく、実質的にここが最終防衛ラインでもあった。
そんなクリングゾール砦に、現在マグノリア領での戦いを担当している第十一騎士団の団長、ブノワ・バリエ伯爵の姿がある。
「――だから何度も言っておるだろう! 我が第十一騎士団は、次の大規模作戦のために兵と物資を必要としているのだ!」
「お言葉ですがブノワ騎士団長、この作戦を今このタイミングで行う合理的な理由が見当たりません。ただでさえここ数日は敗戦が続き、この砦にも多くの負傷者を収容している状態です。そんな騎士たちの士気も低い状況で、リスクの大きな作戦行動を行うのは、はっきり言って無謀でしかない」
「なっ、貴様は儂を愚弄するつもりか!」
そう言って声を荒げるブノワを、涼しい目で見ているのはフランツ・マグノリアという若い男性だ。短い黒髪に眼鏡をかけており、その雰囲気からも切れ者であることが充分に伺える。
フランツはマグノリア領の領主であるフェルナンド・マグノリアの次男であり、このクリングゾール砦の責任者を務めていた。
この国での魔物との戦いは無明の荒野と接している各地の領主と、そこに派遣された騎士団との協力関係の上になりたっている。
魔物という人類の共通の敵との戦いは決して敗れるわけにはいかなかった。何故ならそれはこの国の滅亡を意味しているからだ。故にその協力関係は何よりも強固なものであるとされる。
とはいえ、二者の関係は基本的に対等なものだった。つまりブノワの無茶な要望を必ずしも聞く必要はフランツ側にもないのである。騎士団長であるブノワに対して意見を述べることは、領主側に認められた正当な権利なのだ。
「私は客観的事実を述べているまでです。この一年ほどは戦況も安定しており、戦線もシャープに収まっていました。仮にあのタイミングであれば、この反転攻勢をかけて奪われた生存圏を奪還するという作戦も考慮に値したでしょう。しかし現在のタイミングではこの作戦を行うことは不可能です……その理由はブノワ騎士団長こそ、よくご存じだと思いますが?」
「くっ……」
戦況が安定していたとフランツが言う一年というのは、第十一騎士団にキースがいた時期である。キースはどの部隊にも所属することなく、しかし戦況が思わしくない作戦地域に姿を現しては、その圧倒的な実力で魔物を殲滅して勝利に導いていった。
しかし今の第十一騎士団にキースはいない。それまで容認されていたはずのキースの自由な作戦行動を問題視したブノワによって騎士団を追放されたからである。
フランツはその件に関してあまり詳しくは知っておらず、貴族院からの通達で結果だけを知っているに過ぎなかった。しかし現場で実際に何が起きたのかは、切れ者のフランツであれば充分に予測可能であった。
その後もしつこく食い下がるブノワであったが、弁が立つフランツに軽くあしらわれ、結局大規模作戦のための兵力と物資の協力を受けることは出来ないままクリングゾール砦を去ることとなった。
「ええい、忌々しい! 儂を一体誰だと思っておる! 儂はあの栄光のバリエ家の当主、ブノワ・バリエ伯爵だぞ!」
帰り道、護衛に連れてきた騎士たちと馬車に乗りながら、延々とそうした形で喚き散らすブノワ。同行した騎士たちも辟易としているようだが、さすがに顔に出すことはない。
そうして散々喚き散らした後、突然黙りこんだブノワが、静かに口角を上げる。
(儂のことを軽んじている奴らを見返すには、戦果さえ挙げればいい。儂が立てた作戦での戦果であれば、奴らは否が応でも儂のことを認めざるを得んのだ! やってやる……父に出来たことだ、儂にだって出来るに決まっている!)
もはや何が手段で何が目的なのかさえも見失ったブノワは、しかしそうして不気味な笑みを浮かべるのだった。