鬼教師バラック
キースが赴任してから五日が過ぎ、最初の休日が来る。
「おーキース先生、休日でも一番乗りですか。やはり急な赴任となると大変ですなぁ」
休日の早朝、職員室で作業をしているキースに声をかけてきたのは中年の男性教師バラックだ。
彼は白い短髪に髭面で、顔や体に多くの傷跡を持っているいかにも歴戦の猛者といった風貌の人物である。実際その見た目通り、かつては第三騎士団で中隊長を務めたほどの実力者だった。
バラックは戦場での負傷を理由に前線から退いて隠居していたが、その高い能力を認めたセレーネが三年前に教師としてスカウトしたという経緯がある。
教師としては戦技教科や実戦形式の授業を担当しており、その厳しい性格から生徒たちには鬼教師と呼ばれていた。
「バラック先生、お気遣いありがとうございます。しかし別に急な赴任だからといって大変だとは感じていません。それにこれも直接は教師の仕事と関係ないことですし」
キースはそう丁寧な言葉で応じた。
「いやいや、それでも最近の先生方は皆熱心で実に素晴らしいと思いますよ。私が騎士学校に通っていた頃なんかは、教師なんて騎士になれなかった人間が嫌々やる仕事という扱いで、みんなやる気なんてなかったんですから」
バラックの言う通り、古くからこの国での最上級の名誉は騎士となって魔物との戦いで戦功を挙げることとされており、逆に後方での仕事はどこか下に見られる傾向が強かった。
つまりそうした環境で教師となった人間は仕事への強い熱意を持つことはなく、そんな態度が生徒にまで伝わる状態にあったのだ。
しかし教師がそんな状態では、未来の騎士である生徒たちを立派に育て上げることは出来ないと考え、教育改革に乗り出したのがセレーネである。
王立騎士学校の理事長に就任したセレーネはまず無能な教師ややる気のない教師をばっさりと切り捨て、教師として高い能力を持つ人材を集めることに注力した。
職権乱用ともいえる解雇を断行したセレーネは当然多くの批判に晒されたが、強い意思を持ってその活動は現在も続けられている。
ちなみにその裏にはアランの協力も当然あるのだが、彼がこの件で表立って活動することはないため、世間的には全てセレーネが行った教育改革ということになっていた。
そうした背景もあり、現在王立騎士学校の教師を務めている人物は、セレーネに一定の能力を認められた優秀な教師ということでもある。
「それを言うならバラック先生こそ熱心な教師として有名ですけどね。今日だって休日にも関わらず早くから学校に出てきて、近年の戦闘記録の資料を読んで最新の戦術研究をされるようですし。普段の授業でも生徒に熱い教育をされているという話で、生徒から鬼と恐れられているとは言いますが、心からバラック先生を嫌っている生徒はいないと聞いています」
「ははははは……さすがにそこまで言われるとお世辞でも照れてしまいますな」
「俺はお世辞なんて言いませんよ。俺はその人に能力があるかないか、その事実にしか興味ありませんから」
キースは淡々とそう語る。
キースがバラックをそこまで高く評価するのには理由があり、それはまだバラックが騎士として現役だった頃に率いていた、中隊の戦闘記録を読んだからだった。
当時の彼に与えられた部下は決して優秀な騎士ではなかった。むしろ能力だけで言えば下から数えた方が早いレベルだった。
世間的には、騎士の能力は個人の才能に依存するという考え方が主流である。だからこそエース級の能力を持つ騎士は基本的にどこでも取り合いになる。
しかし全員が全員、騎士として高い能力を持つわけではない。むしろ数では能力の低い騎士の方が大多数を占めている。そうしたどこからも欲しがられなかった、能力の低い騎士を寄せ集めたのがバラックの中隊だった。
それは誰も引きたがらない貧乏くじであり、当然ながら何も期待されていなどいなかった。
しかしそんな中でもバラックの中隊は、他の同規模の中隊と遜色のない戦果を挙げていたのである。
そんな風にバラックは個に依存する部隊ではなく、集団として誰でも同じ役割を果たすことが出来る、代替可能な部隊を作り上げることに成功した稀有な指揮官なのだった。
キースは自分の能力に強い自負を持つが、同時に他人の能力についてもその価値を正しく認めることが出来る人間である。そうした意味でバラックはキースにとっても価値のある人間なのだった。
「そういえばキース先生が担任されている一年A組、昨日授業で見たのですが、一体何をされたのですか?」
「……? 何か問題でもありましたか?」
「いえ、逆ですよ。何ですかね、目の色が違うとでもいうのか……いや、元々優秀な生徒たちではあるんですが、以前にも増して熱心というかやる気……むしろ殺気に溢れている感じで驚かされました」
「ああ、そういうことですか。別に変なことをしたわけではありませんが、クラス全員に具体的な共通の目標を設定させてみたのです。その目標に戦技教科は関連があるので、生徒たちも目の色を変えたのかも知れませんね」
「ほう、目標ですか……それはちなみに、どのような?」
興味深そうにバラックはキースに尋ねる。
バラックはキースが賢者であることを知らないが、強者は強者を知るとも言われるように、その豊富な経験から只者ではないことを感じ取っていた。
そうした理由もあってバラックはキースの行動に強い関心を持っているのである。
ちなみに一年A組の生徒たちの元々の目標は「立派な騎士になる」など、模範的ではあるものの漠然とした内容のものが多かった。そのためキースは具体的な目標を段階的に設定することにしたのである。
「来月に行われる学内大会での優勝ですよ」
学内大会とは騎士学校で毎年行われる行事であり、一年から三年までの全てのクラスが参加する実戦形式での対抗戦である。
当然ながら例年優勝するのは三年生であり、一年生は入学から三か月目のこの行事によって上級生との実力差を肌で知ることとなるのが慣例だった。
しかしキースは自分のクラスに学内大会での優勝を目標とさせたのである。普通であればそれは無謀だと取られかねないことだったが、しかしバラックは面白そうだとばかりに表情を明るくする。
「学内大会の優勝ですか! いやぁ、一年生でそれが出来た例は一度しかないと聞きますが、キース先生も大きく出ましたな!」
ちなみにその一度というのは十一年前にセレーネのクラスが達成したものである。その翌年に入学したキースとアランのクラスも決勝まで残ったが、その年はそこでセレーネのクラスに敗れていた。なお翌年にはキースたちがリベンジを果たし、セレーネたちの三連覇を阻んでいたりもする。
「過去に成し遂げた人間がいるのであれば、そこを目指す人間がいるのも自然な話でしょう」
「ははは、確かにキース先生の言うとおりだ! ただそれでも……今年の学内大会は三年C組の優勝で堅いとは思ってしまいますがね」
「……ルカ・リベットですか」
「ええ、赴任してきたばかりのキース先生でも知っていましたか。……私の目から見ても、彼女は間違いなく天才です。それにあのクラスは他の生徒も優秀ですからね」
ルカ・リベットとは三年C組に所属する生徒で、学年一位の成績を修めていることもあるが、何より実戦形式でのずば抜けた実力で名を知られている存在だった。
過去には現役の騎士である卒業生と模擬戦を行い、結果は引き分けであったものの終始優勢に戦いを進めていたとも語られている。彼女は戦いの本質を知っているとされ、高い戦術理解度と正確な判断力もあって指揮官としての適性も申し分ない。
つまり一年A組が学内大会で優勝を狙うのであれば、一番の障害になるのは間違いなくルカ・リベット率いる三年C組であると言えた。
「確かにルカ・リベットは現役の騎士とも遜色ない実力を持っていますが……それでも一か月後のうちの生徒たちであれば、勝てない相手ではないと思いますよ」
しかしキースは彼女の実力を知った上で、それでもそんな風に大胆不敵なことを言うのであった。