アランの暗躍
――スコールランド城。
そこには様々な資料が保管されている書庫がある。
もちろん一般には解放されておらず、立ち入りを許可されている者も数える程しかいない。
「……あった。アラン王子が送った書簡の送り先と日時の一覧――」
そんな王家の管理する書庫に、真っ白な短い髪と、前髪で片側が隠れた感情を感じさせない青い瞳が特徴の女性――ティアの姿があった。
キースの助手であるティアは魔力容量が少ないながらも空間魔法を得意としており、自分一人限定ではあるが長距離の移動を瞬時に行うことが出来ることから、キースのための情報収集や連絡などを請け負っている。
そんなティアが記憶の中にある貴族の名前と日時を、目の前の資料と照らし合わせている時――。
「――何の申請も出ていないのに人の気配がすると思えば、やはり君か」
「っ! ……アラン王子」
気配を感じさせずすぐ横まで接近していたアランに声をかけられ、身を固く緊張させるティア。
「そう警戒しなくていい。賢者にはここへの立ち入りも許可しているし、それは助手も同様だ……と言ったのは私自身だからね」
「…………」
「もちろん正式な申請を出して欲しいところではあるが、賢者連中にはそんな話が通じない者もいる……今さら咎めるつもりはないさ」
アランは笑みを浮かべて饒舌に話しかけるが、その目はティアの内心を探ろうと、わずかな挙動も見逃さないように観察を続けていた。
「君は今日もキースのおつかいだろう? 前線で生徒を守るために苦心しているあいつをしっかり支えてやって欲しい」
「それは、もちろん。私の生きる意味ですから」
「生きる意味、か。優秀な助手にそこまで言ってもらえれば、キースも助かるだろう……しかし、それにしては奇妙だな」
「…………」
何か糸口を見つけたアランは、それでも笑みを絶やさずに続ける。
「この棚は王家と貴族間のやりとりに関する記録が保管されている場所だ……前線で戦うキースが、今そのようなことを気にしている余裕なんてあるだろうか?」
その言葉でティアは確信した――アランはもう気付いている。
ティアが探っていたのはアランのこれまでの行動と、今後の狙いについて。
そしてそれはキースから頼まれていたことである。とはいえそうしてアランを疑い、周囲を探ることは王家への背信と解釈されかねない、危険な行動だった。
だからこそティアは慎重に行動をしていた。今日だって本来アランは外遊中の予定だったはずなのだ。
それでも他人との腹の探り合いでは一枚も二枚も上手なのがアランという人物である。
そしてそんなアランは今、一つの逃げ道をティアに用意していた。
――前線で戦うキースが、今そのようなことを気にしている余裕なんてあるだろうか。
その言葉の真意はつまり、ティアの独断による行動ということにしてあげてもいいと、そういう取引を持ちかけているのである。
「アラン王子は、私に何を望むのですか?」
「ほう……そうだな、キースの近況を定期的に報告してくれる、というのはどうだろう?」
アランは話が早いティアに感心したような声を漏らした後、大したことなさそうな雰囲気でそう提案した。
キースの近況を報告する程度、一見大したことではないように感じるかも知れない。しかし相手はアラン王子である。
相手の状況を詳しく理解すれば、より深くその心を掌握し、未来の行動を操ることが出来る。
キースでさえ理解することの出来ないアランの深淵。
ティアがキースの情報をアランに渡せば、それがキースの行動を縛ることに繋がってしまう。
思考を巡らせたティアがそうして出した結論は――。
「――お断りします」
「そうか……くくくっ、さすがキースが信頼して任せるだけのことはある」
ティアの拒絶する言葉を聞いて、アランはどこか嬉しそうな声で笑い、揺さぶりに動じなかったティアを褒める。
「アラン王子……私は賢者の助手として、正当な権利を持って書庫の資料を読んでいただけです。申請手続きを怠ったことは謝罪しますが、それ以外は咎められるいわれはありません」
「ああ、私も咎めるつもりはない。ただ少し、君を試してみたくなっただけだ」
「試す? 私を?」
「キースの信頼する助手が、もしキースを裏切るような人物だったら……少々困ったことになるとは思わないかい?」
「…………」
最初からアランの狙いはティアだった。
キースが自分のことを疑い、その周辺を探ろうとすることも理解した上で、それをいい機会だと考えて、アランはティアのキースに対する忠誠心を試していた。
――どんな精神をしていれば、そんな泰然と構えていられるのか。
ティアはキースが何故アランを警戒しているのか、その意味の一端を今ようやく理解しつつあった。
「とはいえ君は合格だ。知りたいことがあるのだろう? 何でも聞いてみるといい」
「……どういうつもりですか?」
「君が情報を持ち帰った方がキースは喜ぶだろう? 勘違いしないでもらいたいが、私は別にキースの敵ではない。むしろ目的を同じとする味方だよ」
お互いに利用しあう関係ではあるが、その言葉に嘘はなかった。
そうであるならばと、ティアは意を決してまっすぐに質問を投げかけることにした。
「……ではアラン王子。貴方の名で書簡を送った、いくつかの貴族にはある共通点があります。それはフォルクローレ男爵家へ縁談を申し込もうという動きを見せたことです」
フォルクローレ男爵家はアクリスの実家である。
アクリスは以前キースに、様々な事情があって相手探しが難航しているという話をしていた。
その話には説得力があった一方で、違和感があったのも事実だった。
それはどうしてアクリスの相手探しだけが難航しているのか、という点である。
年の離れた姉で十五年前に亡くなったアイノアも結婚こそしていなかったが、彼女も王立騎士学校を出たエリートであり、調べてみると当時そうした申し込みは多くあったということが分かった。
そしてアクリスも体質が原因で騎士にこそならなかったが王立騎士学校を卒業しており、またアクリスの兄オラシオの娘であるヴィオラも来年には王立騎士学校に入学する予定だった。
男性には充分な魔力が受け継がれない一方で、女性であれば確実に王立騎士学校に進めるだけのエリートを排出しているのがフォルクローレ家の血筋の特徴である。
そもそも男性であるため充分に魔力を持たず騎士にもなれなかった兄のオラシオが結婚している時点で、フォルクローレ家の血筋がそれほど敬遠されていない証明となるのではないか。
だとすれば、何故アクリスだけがなかなか相手が見つからないのか?
そこには誰かの作為があると考えた方が自然だと言えた。
「アラン王子。貴方がアクリス・フォルクローレへの縁談を握りつぶしているのではないですか?」
「そうだ」
「……何が目的でそのようなことを?」
「それはもちろん、アクリスの力がキースの役に立つかも知れないからだ」
仮にアクリスが結婚してフォルクローレ家の当主になったら、今のように医務室で働き続けるのは難しくなる。
だからアクリスをキースの傍に置くために、アランは縁談を握りつぶしていた。
「しかし、彼女に力を使わせたくないからキース様は――」
「それはアクリスのためであって、キースのためになるかは別の話だろう?」
「アラン王子、貴方はアクリスさんを利用するつもりですか……貴方にとっても後輩ではないのですか?」
「確かにかわいい後輩だが……だからと特別扱いするような人間に、国王の名代は務まらないさ。それでは他の騎士たちが納得して死んでいけない」
アランは自身の感情に流されるようなことは許されない立場にあった。その重みを本当の意味で理解出来る人間はどこにもいない。国王である父セドリックさえも、アランの心を理解することは出来ないでいた。
一方でキースは自身の感情のままに復讐を志す人間だった。誰よりもわがままで、ある意味では誰よりも人間らしく生きている。
対極に位置する二人だからこそ理解しあうことはないが、その目的と意思が本物でありさえすれば、それは些細な事だと言えた。
「そもそも、私が縁談を握りつぶしたとしてもだ。最終的にあそこで働くことを決めたのはアクリスの意思だ。本人が決めたことなら、他人が口出しすべきではない……とキースだったら言うだろうね」
「…………」
否定は出来ないが肯定もしたくないティアは沈黙を選んだ。
「それに、これは君にとっても悪い話ではないはずだ」
「私、ですか?」
「もしキース自身に何かがあったとき、アクリスが傍にいれば、彼女は必ずキースを救うはずだ」
「それは……」
アランの言う通り、ティアにとってはアクリスよりもキースの方が大事に違いなかった。
たとえそれがキースの想いに反することだとしても。
「キースも、君も、自分の感情に素直に生きればいい。魔物を憎み、復讐を遂げたいというなら、私はその環境を整えるために力を尽くそう。我々はそういう互恵関係であり、お互いに利用しあうからこそ成り立つのだよ」
そんなアランの言葉をもって、二人の会話は終わる。
ティアはアランがアクリスの縁談を妨害し、彼女をキースの傍に置くために暗躍していたことを明らかにした。
しかしそれさえも、キースのためという一心で行われたことに違いなく、それはティアにとっても都合の良い話だった。
「キース様さえ意のままにしようとする……あれがアラン王子……」
ティアにキースを裏切るつもりは一切ない。
しかしここでアランに話されたことを全てそのままキースに話すことが、本当にキースのためになるのか。
今までであれば決して思い悩むことはなかったはずの事柄に、ティアは思考を巡らせることになるのだった。