焦燥と不安
一日の授業が全て終わってから医務室で目を覚ましたエリステラは、お世話になったアクリスに礼を言うとそのままキースを探して職員室に向かった。
「失礼します。一年A組のエリステラです。キース先生はいらっしゃいますか?」
「キース先生ならこの時間は研究室よ。研究棟は分かるかしら?」
エリステラにそう言ったのは眼鏡をかけた四十過ぎの女性教師であるメアリーだった。彼女は魔法の扱いは不得手であるが、学問においては非常に優秀で教え方にも定評があるベテラン教師である。
ちなみにキースやアラン、セレーネやアクリスなども彼女の授業を受けた教え子だった。
「はい、知っています。教えていただき、ありがとうございました」
メアリーにそう丁寧に頭を下げたエリステラは職員室を出ると、そのまま研究棟を目指して歩く。
研究棟は授業などで使う教室もあり、渡り廊下で繋がっているので移動にはそれほどかからない。
そうして研究棟の四階についたエリステラは、設置されている案内板を見る。研究棟の四階から上は教師や研究員にあてがわれた研究室が並んでおり、案内板にはどの部屋が誰のものであるのかが示されている。しかし――。
「――キース先生の名前がありませんね」
「俺がどうかしたのか?」
「ひゃっ……キース先生!?」
突然後ろから声をかけられたエリステラは驚きから可愛らしい声を上げた。そんな自分の声を自覚した瞬間、エリステラは恥ずかしさに襲われて少し顔を赤くする。
「一応アクリス先生からは聞いているが、体調はもう大丈夫そうだな」
「はい……その件はご迷惑をおかけしました」
「それは別に構わない。……用件はそれだけか?」
「いえ……もしよろしければ、先生と少しお話する時間をいただければと思うのですが――」
「……全く勤勉なことだな」
キースはエリステラが丸一日休んだ授業について質問があるのだろうと当たりをつけてそんな風に言う。
「ついてこい。話は俺の研究室で聞く」
そのままキースがさっさと歩き出したので、一瞬置いていかれそうになったエリステラは一歩後ろを慌ててついていく。
「……そういえば先生の研究室はどこなのですか? 案内板には名前がありませんでしたが」
「ああ、俺は昨日来たばかりだからまだ案内板が更新されていないんだろう。一番端の大部屋が俺の研究室だ」
結局移動中に二人が交わした言葉はそれだけで、あとは黙々と歩いていった。
そうして一番奥の部屋につくと、キースは手に魔力を集めて魔法認証による鍵を開ける
「人が来ることを想定していなかったから少し散らかっているが、その辺にあるものには触るなよ。最悪爆発するからな」
「……えっ?」
一瞬何を言われたのか分からないといった表情をしたエリステラは、目を丸くしながら部屋の中を見渡す。
そこには金属の筒と箱がくっついた謎のオブジェなど、見たこともないものがいくつか机の上に置かれていた。
エリステラはそれらに気を取られないように意識しつつ、キースに促されるままテーブルの前に設置されたソファに座る。
そうしてその正面に座ったキースは単刀直入に言った。
「それではさっそく話に入るが、用件は何だ?」
「それは……私は先生に、朝のことを謝りたいのです」
「朝のこと?」
「はい。私は先生が一年で騎士団をクビになったという噂から、勝手な思い込みだけで先生が努力不足で騎士失格の烙印を押されたのだと非難しました。しかし模擬戦で先生が見せた力は、生半可な努力で得られるものではないことは明らかです。なので私はそのことを先生に謝りたいと思います……本当に、申し訳ありませんでした」
そう言ってエリステラはキースに対して深く頭を下げた。
「そうか」
「そうか……って、それだけですか?」
「何だ、エリステラ。お前は俺に叱られるとでも思っていたのか?」
「……そうです」
「言っておくが、俺はそこまで狭量な人間ではないつもりだ。だが、そうだな……お前を叱るとするなら、二属性複合魔法の件についてはこちらからも言っておくことがある」
キースは真剣な表情でエリステラの目を見ながら続ける。
「あのアルバリという魔法は今のお前には過ぎた力だろう。それを無理して使い続ければ、遠からずお前の身には大きな反動が返ってくる。何を焦っているのかは知らないが、今後のことを考えるなら使用は極力控えるんだな。だがどうしても使いたいというのであれば、まず魔力変換術式の効率化から進めろ。もちろん基礎鍛錬で魔力容量を増やしつつ、な」
叱ると言いつつも、キースはそんな風にエリステラへの今後のアドバイスを語る。それは他の生徒にはすでに授業の中で話した、今後の学習指針と同じものだった。
「……先生は本当に変わった人ですね。極力控えろではなく、頭ごなしにあの魔法は使うな、と言っても許される状況だと思いますが」
「そんなことを言って何になる。お前の選択はどこまで行ってもお前のものでしかないだろう」
だからエリステラの選択を頭ごなしに否定することなど、他人に許されるはずはないのだと、そんなことをキースは語る。
それは言い換えれば、自分の選択の責任は全て自分で背負うしかないということでもあった。
「……先生、質問してもいいですか?」
「答えるかは分からないが、何だ」
「先生は私たち生徒のことを、どう思っているのですか?」
「どう、とは?」
「騎士であった先生が教師になったのは、先生にとって不本意な結果だったりはしませんか?」
「さっきと全く別の質問になったが……回りくどいな。訊きたいことがあるならはっきりと言え」
「……先生は、教師という職に本当の意味で熱意を持っていますか? 私たち生徒のことを、ちゃんと心から考えてくれますか?」
そこまで言われて、ようやくキースはエリステラの言いたいことを理解する。考えてみれば、最初にエリステラがキースに噛みついたときもそうだった。
つまりエリステラは不安なのである――自分が果たして、立派な騎士になれるかどうかが。
(二属性複合魔法のときといい、エリステラは何をそんなに焦っているんだ? それほどの才能がありながら、一体何をそこまで不安に思うことがある?)
キースはエリステラの表情を観察するが、そこから得られるものは特にない。
「そもそもの話をすれば俺は熱意などというものを重要だとは思っていない。熱意があろうがなかろうが、成果が出せるならそれでいいと思っている……という前提の上で聞いてもらいたい話だが、俺は今回の教師という役割において大きな成果を出すつもりで活動している。それはもちろんお前たち生徒を強く育て、騎士として生き残れるようにするためにな」
「……私はその言葉を、信じていいんですか?」
そう言ってエリステラはまっすぐな目でキースを見た。
キースはその視線をまっすぐに受け止めながら、それでも淡々と口を開く。
「それはお前自身が決めることだろう」
そんな風に、キースは結局いつもと変わらない言葉を言うのだった。