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カーテン  作者: 大枝健志
正文学会編
8/66

虚構の華

 怒りに震える吉原は二人の少年に母もろとも巻き込んで、忌々しい不幸を土産に持たせてやろうと考え出す。


 そうだ、あいつらの家に動物の霊が居ることにしよう。どの家でも犬だの猫だの、鳥だの、ネズミくらいは飼った事があるだろう。その霊がガキに取り憑いていて、この場にもしっかりついてきている。

 その動物霊が原因で、家庭に暗い影を落とし続けている。

 動物霊は仲間を呼ぶ為、下手な人間の霊よりも念が強く、祓うのが困難であり次々と仲間を呼び寄せ霊の集合体を作り出してしまう。


 その集合体はこの私でも祓えるか分からん程の強烈なものだが、貴様らの維新努力(金)次第で祓えるかも、しれん。

 よし、この筋書きだ。


「この私でも。」


 このフレーズを出せば、たちまち慌てるに違いない。


「吉原大源先生のお力を持ってしても!?」


 そう慌てふためくに違いない。いくら冷静にいようとしても、この場に大勢居る豚信者共の驚きが話に現実味の花を添え、冷静な判断を失うであろう。

 そして暗い顔をしながら家に帰り、毎日嫌な思いをしながら過ごせば良い。

 あの腐れ能面を今にも泣き出しそうな面構えに変えてやる。


 さぁ、いよいよ私のお出ましだ!


 両手を上へ広げながら、ゆっくりと吉原は歩き出す。

 舞台裏では世話係の信者達が念仏を唱えながら虚勢の雄姿を見送っている。


 そしてついに、吉原がスクリーン前の舞台へ登場する。


 その姿を目にした途端、信者達は悲鳴や絶叫、奇声じみた声を上げながら、一斉に立ち上がる。

 女達は小学生を含め、憧れのアイドルを自らに迎え入れる時のような表情を浮かべつつ、声を上げる。

 男達は小学生を含め、腕力のみが有り余る知能の足らない野生動物になったかのように、咆哮を上げながら手を叩きまくる。


 吉原は怒りのアクセルを緩めると、笑顔のまま、その光景を悠然と眺める。

「ゾワゾワする」感覚が背中を這いずり回る。絶対に股間を弄るなよ、と己にしっかりと言い聞かせる。


 そして吉原の錆びて乾いた欲求は、熱く濡れた熱狂の渦へと勢い良く飛び込んだ。

 乾いた欲求に開いた穴。

 その穴からは日頃、満たしてくれ、満たしてくれ、という呻き声や叫び声が聞こえてくる。

 吉原自身、その声に耳を塞ぎたくなる日もある。

 しかし、決してその穴を塞ぐことはしない。


 少年少女、そしてその保護者達が我を忘れ、自己を破綻させた瞬間の想いが、吉原の欲求の穴へと濁流になり、一気に流れ込んでくる。

 吉原へ向けられた視線、熱、声、賞賛、崇拝の濁流。


 今、吉原は吉原のみが知る事の出来る幸福で満たされて行く。それはたちまち身体の神経細胞の隅々までを震わせ、快感の波として轟いて行く。

 流れ込んだ想いに深く身を沈め、そして溺れ、やがて幸福の中で死んで行く欲求。

 しかし、どうせすぐに新しいものが生まれる。死んだ瞬間には生まれている。


 だがな、この座を他人に渡してたまるものか。この熱い熱い幸福は、絶対的に私のものだ。私のみが感じられる、真実の幸福なのだ。


 熱狂を通り越し、狂乱する信者達。

 拍手しながら涙を流す信者多数。過呼吸になる信者数名。これは夢なのではないか?と、自らの顔面を引っ叩き続ける保護者の男性信者。嗚咽も漏らし、涎を垂らしながら念仏を唱える男子中学生信者。


 それぞれの者が最大限、今目の前で起きている吉原登場という事実を必死になって飲み込もうとしている。


 分かっているぞ。分かる、分かる。私の登場に気が動転し、崩れ掛けた自我を何とか保とうと必死なんだろう?

 先程の腐れ能面も少しはこれで、なにいいいいい!?


 先程と全く変わらぬ能面顔のまま、二人の少年は狂喜乱舞する信者達の中で、ベンチに置き忘れたバッグのようにポツンと孤立していた。

 方や、その母は狂った牛のように頭を振りながら絶叫している。


 この少年二人こそ、巡命式の僅か三日後にここへ連れられて来た佐伯兄弟であった。

 母郁恵は興奮のあまり、首が飛んでしまいそうな勢いで身体を揺らしながら絶叫している。

 この時、佐伯兄弟の心というものは固く閉ざされ、死んでいた。


 何なんだ!あの能面小僧共は!この私だぞ!この私!あれは何なんだ!信者ではないのか!?


 この場にいる信者達が吉原へ送る、熱い視線とは全く掛け離れた、冷たく、色のない視線が吉原を突き刺した。


 目、目が合ったぞ。何だあれは。全く動じないのはどうしてだ?一体、あいつらは何だというのだ。

 私に怨みでもあるというのか?この全人類善人代表のような、通称お人好しの大源に、何か怨みでも!?

 この、畜生めが。

 忌々しい記憶を植え付けてやる。


 吉原がハンドマイクのスイッチをオンにする。


「皆さん、こんにちは。」

「こんにちはああああああ!」


 こんにちは、と一言挨拶しただけで再び盛大な拍手が起こり、会場の壁が割れんばかりの返事が返ってくる。


 吉原は笑顔のまま思う。

 やはり、馬鹿共は声がデカイ。


 ハンドマイクを持ったまま、吉原は静かに一人一人を眺め回す。

 ジッ、と見つめ、息を殺し、静かに向き合うように、右から左へ視線をゆっくりゆっくりと動かして行く。

 すると先程まで狂喜乱舞していた信者達が一様に黙り始め、やがて会場は静寂に包まれた。


 一対五百。


 やがて信者達は水に餓えた者達のように、吉原という泉が湧き出るのを静かに待ち侘びるようになる。


 吉原が口元にマイクを持って行くと、静まり返った会場に布の擦れる音のみが響き渡り、その場の全員が一斉に姿勢を正す気配が伝わってくる。


 そっと目を閉じ、一気に見開くと吉原が泉の栓を引き抜いた。


「私には、分かっていた。」


 一体何の事だろう。信者達は口には出さないが動揺を隠せない様子だ。


 吉原が若干の間を置き、続ける。


「この会場へ向かう前から、感じていた事がある。それは残念ながら的中したようだ。私の霊が教えてくれた。」


 そう言うと会場のある席を指差した。


「そこの少年。二人の少年。君達だ。聞きたい事がある。彼達にマイクを。」


 佐伯兄弟はまるでリアクションというものがないので、マイクを運ぶ役の信者も、会場の誰も、一体どの少年を指しているのか分からずに困惑している。

 吉原が苛立つ。


「違う。その後ろの列の。そう、いや、その緑のシャツの子供ではない。そう、そのピンクのご婦人の横の、そう。」


 佐伯兄弟はまだ尚、反応を見せないものの母郁恵はパニックのような状態になり一人「えっ!?えっ!?えっ!?」と素っ頓狂な声を上げている。

 兄泰彦が真正面を見つめながらマイクを受け取る。


「まぁ、ご婦人。落ち着いて。お子さんかな?しばし、お借りしたい。いいかな?」


 郁恵は前の席の信者の頭にぶつかるような勢いで首を縦に振る。

 期待と心配がごちゃ混ぜになった面持ちで郁恵は泰彦を眺める。


「君達に聞きたい。いつか…動物を飼っていたな?」

「いいえ。」


 やや被せ気味に泰彦がきっぱりとした口調で否定する。


 なああああああああにいいいいい!

 嘘つきおって!このクソ餓鬼めが!

 飼ってないだと!?一度もか!?一度もなのか!?


「本当に…一度もか?」

「はい。」


 なんだとおおおおおおおおお!

 このクソ餓鬼ぃ!きっぱりと否定しおって!話が終わってしまったではないか!!


 次の言葉がすぐに出ず、吉原は笑顔のまましばらく固まっている。

 その様子に信者達は困惑を隠せない。

 静かに、それぞれが顔を見合わせ始める。

 焦りの表情を浮かべまいと必死に笑顔を保ったまま、吉原は頭の回転スピードを限界まで上げる。


 なんとかハッタリをかましてこの場を切り抜けねば…やつら、一体何の話なのかと疑い始めてるぞ。

 そうだ!これだ!ええい、仕方あるまい。


「ははは!はっはっはっ。そうかそうか、仕方無かった。」


 突然豪快に笑い出す吉原に、話が分からず取り残された信者達の困惑の色はさらに濃さを増していく。


 吉原は己に言い聞かせる。

 焦るな、大源。いいか、いいか、冷静に、冷静になれ。階段も一つ一つ降りれば何も転ぶ事はないのだ。焦るな、焦るなよ。


「いやいや、すまない。私が悪かった。子供は霊性が高いのでな、ついピンと来るものだと思い話を飛ばしてしまった。現世の話ではなくてな、前世で飼っておった犬の話をしようとしたのだ。」


 佐伯兄弟はそれでも微動だにせず、泰彦は何の言葉も発しない。


「君達とは前世で良く遊んだな。富士山の見える原っぱ、覚えておるか?私が転んでしまった時に君達の祖母に手当てをしてもらったな。君達が飼ってた犬の権兵衛が懐かしいな。今日は君達がいる事を会場に着く前から分かっていたんだ。マイクを持った君は、藤吉と言ったな。その弟は権次郎だな。」


 泰彦が無愛想に答える。


「泰彦と亮治です。」

「はっはっはっ!前世の記憶がまるでないか、そう、これが残念な話なのだ。転生をしてもだな、維新がその人生で進んでなければ記憶が上手く引き継げんのだ。誠に残念だ。何故かやたら勉強が出来る友達がクラスに居たりしないか?あぁいう子供は前世の失敗を繰り返さない。何故なら前世で維新が進んでおり、ある程度の前世の記憶を持って生まれて来ておるからだ。だから現世での維新が大切だと、日頃私は言ってるのだな。」


 すると、困惑気味だった信者達は一気に安堵の表情と尊敬の眼差しを吉原に浴びせた。

 つまり、佐伯兄弟はこの会場の中で吉原によって「残念な者」として名指しされ辱めを受けた事になる。

 だが、信者では無い佐伯兄弟はまるで動揺の色を見せず、母郁恵だけが頭を抱えてしまっていた。


「母さん。あれ、ペテンだから。」


 泰彦が淡々とした口調で伝えると郁恵は歯を食いしばりながら目を見開き、無言の怒りを泰彦に向けた。


 泰彦と亮治はここへ来る前日、誰も口を開こうとしない家族での夕食を済ませると母郁恵に話があるから、とキッチンへ呼ばれた。


「この間、あの巡命式ね。泰くんも亮くんもいきなりの事で驚いたと思うの。考えてみたら二人共、正文には何の知識もないんだものね、びっくりさせちゃったなって、お母さん反省してる。」

「うん…。驚いた…。」


 下を向きながら泰彦が答える。


「だからね、明日お母さんと一緒に映画に行かない?面白いやつ。とても分かりやすいと思うの。お母さんも遠出は久しぶりだし。」

「映画行くの!?」


 亮治は満面の笑みを浮かべ、はしゃいだ。

 泰彦も少し笑顔を浮かべ、反省しているなら、と母を受け入れた。

 明日映画に行きながら、帰りながらでもゆっくりと話をしよう。

 母さんをゆっくりでいいから、宗教から取り戻さないと。

 静かに泰彦が答える。


「うん、良いよ。行こう。」

「じゃあ約束ね!新宿だから電車で行くわよ!」

「やったぁ!」

 亮治が無邪気に喜び、泰彦は新宿久しぶりだなぁとひとりごちる。

 郁恵は二人を眺め、心から嬉しそうな笑みを浮かべた。


 晴れの明くる日、遥々電車を乗り継ぎ着いた先は映画館ではなく正文会館だった。

 泰彦と亮治は立ち止まり絶句する。


 郁恵は二人を笑顔で催促する。


「どうしたの?映画、始まっちゃうよ。」


 入口に巨大な立て看板が見える。


「吉原大源会長ビデオメッセージ!維新を始める未来ある若獅子達へ!フルスクリーン上映!」


 確かにフルスクリーンだ。泰彦は思ったが、同時に嵌められた、とも思っていた。

 泰彦が亮治に声を掛ける。


「亮治、いいな。何も感じちゃダメだ。全部、無視しろ。」

「シューキョーだもんね、これって…。わかった。無視、する。」


 二人は覚悟を決め、宗教に集まる人達がどんな人種なのか見定める事に徹した。

 徹底的にこいつらを分析して、母を取り返すんだ。絶対に。

 こんな奴らに、負けない。


 泰彦はしっかりとした足取りで亮治の手を握り、会場へ入って行った。


 そこでは虚構の華が満開に咲き誇り、その美しさに誰もが目を、心を奪われていた。


 指導者は言う。

 それは永遠に咲く華だと。


 その言葉の書いてある正文学会のポストカードを手にする。


 枯れるからこそ美しいんだよ。


 誰も居ない真昼間の佐伯家のリビング。

 父晴政はそう呟くと、空になった缶ビールを居間の仏壇に向かい思い切り投げつけた。

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