狂い猿の妄想と日常
円香の楽屋を訪れた芸能界のドン・木山たけしは円香にある話を持ち掛けようと企む。泰彦は変わり果てた母の姿に落胆し、とある雑居ビルの一室では端整なマスクの若者達が念仏を唱え続けていた。
木山が舌なめずりをしながら「ティーンモデル」として活躍中の野崎円香の楽屋へと足を運ぶ。ノックを数回した後に、コメディアンらしく扉の影に隠れてみせた。
「はーい」
円香が開いたドアの向こうには誰の影も見当たらなかった。不思議そうに首を傾げ、ドアを閉めようとすると木山が飛び出て来た。思わず息を呑んだ円香を他所に、木山はその場で一人コントを始めた。
「誰だコノヤロー!楽屋泥棒か!?コノヤロー!ティーンモデルは金なんか持ってねぇぞ!」
「き……木山さん!」
「へへっ、オイラ木山たけし!姉ちゃんモデルの円香ちゃんだろ?」
「どうぞ、入ってください」
「あー、良い女の香り!なんちって!」
円香は動揺を悟られまいと必死に作り笑いを浮かべ、木山を楽屋に通した。化粧台の前の椅子に腰を下ろした木山は値踏みするような目で円香を舐めるように視線を這わせた。思わず、背筋がヒヤッとする。
「姉ちゃんよ」
「はい!」
「あんた、若い子の間で人気なんだって?売れっ子だ」
「いやいや、そんな……私なんかまだまだ……」
「だからよ、人、気、者、なんだって?雑誌の表紙やら何やら、飾ってるらしいじゃない」
同じような質問を二度繰り返した木山は表情こそ笑っていたが、その目は笑っていなかった。
「おかげさまで……はい」
「モデルってのはよ、オーラがあるか無いかが肝心だよなぁ?いくらスタイル良くて顔も良くたってよ、オーラがなけりゃその辺の「アタリ」のパンスケと一緒だもんな?」
「まぁ、そうですね……オーラは大事だと思います」
「だよなぁ?」
「はい……」
「ならよ、その「オーラ」を磨く方法があったらスゲーと思わないかい?」
円香は思わず胸元に隠したロザリオを握り締めたくなった。しかし、マネージャーの指示の通りクリスチャンである事は徹底的に隠さなければならない。
「そんな方法、あるんですか?」
「それがよ、あるんだよ。少しばかり通わないといけねぇんだけど」
「どんな方法なんですか?」
「お、食いついたね?女はこうじゃなくっちゃ!食いつきの良い女、これ最高!」
下品で下衆だがそれが許されるのが木山だった。彼に逆らえる芸能人は皆無だ。彼に目をつけられたら最後、引退か干されるか、その二つに一つを選ぶしかない。
「その方法ってのがよ……」
木山が話し出そうとした矢先、ノックの音がした。円香は救われたような気持ちで「はーい」と答えるとマネージャーが顔を覗かせた。
「わぁ!木山さん!私、野崎のマネージャーの今井 夢と申します」
「あんたジャーマネ?この子はきっと育つよ、オイラが保証しちゃう!あれだよ?ここで一発ハメた訳じゃないよ?」
「やだ!木山さんたら!」
「へへっ、円香ちゃん、またね!」
「うちの野崎をどうか、末永くお願い致します」
「はいよっ!」
木山が楽屋を出て行くや否や、今井は円香に駆け寄った。
「ちょっと、この前話してたばかりでタイミング良過ぎるわよ……まどちゃん、何もされてない?」
「大丈夫……ちょっと危なかったよ。変な勧誘され掛けた」
「やっぱりね……どんな勧誘?」
「オーラを磨く方法があるとか、何とか……」
「バラエティがある時なんかはなるべく楽屋に一人でいないで?ね?私も気を付けるから」
「うん」
円香は溜息をついて木山の出て行った楽屋の扉を眺めた。すぐそこで、木山が耳をそばだてていない、という可能性は否定出来なかった。木山の目は確かに笑ってはいなかった、その目に見覚えがあった気がしたが、円香はすぐには思い出す事が出来なかった。
泰彦は母の精神状態を危惧し、病院へ連れて行く事を父・晴政に打診した。
「父さん、母さんだけどそろそろ限界なんじゃないかな」
母・郁恵は吉原 大源の出演したテレビ番組を録画したテープを朝から晩までひっきりなしに眺め続けていた。吉原の発言に意を唱える者が出るシーンになると、時折テレビ画面に飛び掛っては怒り狂ったチンパンジーのように奇声を上げたりしている。台所で佐伯兄弟が好きだった唐揚を揚げていた頃の母の面影は既に無く、リビングで昼夜問わず奇声を上げ続ける母を眺める度に、母は教団の変化に置き去りにされた末路と醜態を晒し続ける化け物になってしまったと泰彦は感じていた。
晴政は自分で汲んだ色の薄い緑茶を飲みながら溜息をついた。
「郁恵に病院へ行こうと言っても理解してもらえないだろうな」
「騙してでも連れて行ったほうが良いよ」
「何て言うんだ?」
「実は大源の説法があるとか何とか言ってさ……」
「病院で暴れられたら洒落にならないだろ」
「じゃあ、どうしたらいいんだよ」
「待つしかないんじゃないか……醒めるまで」
「大源がテレビに出続けてる限り、無理だよ……」
「何か良い手があればな……」
正文学会に真崎が返り咲いた事による影響は、かなり大きな社会問題となった。霊性とカリスマ性を売りにしていた吉原 大源が破門になると、真崎にも吉原と同じような素質を求める信者が後を経たなかった。しかし、真崎はそんな信者達に取り合うことも無く本来の教えである「生活に根付く実践的」な宗教を目指し、こう公言した。
「旧会長の全てはまやかしに過ぎない」
と。
吉原はそんな事態に対し、破門になった事を逆手に取って「関係がないので」と今まで責任を放棄した。かのように見せ、カメラの前で涙ぐむなど些細な演出は怠らなかった。
「私が想う事が現実となるならば、それは今語るべきことではありません。全てが成就したその日に、皆が真実を知るだけなのです……現正文と一切関係が無い私には、今はそれしか言えません、言えないのです……」
伊勢と谷田部に挟まれながら、そう涙ぐんで自己の責任をはぐらかし続けた。
シャイニーズ事務所会長であるシャイン松永はとあるセミナーへ参加したという翼レンを見て、堪らず息を呑んだ。
「ど、どうしたんだ、彼……凄くいいじゃないか」
シャイン松永の前で熱唱する彼は近頃、歌も舞台も「こなす」ようになってしまった姿から一変し、水々しく勢いのある歌声を響かせていた。
齢の為に足腰が悪く、車椅子から立ち上がる事の無かった老体は無意識の内に立ち上がり、賞賛の声を浴びせまくった。
「よーっし!スワンプにもう少し頑張ってもらおうと思っていたがな、こんなもの見せられては押さない訳にはいかん!翼だ、翼を押せ!各局に圧をかけてでも使わせろ!いいぞ、翼がついに羽ばたきおった!」
翼が間奏中にこれみよがしにウィンクすると、その視線を受けたシャイン松永は思わず頬を赤らめた。
明くる日からその雑居ビルを訪れる若者が増えた。蜘蛛の巣が張る薄暗い階段を上る若者達は皆一様に端整な顔立ちをしていた。
「大源回帰大源帰依大源幸福大源永久大源回帰大源帰依大源幸福大源永久」
ヘッドフォントとアイマスクを装着し、延々と念仏を唱え続ける彼らの前で責任者の大塚は、紫色の間接照明に照らされた厭らしい笑みを浮かべ続けていた。




