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カーテン  作者: 大枝健志
吉原の大誤算
63/66

屁よりも軽く、糞より臭い理念

吉原の新たな野望。それに使える大塚。足掻き続ける吉原の欲望は世界を蝕もうとする…。

 真っ白な作務衣姿の男に言われるがまま、翼は男と同じような作務衣に着替えるとパーテーションで区切られたスペースへと誘導された。どこかで微かに香が焚かれているようだ。

 椅子に腰掛けるとアイマスクとヘッドフォンを装着するように言われ、男の指示に従う。


「背凭れはご自由に調整して下さい。自分が一番楽だと感じる姿勢で宜しくお願いします。」


 そう言われ、背凭れを倒す。ヘッドフォンからは緩やかなキーボードのメロディが聴こえ始めた。それに重なるように水の流れる音。

 何て心地が良いんだ…。

 翼は束の間、夢を見た。


 光り輝く花畑に立っている。暖かなものを感じる。そこには自分一人しか居ないはずなのに、身体は大きく暖かな手に包まれているのを感じる。

 暖かく心地良く、そして何よりも安らげる場所に居た。それは行った事のない場所にも関わらず、帰って来たような感覚を覚えた。


 アイマスクをし、ヘッドフォンで音楽を流されている翼に男は忍び寄る。

 ぬちゃぬちゃ、とホットローションの音が静かな部屋に鳴り響く。耳の端にその音を捉えた大塚は思わず噴出すのを堪える。

 指の毛が濡れ伸ばされた男の指が柔らかに翼の胸元を弄る。性感帯となり得る場所を外しながら、さほど強くない力でマッサージをするように、ぬちゃぬちゃと音を立てて手は翼を弄る。

 束の間の眠りが覚め掛けた翼は何者かに肌を触られている感覚に驚き、アイマスクを外した。

 先ほどの作務衣の男がローションの付いた手で肌を弄っていた。


「ちょ!何してるんですか!」

「しーっ…。」

「やめて下さいよ!」


 翼がそう言うと、男は耳元で囁いた。


「同性に弄られる感覚…知らない訳じゃないでしょう?」

「どういう…意味ですか?」

「しーっ…。」


 男が再び翼を弄り始める。翼は抵抗する事を止め、アイマスクを再び装着した。


 数週間前。大塚は吉原邸を訪れていた。


「うむ。おまえは良くぞ私に着いて来てくれた。」

「いえ。先生の教えがあってこその、今の私ですから。」

「ふむ。まぁ分かっておった。髭と怒鳴る事しか能の無いアホな瀬川の面倒を見ているうちに、おまえの精神もだいぶ磨り減ったようだ…。」

「そ…それは維新が退化しているという事でしょうか…?」

「もう、よそうではないか。維新については。」

「はい?」

「人間維新などという正文に染み付いてしまった古い考え、いや、やり方なぞは。」


 リビングテーブルに飾られた造花を指で弾きながら、吉原は力なく笑う。大塚の顔面は見る見るうちに蒼褪めていく。信じていた物が音を立てて崩れていくのを見守る事しか出来ない人間の顔だった。


「せ…先生…?い…し…んが古い…?あれだけ命を注ぎ…伝えて来た維新が…。」

「あぁ。古い。臭くてかなわんよ。脳梗塞搾りカスの真崎の漏らしたションベンの匂いが染み付いてプンプンしておる。」

「それは…そのっ…吉原先生が提唱したはずの維新が…何故真崎会長と…。」

「はぁ…かなわん。これだから…はぁ…。」

「どういう事…でしょうか?」

「あの時、私は確かに釈迦と話をした。そして人間維新の提唱者となった。そして、それを成し遂げた。しかし、その功績はあくまでも正文学会の中だけの物であった…。何故…もっと大きな目を持たなかったのだろうと反省しておる。それ故、私は毎朝毎夜思い悩んでいる…本来不要ではあるが…食事も一週間…摂れていない。」


 吉原は昨夜、赤坂の料亭で呼びつけたSM嬢のショーを見ながら高級料理の数々に舌鼓を打ち、銀座のクラブで伊勢にボーイの格好をさせて散々扱き使い、笑いものにした後、家路に着くなりソファで雷のような鼾を掻いていた。


「先生がそんなに…つまり…維新は間違いだったと…言う事ですか…?」

「いや。概念は間違ってはおらん。いけないのは正文という組織に頼り過ぎた私の伝え方だ。ミスだった。私達が救おうとしていたのは何だ?」

「金を生み、魂を注ぐ信者達…でしょうか。」

「違う。大塚よ。それはノン、だ。イエッスな答えは…全人類だ。」

「つまり…それは?」

「私の存在は釈迦と同義であり、生まれ変わりである。つまり、キリストクラスな訳だ。」

「それは…まさか…。」

「私こそが救世主だ。」

「ははぁ!失礼を!ご無礼を、どうか、お許し下さい!」

「ははは。良し、としよう。私が今目を付けているのはマスメディアだ。祈心新聞のような信者しか読まんクソの三文記事しか書けない新聞などに頼っていてはいつまで経っても維新は進まん。」

「それは…お恥ずかしい話…我々の広宣不足もあります…。」

「いや、もういいんだ。いいか?これから私はテレビジョンを利用する。そして、芸能界そのものも。」

「なるほど…御見それしました…影響力がまるで違う…。」

「もう時間が無いのだ。手段を選ばずにやらんと、人類は間もなく破滅を迎える。これはもう決まっている。そこで、多少の犠牲、殺生も仕方のない事だと再定義する事にした。」

「何か具体的な策は…あるんでしょうか…?」

「黒から手に入れたある音楽がある。」

「黒…先生!黒との接触に成功したんですか!?」

「馬鹿をいえ。私にとっては不可能が不可能だ。」

「そうでした…真に…いや…凄過ぎて…。」

「あいつ等が本来人をコントロールするのに使うらしいな。道場でおまえが組んだカリキュラムの中にも似たようなのがあっただろう?」

「はい。」


 ヘッドフォンをガムテープで縛り付けられたとある少女の信者。何度も何度も、寝ても覚めても聞こえてくるのは吉原の説法。繰り返し繰り返し聞かせ続ける事で維新の注入を邪魔する俗塗れの心を破壊する行為として、行っていたあのカリキュラム。少女は小便を垂れ流しながら、項垂れていた。


「黒の音楽はな…あのカリキュラムの、さらに上を行く方法となる。」

「それは…どういった?」

「聴くだけで幻覚を見せる。そして、精神を破滅へと追い込む。つまり、破壊だ。」

「破壊した後…新たに維新の精神を入れ込む事が出来る…。」

「そうだ。ちまちました信者共相手にそんな事をしても意味が無い。一人二人、信者をそんな風に維新されても近所で「キチガイおばさん」だのと笑われるのがオチだ。同じ一人、二人なら芸能人を維新された方が何万倍も効力がある。」

「その通りでございます!仰るとおりです!」

「なら、任せてもいいな?新たなおまえの居場所を。」

「ははぁ!」

「黒との連絡は私が行う。おまえは私のプランニンッグに従い、しばらくは動け。後はおまえに任せる。」

「ありがたき幸せ!この大塚!再び先生のお膝元に使えさせて頂ける事に最高の喜びと使命を感じる次第でございます!」

「まぁ…真崎の掘り返した古い正文を永久に埋めてみせよう。我々が如何に正しかったかを、知らしめるのだ。」

「はい!」

「では…頼んだ。」


 音響プログラムについての詳細は明かされなかった。実験の為に旧正文信者を十人程、使った。聴いた者達が次々に恍惚とした表情を浮べ始め、まるで心を何処かに置き去りにして来たかのような有様になるのを見ているうちに大塚は確信した。

 これは本物だと。


 プログラムを進めて行くうちに芸能人達が抱える孤独、闇が根深い事を知った。彼らは自分との闘いの日々である。活躍しているうちは良い。しかし、あらゆる才能は全て、例外なしに枯渇する。

 その恐怖と向き合い続ける彼らの懐に潜り込み、そして「精神」を破壊して行く事は大塚にとっては容易な事だった。

 正文に屁よりも軽く、糞より臭い信念や正義感を持つ素人信者より、才能という明確な目的がある人間の方がかえって精神破壊には都合が良かった。


 孤独を啜る音は雑居ビルの薄暗い部屋の奥から日々、垂れ流され続けていた。

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