豚箱回避へ、エセ勤行
突然の吉原破門の発表に錯乱を起こした郁恵。それを見守ることしか出来ない晴政。救世とコンタクトを取る泰彦。そして深夜…。
その日の朝、佐伯 郁恵は毎朝投函される正文学会機関紙である祈信新聞を開くや否や、悲鳴を上げた。
「ぎぃえええええええ!えええええええ!ああああああああ!!」
その声で目覚めた夫の晴政は、リビングへ入るとすぐに郁恵が手に持ったまま半狂乱しながら振り回している「それ」を強引に奪い取った。
郁恵は頭を抱えたまま漆黒の仏壇の前まで走ると、二秒後には題目を唱え始めた。
その背中に向けて晴政が静かに声を掛ける。
「母さん、落ち着いてくれ。何なんだ…朝から一体…。」
晴政が郁恵から取り上げた祈信新聞の見出しに目を向けると、晴政の表情は思わず固まった。
「え?」
「発表!真崎会長奇跡の「復活!」」
「吉原「元」会長。破門。」
「あいつ…あいつが、破門…?」
一夜にして現場復帰不能とされていた名誉会長が会長復帰し、現会長であった吉原が突然破門になった経緯が晴政には想像すら出来なかった。
倒そうと思っていた相手が、目の前で何もせずに倒れたのだ。
錯乱した郁恵は無心で題目を唱え続けている。
テレビを付けると朝の報道番組はこの話題で持ちきりだった。
「「会長」が破門!一体何が…?」
テロップと共に始まった特集では正文学会の今までの歴史と吉原「元」会長の軌跡が簡単に伝えられた。
コメンテーターは日本屈指の巨大宗教団体の内紛とも呼べる出来事に歯切れの悪いコメントを零す事しか出来ずにいた。
正文による巨大な利権がうごめいている関係だろうか、そう思いながら晴政は画面を眺めていると司会が重大発表があります、と告げた。
「何とですね、本日深夜放送の「深夜から生討論」に吉原元会長が出演なさって、真相を語る、との事です。これは目が離せませんね。」
仏壇の前で題目を唱えていた郁恵は突然ゴキブリの様な速さと動きでテレビの位置まで走ると、そのままテレビを鷲掴みにした。
「なんなんなんなんなななななな!今すぐ教えなさい!教えろ!!教えろ!!」
当然、司会者に郁恵の声が届く事は無かった。
「えー、次の話題です。上野のパンダの」
「パンダなんてどうでもいいのよ!先生を!先生を!先生を出せえええええ!うちは電気代払ってるのよ!知る権利あるのよぉぉおお!!」
郁恵は絶叫するとテレビを鷲掴みにしたまま揺らし出した。ガタガタと音が鳴りテレビにノイズが混じる。
「やめろ!母さん、頼むから落ち着いて。なぁ?先生が夜中お話しするんだ。それまで、待とう。」
「ダメよ!ダメなのよ!そんなのは!こうしちゃいられないわよ!」
「母さん!」
郁恵は晴政の制止を無視するとテレビ局に電話を掛け始めた。
「ちょっと!大源先生の事なんだけど!え!?そんなの知ってるわよ!夜中のテレビでしょ!!今日の昼間私が死んだらどう責任取るのよ!え!?番組を待て!?待てないわよ!あなた、知ってるんでしょお!?」
郁恵がテレビ局と掛け合っている間に、起きてきた泰彦と亮治は横目で郁恵を眺めながらパンと珈琲だけの朝食を済ませていた。
泰彦がそっと晴政に顔を寄せる。
「父さん。母さん、マズイね。これ、見たけど…。」
パンを齧りながら泰彦は祈信新聞を指差した。
晴政は額に手を当てながら返す。
「あぁ…。今日は現場無いから父さん、家に居るよ。母さんが錯乱して、万が一って事もあるからな…。」
「うん…。心配だけど。」
「大丈夫。力付くでなんとかする。」
上を出せ!と受話器に向かって怒鳴る郁恵を見て泰彦が呟いた。
「母さんは…縛り付けといても良いと思うよ。」
「あぁ、そうだな…。」
テレビ局の回答は「番組をご覧になって下さい」の一点張りだった。郁恵は諦めたのか、床に座り込むと一日中テレビを眺めていた。
亮治が学校から帰宅して、夕飯時になってもテレビの前から郁恵が動く様子は無かった。
近い距離で画面を見続けている為か、郁恵の目は酷く充血していた。
「亮治、悪いんだけど…これで…」
と晴政は亮治にお金を渡すとコンビニで弁当を買って来させた。
亮治は意気揚々とコンビニへ向かい、弁当と一緒に買ったポテトチップスとチョコレートをすぐさま二階の自室へ運び込んだ。
泰彦はこの日の夕方、正文信者脱会支援団体・救世の舟と電話によるコンタクトを取っていた。
事前に友人であり正文によって母を亡くした村元には相談しており、救世の舟は安心も信頼も出来るしっかりとした団体だと聞いていた。
電話に応じた羽山という代表に実は村元家と同じ地区である事を告げると、羽山はすぐに相談に乗ってくれた。
吉原が如何に汚い人間か話され、泰彦が「当然もう、知っています。」と答えると「話が早くて助かる。」と羽山は笑って応えた。
相談した家族が知らぬ間に洗脳状態に巻き込まれる場合もあるのだと言った。
「佐伯くん。吉原を失くした正文の信者のほとんどが仕方ないと諦めるだろう。中には目的を失って辞める者もあるだろう。今の会長はそれは承知の上で吉原を破門にした。」
「そうですか。まるで今の会長を見てきた、みたいな言い方ですね。」
「いや、吉原を破門にしたその現場にね、私は同席していたんだ。」
「え。それは…。」
「あぁ。ちょっとしたパイプがあるもんでね。」
「それは、とても頼もしいです。」
「うん。で、君の母さんなんだけどな。」
羽山からは万が一錯乱するようなら殴りつけてでも止めて救急車を呼んで欲しいとの旨と、深夜の放送後の郁恵の様子を注視して、後ほど伝えて欲しいとの事だった。
もし日に日に様子がおかしくなったり、吉原を今後まだ崇拝するような動きがあれば救世の舟が動くとの事であった。
康彦は羽山に了承の旨を伝え、家路を急いだ。
家に帰ると錯乱どころか郁恵は一歩も動く事無く、テレビに噛り付いていた。泰彦が晴政に様子を伺うと一日中この様子だと言うことだった。
郁恵を取り残したまま佐伯家の面々は今日一日の日常を終わらす作業を淡々と進めていた。
コンビニ弁当のごみを片付け、酒をやりながら晴政は郁恵を見守っていた。
泰彦と亮治は十時には就寝していたが、番組が始まる時間になると泰彦がリビングへ下りて来た。
「父さん。起きてた?母さんは…変わらずだね。」
「あぁ。あのまんまだよ。もうすぐ始まるな。」
軽快なテーマソングと共に番組が始まった。郁恵が「早く!早く!」と半日ぶりに口を開いた。
晴政はその声の大きさに思わず驚いてしまう。
司会者の原田 幸二郎は深夜には目立ち過ぎるほどのギラついた鋭い目つきをしながらテーブルの中央に座る。そしてゲストの政治学者や宗教研究家や政治家などを紹介した。
「さぁ、いよいよ正文「元」会長。吉原大源さんの登場です。どうぞ!」
そして吉原は伊勢、谷田部と共に「大源、光のマーチ」という正文教材ビデオのオープニングテーマになっていた曲と共に華やかに登場した。




