大詐欺師
真崎の登場に慌てふためく吉原大源。
真崎の会長としての権力を保証する条文を叩きつけられ、吉原はパニックに陥る。
車椅子に乗る老人はやせ細っており、黒縁の眼鏡すら重たそうに見えてしまう。髪もすっかり薄くなり、齢も八十を越えたはずだが、目の奥に秘めた意志的な輝きは昔のままであった。寧ろ年輪を重ねた分、その輝きは他者に畏怖を感じさせる力さえ蓄えていた。
正にそれこそ、真崎「名誉会長」の持つ力であった。
「んん…。おい。この会長室…随分立派な部屋だなぁ。」
真崎は部屋の隅々まで見渡すと、満面の笑みで吉原にそう語り掛けた。
ペルシャ絨毯の毛が車椅子のタイヤに食い込んでいる。
予想だにしていなかった真崎の出現に驚き、思わずソファから滑り落ちた吉原はこの世の悪臭をひと塊にしたような屁を無意識のうちに放り出し、慌てふためいた。
「い…!や…!いいい伊勢部くん!そそそそ、ややや、谷田勢くんでもいい!お、お、お、お茶を!すぐに!お出しして!」
咄嗟に伊勢と谷田部が顔を見合わせた。
「あの…私と、伊勢の…どちらですか…?」
「へぇ!?どっちでもいい!早く!」
慌てふためく吉原を無視するように真崎は車椅子を転がした。
「なるほど…あぁ、これは…なるほど…高そうなもんばかり…。車椅子とあっちゃあ、危なくて失礼になるかな…?あ、お茶なら要らないよ。とにかく、君ら三人はそこへ座り直しなさい。」
三人が俯いたままソファに座り直す。
三人は互いに目配せし合ったが、この状況では何ひとつ暗黙の答えは生まれなかった。
真崎は車椅子を吉原の方へ方向転換させた。
「よぉ。誰がイカレ脳梗塞だって?」
「い…イカレ脳梗塞!?」
「ふん。しらばっくれんな。聞こえてたぞ。」
「いや!断じてですね、先生、あの、そんな汚い言葉は、あのですね、私申したのは「光恩高徳」と申したのです!光恩高徳。数々の素晴らしい功績を残された真崎先生の事です!いやはや!その先生がこうしてご健在で、あの、何より!」
「馬鹿言うなよ。おめぇの素性なんかこっちはとっくに知ってんだ。」
「いやはや!この大源!嘘など申しません!ハッキリ言わせて頂きますと…人が良すぎて損ばかりの人生です!先生、あの、しかしですね、その、死んだは、いや、立派に健在復活してですね、元気そうで本当に何よりです」
「おい。駐車場のベンツ、あれおまえのか?」
「いやはや、そのですね…ご覧になりましたか?」
「おまえは…また…随分金の掛かる車に乗ってるな。」
真崎の信条のひとつに「清貧」があった。いくら正文という組織が大きくなろうとも、真崎は会長でありながらも清貧を貫いた。しかし当時副会長であった吉原は「あの馬鹿タレが糞つまらん貧乏ごっこに溺れ、金を遣わんのなら俺が使い尽くしてやる」と、その頃から全国で豪遊を繰り返す生活を送っていた。
「そのですね、ドイッツのベンッツに乗っておりますのは、あの、やはりあの車は頑丈でして、私は今や他教団から命を狙われる恐れもある為にですね、あの、防犯上の理由としてベンッツな訳です。決して見栄を張っている訳ではなく、所謂ですね、そう。そこまで正文が大きくなったという証でもあるわけでして…。なぁ!?伊勢!?」
「おおお、お!?おっしゃるおしゃ、です!」
余りに酷い伊勢の受け答えに思わず吉原は舌打ちを漏らした。
「おまえ…しかし……よくもここまで……。」
そう言うと、ふいに真崎は俯き、何かが堪え切れない様子で涙ぐんだ。
真崎の次の言葉を待たず、吉原がペルシャ絨毯の上に突然平伏し、何度も何度も頭を上げたり下げたりする。
「は…はぁ!先生の引退された後!ここまで、ここまでですね!必死にやって参りました!この大源、死ぬ思いでですね、ここまで正文帝国、あ、いや、正文学会を築きあげましてですね、つまり、正文は立派になりました!」
「本当に……よくぞここまで……」
真崎の車椅子を掴む手が震えている。
大源はそれをチラリ、と覗いた。
感動の為に震えが収まらんか。脳梗塞で頭がイカレてくれてて助かったわ…
吉原の口から、思わず笑みが零れそうになる。
吉原の脳内に再び悪魔的な思考の兆候が現れた。
当然私は感謝されるべきだ。私がここまで正文を大きくしたんだ!貴様ごとき「イカレ脳梗塞」はただベッドに横になって永眠を忘れ、床擦れするかしないか程度の事に怯え!そして惰眠を貪り続けただけの存在に過ぎない!!
感謝に感謝を重ねた末に「真崎にこのような偉業を成し遂げられずに申し訳なかった」と私に頭を下げるべきだ!!当たり前だ!
歩けも出来ない癖に今更しょっぱい連中引き連れてノコノコと出て来やがって!!
この!イカレ!脳梗塞めが!!
積年の糞の塊が脳血管に詰まり、破裂して今すぐ死ねば良い!!
吉原が悪どい思考をしている間に、真崎の涙はついに頬を伝った。
「吉原!吉原…!!よくぞここまで!」
「先生…!先生!その先は、この吉原大源、言わずとも分かりますから…どうか頭を下げないで頂きたい…!」
「馬鹿野郎!!」
「ヒィッ!!」
とても車椅子に乗る老人が出す声と思えない程の大音量で真崎は吠えた。その声は伊勢や谷田部の腹に響いた。
平伏していたはずの吉原は思わず飛び上がり、尻餅をついた。
真崎は怒りに満ちた眼差しを吉原に向けた。
「よくぞ!ここまで正文をめちゃくちゃにしてくれたな!!この詐欺師めが!!生き恥を知れ!!」
「ええ!?いや!あのですね、違うんです!その、そもそもが違くてですね、あの!な!?おまえら、な!?」
話を振られた谷田部と伊勢は吉原の言葉を無視し、溢れたお茶を拭き取る作業に没頭している。
伊勢に至っては
「左側お願いします。」
と谷田部に指示を出している始末である。
真崎が吉原ににじり寄る。
「おい…。何が違うのか、聞かせてくれよ。」
「あのー、ですね。私が、あの、先生の死後、あ!いや!倒れた後にですね、その、実は釈迦の生まれ変わりでですね、あの、そう釈迦に言われたんですよ。」
「うん。それで何が違うかって聞いてんだよ。」
「あのー、えーっと、なー…?違うんだよなぁ…その、そもそもなんですけど…違うんだよなぁ…」
吉原は禿げ上がった頭頂部を撫でながら答える。
「だから、何が違うんだって聞いてんだよ。そもそもって何だよ。」
「そのー、あの、やりたい、事?ですかねぇ…」
「だからそれは何だって聞いてるだろ。いい加減にしろよ。」
「あの、そのですね!つまり、正文ではダメだったんじゃないかなぁ、何てですねぇ…。」
「ダメって、おまえが今は正文の会長なんだろう?」
「あぁ、あぁ、はい。そうなんですよねぇ…。あの、釈迦が言ったんですよ?私じゃないんですよ?あの、そうつまり、あの、樋口さんや真崎先生の教えの下ではダメだよ~って、そう釈迦が言ったんですねぇ…あくまでも!あくまでも!釈迦ですよ…?従わないと私や先生の輪廻を断つとか何とかって……釈迦は本当、生意気ですよねぇ、はは、ははははは。」
真崎は額に手を当て、溜息を漏らした。吉原は目を白黒させながら、真冬だというのにも関わらず噴出す汗を必死に拭っている。
「吉原。伊勢。谷田部。」
「は、はい!」
三人の返事が「どもり」も含め、見事に重なった。
「おまえら、全員破門だ。」
「へぇっ!?」
「へぇじゃない。破門だ。おい。」
瀬川が用紙を三枚、彼らの前に叩きつけるようにして置いていった。
瀬川が吉原を見下ろす。
「あんた、人じゃないよ。もう、うんざりなんだ。」
「な…何を貴様ぁぁぁああああああ!!」
吉原は絶叫して立ち上がる。だがすぐに松下と野村に羽交い絞めにされてしまった。
それでも吉原は突然の宣告に対する怒りが収まらず、ついに怒りを真崎にぶつけ始めた。
「ふざけるなふざけるなふざけるな!正文は!この正文は私のものだ!私の国だ!私の為に存在する国なのだ!それをこんなイカレ脳梗塞に!くそったれえええええええ!!」
真崎はその言葉を受け、思わず噴出してしまう。
「あーあ。こいつやっぱり言ってたんじゃないか。なんだよ。」
「私は、私は認めんぞ!大体何の権利があるんだ!貴様ごとき老いぼれに!!」
「おまえ、会長だろ?正文第十三条。忘れたか?」
「それが何だ!?何の関係があるんだ!」
「おい、瀬川君。」
「はい。「会員資格について。本人からの脱会の申し出、死亡、破門を含む懲戒処分や降格処分が無き場合には会員資格または各役職の効力は失わないものとする。」です。」
吉原は大きな鼻の穴を思い切り広げながら吠えた。鼻毛が揺れる。
「だからなんなんだ!なんなんだ!私が一番偉いんだ!!誰も私を破門になど出来るものかぁ!!」
瀬川は吉原に告げる。
「「死亡、破門を含む懲戒処分や降格処分が無き場合には会員資格または各役職の効力は失わないものとする。」ですよ。真崎会長が倒れた際は前例が無かった為に緊急処置として、名誉会長という座に就いてもらっただけに過ぎません。こうして復帰なされた今、先生は会長としての効力を戻されただけに過ぎませんよ。死亡した訳ではありませんからね。あなたには会長としての権利は最早、ないのです。」
「いや!いやいやいやいやいや!!ちゃんと私は公平な判断の下で!!選ばれた正規の会長だぞ!!」
救世の舟・羽山が吉原の前へ出る。
「あんた、あの選挙の時に相当な根回ししたんだってな?証言と証拠なら、ここにたんまりある。提示すればあの選挙は無効に出来る。俺もあの場に居た人間だ。分からないか…?」
「羽山!貴様ぁ!くぅぅうううう!!」
「俺が正文を離れてだいぶ経つがな、あんたのおかげで死んだ人間、沢山見てきたぞ。夫を残し、妻を残し、子供を残し、それぞれ人生を豊かにする目的で入ったはずの正文によって苦しめられ、そして死んでいった。おまえは…何とも思わんかい?」
「何がだ!私には関係ない!全く関係ない!死にたいやつらは結局何をしても死んだんだ!維新が進んでいなかった、ただ、それだけの話じゃないか!!」
「その「維新」の根拠は?」
「私も、聞いてみたいな。」
真崎が微笑む。吉原は俯き、そして黙り込んだ。伊勢と谷田部の中年二人は震えながら抱き締め合い、まるでこの世界の終わりを見つめるような眼差しで吉原を眺めている。
羽山がにじり寄る。顔面を極限まで近づけ、声を掛けた。
「詐欺師の大先生よ。ビビッてんじゃねーぞ。何人死んだと思ってんだ。」
吉原は重たい口を、静かに開いた。




