男三人
年末講話から帰って来た佐伯郁恵は自宅でヒステリックを起こし寝込んでしまう。
夫・晴政が思う事。そして、奇跡的に的中の兆しを見せた吉原の予言。
1994年12月の終わり。正文本部会館にて行われた、年内最後の吉原大源による説法会に出掛けた佐伯郁恵はその日、帰宅するやいなやヒステリックになり、家族に当たり散らすように全身全霊で絶叫しまくった。
「なんで!?何でなのよ!!わたしにはぁ!分からない!分からない!分からない!分からない!分からない!」
リビングのドアを開けたり閉めたりしながら絶叫する郁恵。おかげで廊下の冷気が部屋へ入り込み、部屋の気温がどんどん下がっていく。全く状況の飲み込めない夫の晴政がその姿に驚き、とにかく宥めようと郁恵に駆け寄る。
「おい。母さん…おかえり…ちょっと落ち着けよ。なぁ?座ろう。な?」
郁恵はドアから手を離すと晴政の胸ぐらを両手で掴んだ。そして前後に揺らしながら絶叫する。
「無理に決まってんじゃないのよ!何言ってんのよ!頭馬鹿なんじゃないのあなた!!あなたよ!あなた!おまえだよー!おまえー!!」
揺れながらも晴政は郁恵を宥める。
「だから、何が、あったか、分から、ないけど…」
「私にだって分からないわよ!もうダメよ!ダメなのよ!ダメなのよぉぉぉおおおお!!」
「いいから、とにかく、落ち着けって…」
「あああああああ!!もうお終いだわ!人類はあと五年しか時間が無いのよ!ねぇ!私まだ死にたくないの!死にたくない!」
「だから…一体何なんだよ…。」
騒ぎを聞きつけ、泰彦と亮治もリビングへ駆けつけた。
郁恵は床に突っ伏して嗚咽を漏らしている。
泰彦が怪訝な顔で晴政を眺めるが、晴政も「さぁ?」と両手を広げて返す事しか出来ないでいる。
男三人で固まって郁恵を眺めていると、郁恵が急に立ち上がった。
「あなた達!亮ちゃんも!いい!?人類は!あと五年なのよ!!」
「何が…?オリンピック…?」
「ちーがーうーわーよー!!」
亮治の的外れな答えに郁恵は髪を掻き毟りながら苛立ちを見せつける。
「滅亡よ!大源先生から今日発表があったわ!人類はあと五年で滅亡よ!!」
「………………。」
男三人は顔を見合わせ、黙り込んだ。
郁恵は時折怒鳴ったり、ヒステリックになった事はあったがここまで酷く荒れているのを見たのは三人共初めての事であった。
泰彦が頬を掻きながら郁恵に言った。
「滅亡…何で……?」
「わかんないわよ!!言ったきり先生退場なさったんですもの!」
その時、郁恵が宙を眺めながらハッと息を飲んだ。
「あ!分かった!分かったわ!維新がね、皆進まないから滅亡するって先生仰ってたのよ、そうだわ!だからあなた達、ボサッとしてないで広宣!広宣してきて!ほら!早く!一日でも早く人類全員を入信させないと人類は滅亡するのよ!!」
泰彦が溜息をつく。
「母さん…そんなに重大な事なら明日祈信新聞に発表が出るんじゃないの?あまり慌てて行動したらかえって先生の迷惑になるんじゃないの…?」
晴政も続ける。
「あぁ、泰彦の言う通りだ。何せ、広宣しろって言っても、その滅亡が何によるものなのかも分からないし…具体的にどう対策すれば良いのかも分からないしな…。だからとりあえず落ち着こうぜ?母さん、座ろう。まずは座って話そう。」
「…確かに、そうだわね。けど、あなた!あなた!私まだ死にたくないわよ!」
郁恵の白い額に青い血管が浮き上がり、目が血走っている。
「うん。それは俺も同じだ。死ぬなんてゴメンだよ。まだ亮治だってなぁ?小さいんだし。」
亮治は無心で頷いた。そしてその場を静かに離れた。
「そうでしょ!?でしょ!?ねぇ!きっと滅亡って言うんだから、あれよ!隕石よ!隕石だわ!死にたくないからあなた!地下にシェルター作ってよ!あなた大工なんだから作れるでしょ!」
「馬鹿言うなよ。一旦更地にしないと無理だよ。」
「馬鹿!?何でよ!?穴掘れば出来るでしょ!?台所の床に野菜入れる所あるじゃないの!あそこ改造すればシェルター出来るはずよ!」
「あのなぁ、家ってそんな簡単に増改築出来るもんじゃないよ。とりあえず、座ってくれよ。」
「あああ〜…あああ……」
郁恵はソファに座ると同時に電池が切れた様に項垂れた。
郁恵が半狂乱なのをチャンスと捉えた亮治は、台所にあったポテトチップスの袋を開け独り占めしている。
晴政は郁恵の肩先にそっと触れると、そのままゆっくりと抱き寄せた。
頭をくっ付けようとすると、郁恵から昔のような女性特有の柔らかな匂いが消えている事に気付いた。
それが加齢によるものなのか、郁恵の今の姿が自分の嗅覚を鈍らせているのか、晴政には判断がつかなかった。
しかし、郁恵を抱き寄せた事により寂しさを覚えてしまったのは確かだった。
せめて温度だけでも伝えようと郁恵の頭に自分の頭を重ねたが、ただ肌と肌が触れ合う虚しい感触しか感じなかった。
そして、晴政はもう何年も夜の営みが無い事を急に思い出した。
互いに、もう愛していないのかもしれない。
晴政の頭にふとそんな想いが過った。
郁恵はその直後に熱を出し、それ以上何か話す事もなく早々に就寝した。
眠る前、パート先に欠勤の旨を伝える連絡をしていた。
男三人で食卓を囲み、洗い物を済ませた晴政がグラスを持ってソファに座り、先に座っていた泰彦に話し掛けた。
「泰彦。少年部、行ってるのか?」
「うん。行ってるよ。」
ビデオテープを持った亮治がそろそろと近寄って来た。
「あのさ、お母さん…寝てるよね…?」
二人は頷く。
「お母さんいると観れないから…録画した「おぼっちゃまくん」観て良いかな…?」
二人は笑いながら頷いた。
亮治がビデオに夢中になる横で晴政は続けた。
「そのうち、辞めるんだろ?」
「うん?もちろんそうだよ。母さんのバランス取るために行ってるだけだし。」
「少年部ってどんな事してるんだ?」
「大源のテープ観て感想書くんだよ。偉い奴がそれチェックして、これは良くない、裏へ来なさい。これは良いから皆の前で発表しなさいとかやってる。洗脳目的の馬鹿の集まりだよ。」
「裏へ連れてかれて…何されるんだ?」
「なんか説教されるらしいんだよね。大源先生をもっと理解しなきゃダメだよって。仏教じゃないよ、あんなもん。」
「洗脳教育だな…。母さんな、あれ以上酷くなったら力づくでも病院連れて行こうかなって思ってるよ。」
「……病院ねぇ……。」
「反対か?」
「いや、最終手段としては良いんじゃないかな。でも…きっと恨むだろうね。」
「俺は恨まれてもいいよ。」
「それじゃ家族じゃなくなっちゃうじゃん。村元ん家みたいになるの、俺嫌だよ。」
「まぁ…その前に相談出来る所にはしてみるけどさ。」
「アテ、あるの?」
「救世の舟って団体、前に教えたろ?」
「あぁ……そうだったね。」
「そこに頼ってダメだった時は、郁恵を無理にでも正文から引き離すしかない。」
「んー…無理矢理かぁ…」
泰彦は額に手を当て天井を見上げた。
晴政はその横顔を見て泰彦が近頃だいぶ、大人びてきたと感じていた。
「今日の母さんの取り乱し様見てたらな、そろそろヤバイなって思ったよ。吉原も本当、余計なこと言いやがるな。」
「滅亡とか言い始めたら大体その宗教自体が滅亡するんだけどね。」
「ははは、本当その通りだ!」
年明け。一月の終わりにその話が現実となる事を二人はまだ知らなかった。
1995年1月17日朝。
大地震が神戸の街を襲った。
テレビを点けた晴政、そして郁恵は絶句した。
泰彦は青ざめた顔で爪を噛んだ。亮治は不安げにテレビを眺めている。
浅見賢太郎は吉原大源の無事をすぐさま確認した。
一人、両手を上に大きく広げ、大喜びする者があった。
吉原大源であった。




