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カーテン  作者: 大枝健志
正文学会編
5/66

巡命式

母が購入した宗教の仏壇。

それが届いた日の夕方、佐伯家には見知らぬ人々が集まった。

そして始まった「巡命式」


泰彦と亮治は母の変貌を知ることになる。

巡命式。


青スーツの男が高々に宣言すると、その場に居た者達全員が座ったまま深々と頭を下げた。

先程までの態度が嘘のように、智久と細面も素直に深々と、しかも額を畳にしっかりとつけている。

座ったままの泰彦と亮治は顔を見合わせ、これから何が始まろうとしているのか分からずにいる。

すると青スーツが二人に微笑みかけた。

それが本心からの笑みだというのが分かり、泰彦と亮治はもやもやとした不気味な想いに支配された。


青スーツは頭を下げたままの母、郁恵の元へ歩み寄るとポケットから10cm程の金色の棒を取り出した。

青スーツが念仏らしきものを唱え始める。

頭を下げる者達も合唱する。


「まーだらくんだらーはみだらーまやーらだーまーだらくんだらーはみだらーまやーらだー」


低く、唸るようなその念仏に亮治はとっさに目を瞑り、耳を塞いだ。

泰彦はこれから始まる事を一切見逃しはしまいという面持ちで、真っ直ぐ前を見つめている。


すると念仏に混じり、小さくコンコン、コンコン、と音がする。

コンコン、コンコン、コンコン

木魚のようにテンポ良く、小さく、コンコン、コンコン、コンコン。


音に気付いた泰彦が青スーツを見ると、念仏を唱えながら母の頭を金色の棒で小刻みに叩いている。


まーだらコンコンくんだらーコンコンはみだらーコンコンまやーらだーコンコン


次第に嗚咽が混じる。それは母の嗚咽であった。

とっさに立ち上がった泰彦を青スーツの男が念仏を唱え母を叩きながら、笑顔で制止する。


大丈夫。というように。


亮治は恐怖から目を瞑り耳を塞いだまま、何も聞こえないように「んー!んー!」と唸っている。


すると太った智久が頭を下げたままの姿勢に耐え切れず、念仏を唱えながら横に転がってしまった。


「まーだらあああぁ、あっあっ」


その刹那、猫が獲物に飛びつくような勢いで青スーツが転がった智久の元へ横っ飛びし、その肥えた身体を蹴り飛ばした。

転がった身体が押入れの襖に当たり、ガタン!と音を立てる。


青スーツはすぐさま元の位置に横っ飛びし母の頭を叩き始め、智久は何事も無かったかのように座り直しまた念仏を唱え始めた。


泰彦は恐怖を感じながらも、この宗教に集まる人達の想いの強さや結束力の強さがどこから来るものなのかを考えていた。

蹴り飛ばしたのにも関わらず、彼らは念仏を続ける。そして蹴り飛ばされても何かを訴える訳でもない。

一瞬ではあったが、何も起こってはいないかのように元の位置に直っている。


泰彦の胸の不気味な想いは徐々に色濃く浮かび上がり、それが黒い色だとはっきり分かった段階で念仏が止んだ。

全員が頭を上げて仏壇を真っ直ぐ、力強く見つめる。


しん、と静まり返り亮治の「んー!」という響きだけが部屋を駆け巡る。


中学生のニキビ面がコホン、と咳払いをすると泰彦はニキビ面を訝しげに睨みながら亮治の背をそっと叩く。

念仏が止んだ事に気付いた亮治は耳を塞いでいた手を放し、泰彦の袖を掴んだ。


母が後ろに向き直るとそっと微笑み口を開いた。


「お母さんね、悲しくて泣いたんじゃないのよ。嬉しくて泣いたの。」


周りからクスクス、という声が漏れる。


初老の女が痰混じりの声で言う


「今日は良い日だからね。お母さんね、嬉しかったのよ。」


それはさっき聞いたよ、と泰彦は思いながらも何も返事をしなかった。

亮治は何が起こったのかすら分からず、濡れた瞳の母を突然見た事で不安になっていた。


青スーツの男がそれでは、というと全員がまた前へ向き直る。

青スーツが仏壇の扉を開くと、中に一枚の紙のようなものが貼り付けてある。

漢字でも梵字でもない、かなり崩れた文字が墨で書かれている。


これが二百万?


泰彦が想像していたのはもっと金色に光り輝く豪華絢爛な仏壇であったが、開かれた仏壇の中身は汚い文字が書かれた紙が一枚貼り付けられただけの、非常に質素なものであった。


「大源」


という文字が書かれてある事に気付いた泰彦は、いつか観たアニメの事をふと思い出した。

あの人がこれを書いたのか。


だから二百万なのか。


不気味な不安に包まれた胸の底から、怒りがメリメリとそれらを破壊しながら這い上がって来るのを泰彦は感じていた。


息を大きく吸い込んだ青スーツが突然大きな声を張り上げた。

亮治の肩がビクッと跳ね上がる。


「巡りいいいいい!繰り返すうううう!命の源への回帰へえええええ!招きたもおおおおおお!」


泰彦と亮治以外の全員が復唱する。


「招きたもおおおおおお!」


母が頭を下げ、青スーツが座ったままの母を見下ろす。

するとまた大きく息を吸い込み声を張り上げた。


「佐伯郁恵!維新を完遂する心を持ち、回帰するか!?」

「はい!」

「回帰するのか!?」

「はい!」

「維新完遂された大源先生の一部となれるのか!?」

「はい!私はなれます!」

「本当になれるのかあああ!?」

「なれます!」

「声が小さい!」

「なれます!」


すると青スーツが顔を真っ赤にし、更に声を張り上げる。


「貴様ぁあああ!ケツから屁ぇこいてんじゃねえん、だぞぉぉおおお!?」


青スーツの叫びは普段恫喝するような言葉に慣れていないのか、大きな声の割に棒読み気味で、非常に不安定な曲線を描いた。


「はいいいい!なれます!なれます!なれます!なれます!ああああああ!」


郁恵も負けじと、青スーツに縋るように叫ぶ。

亮治は余りの恐怖に顔を背ける事すら忘れ身を震わし、泰彦は想定外の展開に思考が絡まり始めていた。


「なれるか!?」

「はい!」

「大源先生は!?」

「人の道しるべ!」

「大源先生は!?」

「人の道しるべ!」

「大源先生はあああああ!?」

「人の道しるべええええ!」


青スーツは真っ赤に染まった顔で頭を振りながら郁恵に問いかける。

周りの者達は全員感動すら覚えてるような様子で、涙ぐみながらそれを見守っている。


あまりに興奮して頭を振り過ぎたのか青スーツの頭に乗っているものがズレ始めたが、それにも関わらず意味不明な問いかけを郁恵に続けている。


「大っ源!せんっ!せえっ!ええいはぁああ!?」


身体がフラつき始め、声も掠れ始める青スーツ。

そしてついに頭に髪が乗っている、どころか付いている、という状態になり、それはスルッと落ちてしまった。


それを見ていた亮治は何故かギロチンで首が撥ねられる瞬間を連想してしまい、身を固くした。


「大源先生はあああ!道しるべええええ!です!」


郁恵が絶叫すると青スーツがパン!と両手を打った。

それに続き、周りの者達が拍手をする。


貧相な頭を曝け出した青スーツが郁恵に微笑むと、やあやあと言いながら肩を叩く。

張り詰めた空気が一気に解かれ、それぞれが足を崩し一斉に郁恵を取り囲み口を開いた。


「郁恵さん、本当に良かったわねぇ。」

「こんな良い巡命式、久しぶりだったわぁ。」

「おまえら早く少年部に来いよぉ!こんな良いお母さん居たら共有も早いぜ!」

「だ、だ、大源先生のお力がみ、見えました。す、凄いかったです。」


青スーツはその場にへたり込み、力無く落ちた髪の毛を拾うと慣れた動作で頭に装着した。


「き、君達ね。君達の母さんは、強い。回帰すればきっと大源先生の大切な一部になる。わ、私も負けてられんが、敵うか分からん。ハッ、ハッハッ」


息も絶え絶えで青スーツが笑うと周りの者達も笑い、郁恵も涙目で笑顔を見せた。


そこに居る母は亮治の知らない母の姿であった。

まだお金の事で悩み、帳面の前で苛立つ母の方が身近に感じられたし、その母に会いたくなってふと泣きたくなった。


泰彦はその光景をじっと見つめながら親指の爪を噛んでいる。

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