それぞれの選択
晴政、泰彦、亮治。佐伯家の男三人は幸せを取り戻す為に行動を起こす。
確実に、そして着実に。
泰彦が亮治の隣に腰を下ろす。
一瞬、その間に隙間を作った亮治を晴政は見逃さなかった。
すかさず泰彦が亮治の頭をぶっきら棒に撫でた。
「亮治、会館で言った嘘っこ終わり!あー、疲れたぁ!」
「えっ…兄ちゃん、嘘だったの?」
「ったり前じゃん!何が正文だよ、アホくさー!」
亮治は子供らしい笑みを浮かべた。
ずっと不安だった気持ちを隠していたのだろう。
父・晴政には二人のやり取りの内容が把握出来なかったが埋められた隙間を見て、二人の間の溝は埋まったのだと理解した。
煙草に火を点け、泰彦に聞く。
「亮治に嘘ついてたのか?」
「そう。だけど必要な嘘だよ。父さんも良く使うでしょ?」
その言葉に晴政は思わず噴き出してしまった。そうだな、と漏らす。
「今日あった事話すね。母さんと亮治と映画に行きました。そこは正文会館でした。吉原大源の映画でした。最後に本人が出てきました。何故か俺が指名を受けて話しました。適当に返事をしたら母さんはガッカリ。だから嘘をついて正文に興味のあるフリをして吉原大源に頑張りますと言いました。母さんは喜びました。帰りの電車でも興味のあるフリをしました。帰ってきてから母さんが出て行きました。嘘、終わり!」
やはり、ただの映画じゃなかったのか。
晴政は郁恵を思いながら本当に他人になってしまったな、と痛感する。
子供を騙すなんて、あまりに卑怯ではないか。
「泰彦、大丈夫なのか?」
「俺は吉原のオッサンがペテン師だって分かったから大丈夫。騙されてる奴らが頭悪過ぎてかわいそうに思えるよ。もう怖くないね。」
「あぁ、それなら良かった…。なんだかまた一段と大人になったな。」
「もう母さんの事はすぐにどうにか出来ないの分かったから、今日は奴らを分析してたんだ。亮治、母さんにはもう期待するな。今日からこれが母の味だ。」
そう言ってコンビニのビニール袋を指差すと亮治は泣きそうな表情を浮かべて見せた。
晴政がちょっと、と言う。
「父さんな、最近暇だから料理始めたんだ。父さんが母さんになる。」
亮治が不思議そうな顔で尋ねる。
「唐揚げは?作れる?ねぇ、お父さんがお母さんになったら、お父さんどこにいるの?」
「唐揚げは作れる。任せろ。お父さんとお母さんは、兼任だ。」
晴政が胸を張る。
「ケンニン?お母さんどうするの?」
「……。母さんには…ちょっとの間、ナムナムしててもらおっかな。」
「やだなぁ…。」
泰彦が割って入る
「やだでも何でも仕方ないよ。全部正文が悪いんだから。父さん、今は母さんに無理矢理やめろとか、逆らったりしないで少しずつ興味のあるフリを続けて行けばいいんじゃないかな、と思うんだけど。」
「それは父さんも思った。母さんがあぁなってしまった以上、反発すれば余計に正文にのめり込むだろうな。」
「氷はさ、砕くより塊を溶かす。そうだよね?」
「お酒に入れるやつな。ていうか、おまえ良くそんな例えが浮かぶな。」
「頭良いし、若年寄なんだ。」
「若年寄は少し、違くないか…?」
泰彦と晴政は今後の佐伯家の在り方を話し合った。
家庭内では正文を邪険にはせず、なるべく興味がありそうに母の話を聞く。
否定は決してせず、大きく肯定もしない。
しかし、常に正文を疑う心は忘れない。
晴政の提案でいつかはここへ相談しよう、という事で泰彦は救世の舟の電話番号を控えた。
当面の目標は「とりあえず」家庭内の平穏を保つ為であった。
正文という仮面を付けながら、本来の佐伯家へいつか戻る為に。
仮面を脱ぎ捨て、母を取り戻すには長期的な計画と時間が必要だと晴政も泰彦も、そして亮治さえも理解していた。
亮治なりに努力をした。母が勧めるビデオを観るときは頭を空っぽにし、ドラゴンボールの続きを空想しながら流れる映像だけを観る。
時にストーリーに悟空やクリリンを登場させ、吉原を元気玉でやっつける空想をしたりもした。
コンビニ弁当にも文句を言わないようにした。
大嫌いな「正文タイム」を削る為、次に大嫌いだった学校の宿題や勉強に打ち込んだ。
泰彦は潜入捜査気分で正文少年部へ入会し、家族を代表して母が家庭内で発狂したりしないようサポートする役割を買って出た。
それは弟の亮治を正文に巻き込まない為であった。
中学受験は諦め、公立の中学へ通う事にした。
母は最初猛反発したが、中学を出て正文高校に入学しようと思う、と熱を込めて母へ伝えると狂った牛のように喜びを露わにした。
無論、そうなる事は泰彦は計算済みであった。
泰彦は欺瞞のヤル気を見せつけ、正文に自ら進んで首を突っ込んで行ったのだ。
晴政は久々に大手の受注を受け長期の現場を確保した。
それに、近所の正文男子部達が集まり行われる勉強会や会合などに時折顔を出した。
世間話をする分には極一般的な信者達だが吉原の話になると途端に目の色が変わった。
それも「かわいそうな人達」と思えばこそ何という事はなくなり、「広宣」と呼ばれる勧誘活動に誘われれば「やりましょう!」と乗り気になり、ヤル気を見せ、全て予定の二日前にキャンセルをするという行動を繰り返した。
晴政は知った上で相手の期待を裏切り続け、それでもなお消炭に火をつけたようなヤル気を見せつけ、相手の期待が萎んで行くのを待った。
郁恵は正文婦人部として活動の幅を広げ続けた。
「清財」が昇進の鍵を握っている事を知っていた晴政は、会社や家庭の口座を別に移す事で郁恵が把握し自由に出来る金を制限した。制限する事で裏から郁恵の昇進を食い止めていた。
仕事はあり、金は当然入って来ていたが郁恵には単価が安いなどと言い金に余裕が無いフリを突き通した。
清財の為にパートしようかしら…と郁恵が呟いたのを聞くと晴政はすぐに賛成してみせた。
外へ出れば正文の活動時間も減り、刺激にもなる。
数ヶ月後、郁恵はスーパーのレジ係のパートを始めた。
平穏と言えば平穏な日々。しかし、歪んで行く流れを止めただけでそれまでに歪んだ姿形はそのままで時を止めていた。
それから一年後。
泰彦は中学一年になり小池や長谷川、そして村元や野崎と同じ区域の中学校へ通っていた。
亮治は小学四年になるとサッカークラブに通うようになった。遠征やサポートは晴政が務めた。
晴政の仕事も時折途切れはしたが生活には困らない程度に安定した。
母・郁恵はブロック婦人長となっていたがブロック婦人長止まりのまま、パートと正文の活動と忙しない日々を過ごしていた。
それは1995年を目前に控えた1994年12月の事であった。
正文信者達を揺るがす大激震、そして大いなる戸惑いが巻き起こる。




