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カーテン  作者: 大枝健志
吉原の大誤算
47/66

狂った盲信古時計

1993年


不況の波に飲まれた佐伯家

かつての幸せな日々は掴み所のない煙のように消え掛けていた。

幸せの香りだけを残して。

 1993年


 春。学校から帰って来たばかりの泰彦と亮治は、夕方放映のアニメ番組を観ようとテレビの前に陣取った。

 そこへ母・郁恵がやって来て今日はもっと面白いアニメがあるからと、郁恵の提案でとあるアニメビデオを観る事になる。


 再生するとすぐに真っ青な画面が映し出され、そこへ

「正文学会」

 の文字が浮かび上がった。


 その途端、泰彦は戦慄を覚えた。村元家で前年の夏、経験した苦い思い出の映像達が一挙にフラッシュバックしたのだ。

 いつかスーパーで父が見知らぬ婦人に話しかけられていた事を思い出した。

 やはり、母は正文信者だった。


 小学校三年生の亮治の目に映ったそれは母の言うようにアニメである事には違いないが、主題歌が流れると何処か不気味で奇妙な印象を受けた。

 あまりデフォルメされていない生々しい描かれ方のキャラクター達も亮治には受け入れ難かった。


 本編が始まる。主人公の大学生は学校へ行かず酒、麻雀などに明け暮れ自堕落な生活を送っていた。ある日それを見兼ねた両親に連れられ、大勢の大人の集まる施設へ向かう。

 そこで皆と同じように念仏のようなものを唱える事となる。

 念仏を唱えるとすぐに青年に変化が訪れた。

 青年の暗く陰鬱だった印象の顔つきが晴れやなものになり

「力が湧いてくる!」

 と喜びの表情を見せた。


 そして青年は自堕落な生活を改め、スポーツと学業に勤しむ好青年へと変貌を遂げる。

 その後、青年は仲間をその施設に連れて行き、やはり念仏を唱えさせている描写が続く。


 物語の終盤、青年は施設にて「大源先生」と呼ばれているその組織では偉いと思われる人物と対面する。

 すると何故か青年が大源なる人物に向かい拝み始め、あまりの感動で泣き始めた。

 大勢の大人達に囲まれた大源なる人物は最後、驚く事に光に包まれて消える。

 辺りを見回す大人達。

 すると心の中に大源の声が響く。


「私は皆と共にいる。」


 と。


 亮治はこれが純粋に観て楽しむアニメでは無い事を途中で理解した。しかし、道徳の授業のような、人として正しい事を教える、というものでも無いという印象を亮治は受けた。


 感想は「つまらない」の一言に尽きた。


 ロボットは出ない、戦いは起こらない、それどころか敵も出ない、最後に出てきた老人も何故光って消えたのか?光って消えずにその場で皆に話せば良いのに、と亮治の胸には不満しか残らなかった。

 しかし、このつまらないアニメからは何か大人の目的のようなものを感じ取っていた。


 お母さんがこのアニメを勧めた理由は一体何なのだろうか。

 テレビで観たことのないアニメだし、第一面白くない。

 すると、兄の泰彦が上に行こうと腕を引っ張った。


 泰彦は亮治を二階部屋に連れて行くと、あれは「シューキョー」だと言った。

 母さんが「シューキョー」にハマってしまったと。


 シューキョーって一体、何だろう。とても「ヤバイ」ものらしい。

 亮治はその聞き慣れない正体不明のシューキョーという響きに、強く嫌悪感を感じていた。


 それからしばらくすると、巨大な漆黒の仏壇が居間に届けられた。

 母は朝と夕方になるとそれに向かい呪文のようなものを唱え始めた。


 それからすぐ、佐伯家に大勢の大人と子供が集まり「巡命式」という儀式を行った。

 泰彦も亮治も母からは何も知らされておらず、半ば強制的に参加させられた。


 見知らぬ子供達が泰彦と亮治のゲーム機やソフトを勝手に弄り回し亮治は怒りを露わにした。

 少年達はまた、母が用意したオードブルの揚げ物を畳の上に投げつけた。

「マズイ」

 という理由で。


 少年達は俺たちは皆「キョーユー」しているから自分達も泰彦達も同じ。だから良いんだ、と言った。

 亮治には全く理解不能だった。

 泰彦は終始爪を噛みながら何かを考えている様子であった。

 それが泰彦の苛立ちのサインだということを亮治は知っていた。


 儀式が始まると青色のスーツを着た老人が来て、母の頭を金属の棒でコツコツ叩きながら何やら呪文を唱え始めた。


「カイキ出来るか!?」


 そう大声で母に尋ね始めると母は大声で負けじと


「はいいいいい!!」


 と返事をしている。あの優しい母が絶叫している。倒れ込む寸前までその大人と母は絶叫問答を繰り返している。泰彦と亮治の目に映った母の姿はまるで別人のようだった。


 皆が何をしているのか、何のためにしているのか、亮治には意味が分からない。

 亮治は母の豹変ぶりと先の全く読めないその儀式に恐怖し、耳を塞いだ。


 母は壊れてしまって、家には知らない人達が大勢出入りする。

 日を重ねる毎に母は家を留守がちになった。

 泰彦はシューキョーのせいだと言う。

 父・晴政は相変わらず仕事が暇で家に居て、朝からお酒ばかり呑んでいる。

 時折、頭を抱えて何か独り言を呟いたりしている。

 亮治にもそのシューキョーというものが普通ではない事なのだと分かり始めていた。

 何よりもそのシューキョーの少年達が好きになれなかった。

 妙に大人びた話し方する割には他人の家で我が家のように振る舞い、キョーユーやイシンなどの訳の分からない言葉を使い、その度にそんなことも知らないの?と、彼等は亮治を小馬鹿にしていた。


 母の居ない日の夜、シューキョーの話になると最近あいつの目が変わる、と父が泰彦に愚痴を零していた。

 それは亮治にも分かっていた。

 正文の本は読まない?アニメもっといっぱいあるのよ?もう観ないの?と、泰彦と亮治を誘う母の眼差しには強い意思を感じさせるものが宿っていた。それは亮治を堪らなく不快で不安にさせた。


 儀式から数日後、母は「この前は驚かせてごめんね。一緒に映画観に行こう。」と急に泰彦と亮治を映画に誘った。

 その眼差しは、かつての優しさに満ちた良く知っている母のそれに違い無かった。


 前の、昔の、優しかった知っている母さんが戻ってきた!無条件で泰彦と喜び合った。

 それはシューキョーではなく、良く知っている母の目だった。


 わくわくしながら電車に乗り込んだ。母と泰彦の背中を見失わないように亮治は必死だ。

 なにせ、久しぶりの母との外出で浮き足立っていたし、行先も都内だったのだ。


 人混みを抜け、三人が辿り着いた場所は映画館では無く正文会館という場所だった。

 いつかのアニメで観た、変な大人が大勢集まる場所だった。


 泰彦と亮治は真顔になった。

 幼い胸に膨らんでいた母への大きな期待はその時、得体の知れぬ悪魔の嘴により一瞬にして大穴を空けられ、見事に破裂した。

 その衝撃が二人から言葉を奪い去った。


 母が振り返り、笑顔で言う。


「どうしたの?映画、始まっちゃうよ?」


 スクリーンには醜く、汚く、肥えた老人が映し出された。

 いつかのアニメで観た大源先生の実物との事だ。

 母がしきりに「ほら、ちゃんと観て。先生よ。しっかり観なさい。」と促してくる。


 同じ年頃の少年達が多くいる。

 皆、熱心にスクリーンに見入っている。


 隣にいる母の中に居た優しかった母はもう二度と帰って来ないかもしれない。

 亮治は不安で胸が張り裂けそうだった。


 上映が終わると舞台が照らし出され、スクリーンの中の老人が壇上に現れた。

 突然の登場に泣き出す者、土下座する者、立ち上がり気が狂ったように拍手をする者が大勢居た。

 会場内はどこを見ても異常な光景が広がっていた。

 もちろん、隣に居た母も頭を抱えながら狂った牛のように狂喜乱舞している。


 あの何の魅力も感じない汚い老人の何が彼等の、また母を熱狂させているのか亮治には全く分からなかった。

 その空間はあまりにも日常とはかけ離れていた。


 老人が喋り出すと泰彦が何故か老人から指名され、話をする事になった。

 泰彦の事を聞いた事のない名前で呼んでいる。

 ゼンセで一緒に遊んだでは無いか!と老人は嬉しそうな様子だが、泰彦の表情は仮面のように微動だにしない。

 母はそんな泰彦に自らのあからさまな失望を押し付けていた。


 老人の話が終わると泰彦が手を挙げた。


「嘘をつく」


 と言う旨を泰彦は亮治に小声で伝え、老人に向かい笑顔で

「頑張ります!」と宣言した。


 老人は満足そうな笑みを浮かべ、この子は成長すると返した。

 母の態度は豹変し、喜びを伝える為に全力で泰彦を抱き締めていた。


 一瞬、その様子を見て亮治は羨ましいと感じたが、何故かしら本当に欲しい母からの抱擁では無いと思い、違和感を覚えた。


 帰りの電車の中で泰彦は母に正文の事を色々と尋ねていた。

 その活動の目的が大源先生の一部になること、というのが亮治にも分かった。


 一部になったら僕は何処になるんだろう。足か、あの髭が、薄い頭か、腹か。

 そう考えるとゾッとしてしまい、考える事をすぐに止めた。


 コンビニで夕飯の買い物を済ませると帰宅してすぐに母は報告してくる、と言い残し家を出て行った。


 完全に出て行った事を確かめると泰彦は父と何か話し合いを始めた。


 狂った針はやはり狂ったまま、幾ら針を戻そうとしても元には戻らない。

 進み方そのものが違うのだ。


 放っておけば時間は進む。

 二度と取り返せない、永遠の時間に向かって。

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