アスファルト戦争
真夏の暑いアスファルト。
天高く昇る太陽。風。蝉の声。
少年達の声。笑い声。嬌声。泣き声。
大人達と少年達による戦いはついに決着を迎える。
村元 肇編 これにて終了。
スーツ姿の山形と名乗る男は細めの体格をした眼鏡を掛けた一重の男で、小林は冷淡な印象を受けた。
歳はまだ三十を越えたくらいだろうか。
リビングに入って軽く会釈をするが村元以外の人間には興味がない事がすぐに伝わって来た。
長谷川がなんだアイツ、と小声で保田に文句を言った。
「先程も申しました。正文学会本部調査部の山形です。それが?」
「なんだ。聞こえてんのかよ。俺は長谷川だ。」
「それでは村元さん、よろしいですか?」
山形は長谷川を無視して話始めた。
長谷川は舌を出し「まいった」という表情を浮かべてみせた。
保田が得意げな表情で山形に話し掛ける。
「あんた、ここにいる人が分からないか?」
「……。元広報部長の羽山さんですね。知ってますが、何か関係あるんですか?」
「関係あるんですかって…曲がりなりにもテメェの先輩じゃないのかい?」
「脱会者に用事はありません。「要らぬ喋り屋クソ説法、餌を食っては欲に溺れる馬鹿金魚、憐れ哀れで行けよ入れよ監獄詐欺師。」ですからね。」
「なんだそりゃ……話になんね。」
山形は相手にせず、美代の日記の上に構う事なくブリーフケースを乗せた。
「おいっ!」
村元が怒鳴って日記を取り上げる。
山形は意に介していないようだ。
「見られては不味いんですかね。」
「なら、あんたに見てもらおうか?」
「結構。」
書類を取り出すと数枚を広げ、読め、と言わんばかりに顎でそれらを指した。
村元が手にした紙には
「破門通告」
とある。
「破門…通告…?」
「あなたと、このブロック婦人部の山口です。サイン頂けますか?」
「いいでしょう。喜んで。」
「待て!」
羽山が止める。
「村元さん。さっき書いたあれ、出してやりなよ。最後くらい粋にカッコつけときな。」
「あ、そうですね!山形さん、お受け取り下さい。」
村元は山形の目の前に脱会宣言書を叩きつけた。
「これ…羽山!おまえか!」
「どちみち辞めんだからいいんだろ?何か問題でもあんのかい?」
「…………。確かに受理した!おまえはもう正文信者ではないんだからな!失礼する!」
鞄に宣言書を押し込むと山形は挨拶も無しに家を飛び出した。
「辞めさせるのと、辞められるのじゃ偉い違いだからな。まぁ、これで綺麗さっぱりになったって訳だ。手間も省けたな。」
「はい。ちょうど良かったです。けど、もし羽山さんより先に来られていたら……。」
「暴れてただろうねぇ。仏壇じゃなくて、あの兄ちゃんボコボコにしてたかもな。」
「本当に…そう思います……。」
上野大幹主により報告された野崎に対する正文信者による暴行問題は、児童虐待事件が社会問題になっていた時期と見事に重なった。
その為、表沙汰にされては不味いと判断した正文学会上層部は速やかに村元 圭一と山口 恵三子の破門を決定。
破門通告には
今後、貴殿と一切の関わりを断つ、と記されていた。
同じ日、破門通告を受けた山口は錯乱。
包丁を持ち出し、裸足のままブロック長である宮田 吉江宅を襲撃。
「おまえのせいだろう!この淫乱チクリ魔め!吐け!」
と迫るも
「私は知らない!」
と宮田 吉江は否定。
玄関にて宮田 吉江は逆上した山口に腹部、胸部を刺され一時意識不明の重体に陥り、止めに入った夫の宮田 義信は臀部、太腿を刺される重傷を負った。
山口は裸足のまま逃走するもすぐに駆けつけた警察官により逮捕された。
山口は夫婦への殺意を認めた。弁護側は精神錯乱による刑の減刑を求め控訴するも、会話に矛盾点が見つからない事、通院歴が無いことを理由に棄却。
懲役五年の実刑判決が下された。
新しいブロック婦人長には木村 多恵が就任。
真に平和を求める正文、そして生活の為の正文、を目指し活動する事になる。
そして、森戸小学校は夏休みに入った。
村元家には肇が帰ってきていた。
「お父さん、行ってくるね。」
「うん。気をつけてな。あ、ほら!母さんに行ってきます、しないと。」
「あ、そうだった…!」
親子は小さな遺影に手を合わせる。
正文を抜けた村元 圭一と肇は無宗教者になった。
その代わり、母を祈る気持ちは以前よりずっと強くなった。
住宅街を抜けると真夏のアスファルトが肇を照らす。
蝉の声と高い空。
おーい、と声が聞こえて来る。
アスファルトの向こう、巨漢の長谷川と泰彦が肇を呼んでいる。
夏休み二日目。
肇達は夏休みの宿題をやる名目で小池の家へ遊びへ向かっていた。
泰彦が声を掛ける。
「村ちゃん、絵の宿題やった?」
「それだけ、やった!あのね、もう五枚目。」
「五枚目!?普通一枚じゃね!?」
「ううん。描きたいから!」
長谷川が「あっ」と声を出す。
「なぁ、昨日って巨人勝ったっけ…?やっちゃん分かる?」
「え?俺野球興味ないもん。」
「ムーラー、分かる…?」
「確か…お父さんがこりゃダメだって言ってたから負けたと思う…。」
「あちゃ〜…やっべぇ…。」
「あ」「あ」
泰彦と肇もその言葉で気が付いた。
野球大好きな小池の父は異常とも言える程の巨人ファンであり、巨人が負けた翌る日はとことん機嫌が悪い。
その異常さは正文のそれと匹敵するものがあった。
小池の家は酒商店なので宅配が無い限り、父親はいつも家に居るのだ。
恐る恐る店先を三人が覗くと父親の姿は無い。
ホッとして裏口から玄関へ入ると小池が飛び出して来た。
長谷川の服を見て「あー…やっちゃった…」と呟く。
ドカドカドカドカ!と音がすると居間から小池の父が勢い良く現れた。
「なんだおい!坊主ども!夏休みだぁ!?働けこらぁ!」
「こここここ!こんにちは!」
一瞬道場での修行を思い出した肇が真っ先に挨拶をした。
「お!宗教狂いの錯乱坊主じゃねーか!洗脳溶けたってなぁ!脳味噌溶かすなよ!はははははは!はー!あー!?あああああん!?おいっ!デブ!!」
「はははははははいいいい!」
小池が案の定、と言った顔で小さくごめん…と言う。
「そのシャツなんだテメェ!何色か言ってみろ!おう!何色だ!」
「きっ…黄色とっ…黒っ…!」
「その色は何の色か分かってんだろなぁ!?」
「あの、えと、道路工事…?」
「馬鹿野郎!!俺の憎っくき相手!阪・神・タイガース!だよ!馬鹿野郎!!上がるなら脱げ!裸だこの野郎ー!!没収!!」
そう言うなり小池の父親は本当に長谷川のシャツを躊躇なく剥いだ。
「はーははは!こりゃ良いや!あー!スッキリした!!いっつも澄ましてんじゃねーぞこの坊主!」
泰彦がピシャン!と頭を叩かれる。
「いってぇ…!俺何もしてないのに…」
「何もしねぇのが一番タチ悪い!あー!スッキリした!上がんな!しっかり勉強しろよ!シャツは没収!」
散々言いたいだけ言ってやりたい放題した小池の父は配達へ向かった。
「皆、ごめんなぁ…」
「いいよ、じゃあいつもの。」
「へい。こちらでございます。母ちゃーん!ごめーん!」
「はいよー!」
小池の家へ集まる利点の一つ。それは「ジュースが無料」という事であった。
先程のように怒られた後だと、小池の母もごめんねぇと言いながら好きなの取っていいよ、と勧めてくれる。
二階に上がり宿題そっちのけでゲームに熱狂する四人。
泰彦が何気なく長谷川の乳首を眺めている。
「ちょっと、ゲーム止めて。」
プレイ中だった小池と肇が振り返る。
「なぁ。ハセの乳首って、ほら、見て。陥没してね?」
「あー!本当だ!」
小池がまるで宝物を見つけたようなテンションで叫ぶ
肇も食いつく。
「これは描いて残しておきたいな。大発見だよ!こんな乳首、見たことないや!」
「なんだよぉ…ムーラーまで弄るのかよぉ…もうううう」
いやいやしてる長谷川を見て泰彦が神妙に頷く。
「陥没してるから工事中の服、着てたんだな。」
「ちげーよ!」
真っ赤な顔の長谷川と三人の笑い声が酒屋の二階から響き渡る。
それは蝉にも負けない、心の底からの笑い声だった。
配達から帰ってきた小池の父親は
「バカばっか言ってらぁ。」
とひとりごちて微笑んだ。
肇は心の底から笑い声を上げた。
ただただ、面白くて笑った。
そのはずなのに、その声はやがて涙声に変わり、号泣へと変わった。
それを見ておいおい、と泰彦達がまた笑う。
肇の背中を叩きながら。
長谷川が
「悲しみを覚えたら、俺の乳首を見ろ。」
と腕を組んで呟く。
肇はいつまでもいつまでも泣いていた。
悲しくて泣いたのでは無かった。
またこうして皆と笑い合う事が何よりも嬉しく、そしてそれがきっと母が願っていた事なのだろうと感じて、いつまでも泣き続けた。
母の使っていた部屋が空いたので猫を飼ったと聞いた泰彦と小池と長谷川は村元家へ向かっていた。
同じ日、同じ時間。
正文信者の長野房江は熱中症になる寸前になりながらも村元家へ出入りする人間の監視を行っていた。
新しいリーダーの木村からは「一切関わるな」と言われていたが、長野としては脱会者である村元家が正文を掻き乱す不穏分子となりかねないと信じての行動であった。
倒れそうだ、けど、私は負けない!
あの父子をこの手で地獄送りにする、その日まで!
不意に肩を叩かれた。
振り返ると身長190はあろうかという体格が物凄く良い角刈りの男が立っていた。
「ヤクザだ」
そう思い、長野は身構え、震え、怯えた。
「ななななな…なんですすすか!あななななななたは!?」
「それはこちらがお尋ねしたい。何時間も、ここで何をされているんです?」
「え!?えっ!えっ!?え!?なんでそれ!?だ、だ、だから何よっ!関係ないでしょ!」
「私、村元さん家のガードマンでして。不審者は全て、通報させて頂きますので。では。」
「ちょっ!何よっ!何なの!?ヤクザなの!?」
「あの!」
「ひゃあーっ!」
「元!ヤクザの塚本です。」
そう言うなりニコリと微笑み、長野を追い払った。
「猫ちっちぇーのかなぁ!ハセー!豚坊主なんだから食うなよ!」
「食わねーよー!ライオンなら食ってみてぇ」
「うわ、病気だ…。やっちゃんルンルンだなぁ。」
「だってぇ、俺さぁ、猫スッゲー好きでさぁー、ニャンニャン、だよ?ニャンニャン!」
「うわ、こいつも病気だ…。あれ。おい。アイツら。」
玄関前にはいつか見た正文の少年達が並んでいた。
あの顔色の悪い少年も居る。
小池が真っ先に話し掛ける。
「やぁー!後から知っても君じゃあないーですかあ!これはこれは!」
「近寄るな!維新が後退する。」
背の高い少年が呟く。
「インターフォン、押しても出てこないんだ。」
泰彦があっそ、と言ってインターフォンを鳴らす。
長谷川がおーいと声を掛ける。
するとインターフォンから「上がって!上がって!」と肇の声が返ってくる。
泰彦は振り返る。
「じゃあ、俺達はお邪魔します。」
帽子の少年が吐き出すように呟く。
「脱落者め!おまえらがそそのかしたのか。地獄へ堕ちろ!」
顔色の悪い少年も呟く
「俺達は…同士なんだ……。」
小池が少年の肩を叩き、はっきりと宣言した。
「俺達は、仲間だ。」
踵を返した少年達がその後、村元家を訪問する事はなくなった。
小さな白猫は「ミヨ」と名付けられ可愛がられ十四年生きた。
亡くなるひと月前、とある大手出版社の漫画大賞が発表された。
大賞は村元ハジメ
作品は「アスファルト戦争」
少年達が遊び場であるアスファルトを巡り抗争を繰り広げる物語で、小学生を中心にブームを巻き起こした。
この喜びを誰に伝えたいですか?との問いに村元ハジメは
「僕を育ててくれた父。そして今は亡き母。そして僕を支えてくれた小学校からの仲間達です!」
と答えた。
時代はまた遡り、正文との最後の闘いへと移り変わる。
村元 肇編 完




